第三七五食 恋人たちと最後の戦い④

 真昼まひる父に手料理を食べてもらうにあたり、俺たちが用意したのは普段となんら変哲へんてつのないメニュー。

 主菜はデミグラスソースの煮込みハンバーグ、副菜としてキノコのガーリックバター炒めとポテトサラダ。洋食主体なので汁物はオーソドックスなオニオンスープを選び、主食であるごはんには市販のシソふりかけを混ぜこんでさっぱりとした風味ふうみに仕上げてある。日本型食生活の基本にのっとった、典型的な一汁三菜の組み合わせだ。


 最初はもっといろいろな料理を振る舞うべきかとも考えた。カレー、チャーハン、唐揚げ、ビーフストロガノフ……包丁も火も扱えなかった真昼がこの一年でどれだけ成長したかを知ってもらうだけなら、それが一番手っ取り早いだろう。けれど結局そうしなかったのは、それではを理解してもらえないと思ったからだ。貧乏大学生の自炊から始まった俺たちがいたずらに豪華な食卓を囲むことなどまずありえない。


 また今回の料理に使った食材はすべて、めいさんの許可を得た上で旭日あさひ家の冷蔵庫から拝借したものだ。「普段から冷蔵庫の残り物と格闘してる私たちの力をお父さんに見せてあげましょう!」と言ってこぶしを握る真昼の意気を買っての判断である。たしかに一から食材を買い出しに行っていいならいくらでもった料理を作れてしまうわけだし、俺たちが日常的にやっていることを知ってもらう上では良い判断だったように思う。

 ちなみに旭日家冷蔵庫はうちの貧相な小型冷蔵庫と違ってかなりの大容量だった。食いしんぼうの娘が家を出てからはせっかくのキャパシティを活かしきれていないとのことだが……なんとももったいない話だ。


 さておき、湯気の立つ料理たちが並ぶテーブルについた真昼の両親の前に座りながら、俺はぎゅっと唇を引き結ぶ。明さんはともかく、やはり気になるのは俺から見て対角の席にいる冬夜とうや氏の反応。もくしたまま皿に乗った料理を眺める彼が今何を思っているのか、俺にはまるで判別がつかない。


「さっ、それじゃあせっかく二人が作ってくれた料理がめちゃう前にいただきましょうか」


 お気楽な調子で言った明さんの号令に合わせ、俺たち四人は揃って「いただきます」を口にした。しかしいつもなら言うが早いかはしに手をつける真昼も、今日ばかりは父親の反応を注視しているように見える。……本人は至って真剣なのだろうが、どこか〝まて〟をされた仔犬を連想してしまう絵面えづらだ。


「……」


 まるで先ほどまで大騒ぎしていたのが演技であったかのように、真昼父が静かにハンバーグへ箸をれる。緊張の一瞬だ。というのも今回はタネ作りから焼きの工程まで真昼が一人で行ったため、俺はほとんど関与出来ていない。彼女が料理をする姿を見ること自体久し振りだったということも手伝い、かつてJK組と共にに振る舞われた黒焦げハンバーグがふと脳裏のうりに浮かんでしまう。

 しかしそんな不安も、冬夜氏が一口目を食べるまでの話だった。


「――……美味うまい」

「ほ、ほんとっ!?」


 半分ため息にも聞こえる、思わずのどかられ出してしまったかのような父の評価に、真昼がガタッと椅子を蹴って立ち上がる。それを聞いて明さんも「どれどれ」と箸を持ち――


「あら、ほんと。良く出来てるわ、すごいじゃない真昼」

「えへへー、そうでしょ!? そうでしょ!?」

「というか、これは本当に真昼が一人で作ったのか? 君がなにか手を貸したというわけじゃなく?」

「い、いえ、俺は本当になにも……」


 疑惑を視線を向けてくる冬夜氏に対して首を横に振って返しつつ、俺も箸で切った真昼お手製ハンバーグを食べてみた。すると口へれた途端にほろほろと身が崩れ、中に閉じ込められた肉汁にくじゅうの旨味がじわあっと舌の上に溢れ出す。それがデミグラスソースのコクや酸味と絡み合い、見事な調和をみ出していた。文句無しに美味い。おそらくこの一年間、俺たちが一緒に作ってきたすべてのハンバーグの中でもダントツの出来だ。


「……これ、本当に真昼が一人で作ったのか……?」

「ど、どうしてお兄さんまで疑いの目で私を見るんですか!? 私が一人で作ってるの、お母さんと二人で見守ってくれてたじゃないですか!」

「い、いやごめん。あんまり美味しいから、なにか裏技的なものでも使ったんじゃないかと……」

「使ってませんっ、普通に実力です!」


 ぷんすこ怒る可愛い恋人は「もうっ!」と一度顔をそむけてからぽつりと言った。


「……ただ、お兄さんと過ごしたこの一年を思い出しながら作っただけです」

「!」

「私が今まで覚えたお料理は、ぜんぶお兄さんが教えてくれたものだから」


 その言葉は厳密に言えば真実ではない。今食卓に並んでいるポテトサラダがまさにそうだが、真昼が自力で覚えた料理は意外と多いのだ。むしろ、今や俺が教えた料理のほうが少ないのではないかと思ってしまうくらいである。

 しかし――彼女が言っているのはそういう意味ではないのだろう。


「包丁の安全な持ち方も野菜の正しい切り方も、火のれ方も味の付け方も、私はぜんぶお兄さんから教わったの。だから私はお料理をするたびにお兄さんのことを思い出すし……それはこれからも絶対に変わらない」


 真昼はさっき、このテーブルの上に並ぶものが俺たち二人のすべてだと言った。あれは決して大袈裟な意味ではなく、彼女がこの一年を通して得たを皿の上に乗せたということ。知識も、技術も――愛情も、すべてを。


「料理は愛情、ってことかしら? ふふ、ベタねえ」


 明さんはそう言って笑ったが、横目でちらりと冬夜氏の顔を見る彼女の表情はとても穏やかなものだった。

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