第三六五食 湯前弦と男の約束

 時を少しだけさかのぼり、歌種うたたね高校の学年末考査が始まる数日前。その少年――湯前弦ゆのまえゆずるは、クラスメイトの女子生徒たちの話を小耳に挟んでいた。


『そーいえばまひるん、試験休みに入ったら一回実家に帰るんだってー?』

『ああ、うん。去年の夏から帰省きせいしてないから、試験の結果報告もねて帰るらしいわ。家森やもりさんとのことも、そこで決着をつけてくるつもりみたい』


『――というわけで由々しき事態だ、リョウ。俺に力を貸せ』

『いや分かんねえよ、どういうわけだよ』


 眼鏡のブリッジを押し上げながら言った弦に対し、くすんだ金髪の少年・南田涼みなみだりょうは半目ですすっていたコーヒー飲料のストローから口を離す。試験も目前の貴重な時間をいてまで、繁華街はんかがいにある有名チェーンの喫茶店でティータイム。ご一緒するのが可愛い女の子ならばいくらでも付き合うであろう涼も、けわしい顔をした眼鏡男子が相手では乗り気にはなれなかったらしい。心做こころなしか、甘いキャラメルマキアートもこの日ばかりは苦々しく感じられた。


『要するにアレか? いよいよ旭日あさひ家森やもりサンの関係が親公認になろうとしてるってことか?』

『ああ、その通りだ。以前は家森ゆうの実家に行ったと言っていたが、今度は旭日の実家らしい。クソッ、なんて羨ましい……いやねたましいッ!』

『血を吐くような叫びだな』


 テーブルを叩いて悔しがる弦の姿を見て、涼はボリボリと頭をく。


『でも赤羽あかばねたちが言うには、なんかあの二人って今揉めてるんじゃなかったっけか?』

『フン、揉めているのは当人同士ではないそうだがな。いっそ旭日と家森夕が大喧嘩でもしてくれていれば話は簡単だったというのに』

『言ってること邪悪だなあ、お前……つーかまだ旭日のこと諦めてねえのかよ』

『恋慕とは己の内から自然と沸き立つ衝動。など、そもそも最初から恋とは呼ばん』

『言ってる意味は分かるけど、お前が言うとそこはかとなくキモいな』

『誰がキモいだ』

『でもお前だってこないだの旭日の姿、見ただろ? あいつ、家森サンのことが本気で大好きなんだよ。だからいくらお前の頼みだからって、旭日ともだちが悲しむようなことには俺は協力出来ねえよ』

『おい、何を勘違いしている? 俺がいつ、旭日が悲しむようなことに手を貸せと言った』

『は? あの二人が親公認になるのを阻止したいんじゃねえのか?』

『違うわ、うつけ』


 一体俺のことをなんだと思っているんだ、と今度は弦が半眼を形作る番だ。


『諦められる恋など恋ではない。だが旭日真昼という女がこの世に一人しか居ない以上、その隣に寄り添うことを許される男はただ一人――俺はに、最後に一言ひとこと言ってやりたいだけだ』



 ★



 時間は戻り、イケメン女子大生の尻に金髪女子大生の回し蹴りが炸裂さくれつした頃。


「くっそ、てっきり前言ってたみたいに電車で帰省するのかと思ったのに、あそこからバイクで移動するとかアリかよ!?」

「ハアッ、ハアッ……む、無駄口を叩くなリョウ……! ゼエッ、は、早く旭日とあの男を探し出すんだ……ゲホゴホッ!?」

「いや俺よりヘトヘトの奴に言われたくねえんだけど!?」


 汗だくになりながら周囲を見回して走る涼が、後ろからどうにかヨロヨロとついてくる眼鏡男子にツッコむ。


「第一こんなことになったの、お前が『旭日たちは間違いなく最寄もより駅から出発するだろうから、近くに隠れて様子をうかがおう』とか言ったせいだろ! つーか今さらだけど、なんでわざわざ隠れて待ってたんだ俺たち!?」

「げほっ、ハアッ……! ば、馬鹿め、最適ベストなタイミングで飛び出した方が格好良く見えるだろうが……!?」

「そんな浅い考えだったのかよ!? お前って勉強できるわりにホントバカ――って、あっ!? お、おい居たぞ! あそこだ、急げっ!?」

「なにっ!? ど、どこだ!?」


 息を切らした涼が指差した先へ視線を振ると、その先ではなんだか見覚えのある三人がギャイギャイと言い争っているのが見えた。そしてそのすぐ側に立っていたのは――


「リョウくんとユズルくん!? ど、どうして二人がここに!?」

「あ、旭日あさひ……」


 予兆もなく現れた自分たちに驚く真昼に、弦は眩しそうに目をすがめる。

 そこにはひさしく見ていなかった彼女本来の輝き――少年の心を奪った、あの太陽を思わせる明光みょうこうがあった。いや、その光は以前までよりもずっと強くなっているように見える。


「(――貴様のせい、なのだろうな……まったく、どこまでも腹立たしい男だ)」


 心中でつぶやき、続けて彼が目を向けたのは真昼の隣に寄り添う男だった。少女に腕を掴まれたまま目を丸くしているその男こそ、弦が今日、ここまでやって来た理由。


「――家森夕ッ!」

「!?」


 突如として叫んだ弦に、青年が肩を揺らす。当然だろう、これまで一度として言葉を交わしたことのない相手――それも年下の高校生から、前触れもなく名指なざしされたのだから。一方で弦は四つも年上の大学生を呼び捨てにしたことに内心ヒヤリとしつつ、それでも決死の覚悟で告げる。


「もしも――もしも貴様が旭日のことを泣かせたら、俺は絶対に貴様を許さんッ! の笑顔を奪うことは絶対に許さんッ!」


 弦はこの男のことが嫌いだ。どうして真昼がこの男を選んだのか、今でも完全な理解には至っていない。彼女の隣に立つべき男は、他にいくらでもいるに違いないのだ。

 けれど少なくともそれは、この段になってもまだ「友人」などという言葉しか口に出来ない湯前弦じぶんではないから。現実に真昼が選んだのは、この気に食わない男だから。

 だから――言いたくはないが、言うしかなかった。


「旭日のことを絶対に……絶対に幸せにしろッ! いいなッ!?」


 突然こんなことを言われても、きっと訳が分からないはずだ。現に近くで見ている二人の女子大生は、揃ってぽかんとした表情を浮かべている。真昼当人も困惑しているようだし、じぶんの行動を多少なりとも理解してくれているのは涼と……あとは唇を真一文字に引き結んでいる天敵の眼鏡少女くらいのものだろう。

 だから弦としては、言いたくはなくとも言っておきたかったことを言えただけで良かった。そこに返事など、最初から期待していない。「急に叫びだした変なヤツ」と思われたっていい。言わぬまま、後からそれをいるよりはずっといい。


 だが。


「――ああ。約束だ」


 憎々しいその男は、真剣な顔でそう答えた。見ず知らずの高校生の言葉に短く、けれどこの上なく真摯しんしこたえた。


「(本当に、どこまでも腹立たしい男だ――俺の恋をに変えてしまう貴様は)」


 苦味しかないはずの敗北を嚥下えんげするかのように、少年は大袈裟に高い空を見上げる。

 春も近い青天せいてんした太陽が、誓いを立てた男たちの姿を優しく照らしていた。

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