第三五八食 旭日真昼といつものコーヒー


 三月上旬の陽光がカーテンの隙間から部屋にし込む。

 桜の季節に一歩ずつ近づいているといってもまだまだ冷え込む朝の空気の中、保温性の高いインナーウェアに身を包んだ少女は、この一年間――厳密には半年間――そでを通してきた制服を今日も身に着ける。乱れた髪を手櫛てぐしで整え、スカートのシワを叩いて伸ばし、鏡の前で身体を振っておかしなところがないことを確認。「よしっ!」と両の拳を軽く握ると、彼女――旭日真昼あさひまひるは朝食の準備のために台所へと向かった。


 コンロの上に乗っていた手鍋を火にかけ、冷蔵庫をひらいて卵を二つとフレッシュベーコン、サニーレタスを取り出す。油を引かずにフライパンを熱し、十分に温まった頃合いでまずはベーコンを投入。ジュウッ、と景気のいい音が響いたかと思えば肉から染み出てきたあぶらがじゅわじゅわと溢れ、食欲をそそる香りがキッチンに充満した。これでそのままホカホカの白米を巻いて口に放り込むだけでも美味うまいことは知っているが、ぐっとこらえて皿へ移し変える。

 続いて肉の脂の旨味が残ったままのフライパンにいた卵を流して薄焼きに。焼けるの待つ間に六枚切りの食パンを四枚まな板へ乗せ、耳の部分を包丁で切り落としておく。落とした耳はトースターにいたアルミホイルの上に並べてサラサラと粉砂糖を振り掛け、追撃の蜂蜜ハチミツを垂らして二、三分ほど加熱。たったこれだけの手間で朝から甘いお菓子が作れてしまうのだから素晴らしい。


 食パンのほうにはマヨネーズと濃口ウスターソース、カラシを混ぜて作ったタレをたっぷりと塗りたくり、サニーレタスを乗せてからさらに一垂らし。焼けた玉子とベーコンも追加し、もう一枚のレタスと食パンで挟めば本日の朝ごはん、真昼特性サンドイッチの完成である。食べやすいように四分の一くらいにカットしてもいいし、そのままかぶりついて口いっぱいに頬張るのもたまらない。今日の真昼はその中間択として、半分に切ることにしたようだ。

 同じサンドイッチをもう一つ作り、火にかけていた手鍋から昨晩のお味噌汁を器によそう。サンドイッチと一緒に食すなら洋風のスープが似合うかもしれないが、自炊生活にそのようなこだわりは無用というのがとある青年の教えだ。それにパンと味噌汁というのは一見ミスマッチに映るものの、実際にはとてもよく合うのだ。味噌ラーメンが美味しいのだから、同じ小麦粉と味噌の相性が悪いはずもない。


 トースターから出てきたパン耳のお菓子をサンドイッチの皿回りに盛り付け、冷めないうちにいそいそと部屋のテーブルへ運ぶ。味噌汁の器から真っ白い湯気が立ち上る中、クッションの上で正座した真昼は手を合わせて小さく「いただきます」。

 からっぽのおなかに熱いスープを落とし入れ、ほうと一息ついてから出来立てのサンドイッチをがぶりと一口。濃いめのソースとベーコンの塩味えんみをパンと玉子の甘味が包み込み、朝から多幸感が波のように押し寄せた。サニーレタスのシャクシャクした瑞々みずみずしい食感も、とてもいいアクセントになっている。

 また、あっという間に二切れを胃に収めたあたりで中休み代わりにパン耳をつまんでみると、蜂蜜のじんわり優しい甘さが舌をリセットしてくれた。一部焦げてしまっている部分もあるが、むしろラスクに近い感覚で食べられるのでお得気分になれたくらいだ。


「はふぅ……おいしかったあ」


 ものの五分ですべて食べ終え、いた食器と調理器具を流し台で水にけておく。青年の部屋で朝食をったなら自室へ戻る前に洗って帰るところだが、今は自分の部屋なので後からまとめて洗った方が洗剤も節約できていいだろう。なにせ、どうせ今日から一週間ほどは昼食も自室ここで作って食べることになるのだから。

 そう、今日から始まるのだ――運命を決める学年末考査が。


「……」


 しかし真昼は、思っていたほど緊張していない自分自身に驚く。しっかり勉強した自覚があるからか、それとも単に開き直ってしまっているだけなのか。もしかしたら今回の一件で、程よい力の抜き方を覚えたおかげなのかもしれない。


「よし……いこう!」


 コートをまとい、いつもより軽いかばんを片手に玄関へ向かう真昼。ローファーに足を突っ込み、元気よく扉の向こう側へ飛び出して――ゴンッ。


「……ごんっ?」


 妙な物音に、少女は首をかしげる。一瞬、ドアの向こう側に誰か居たのだろうかと焦ったが、それにしては軽い反動しか感じなかった。いや、そもそも誰かにぶつけてしまったのならなんらかのリアクションは聞こえてくるだろう。

 というわけで外を見てみてると、やはりそこには誰も立っていない。先ほどの音の正体はどうやら扉外側のドアノブに引っ掛けられた小さなビニール袋。その中身がドアを開けた拍子に打ち付けられた音だったようだ。


「なんだろ、これ……?」


 不思議に思いながら袋を覗いてみると、中には魔法瓶まほうびんが一つと一枚の紙片しへんが入っていた。


「あれ……魔法瓶これ、お兄さんの……?」


 確かにそれは、恋人の部屋に置かれていた記憶のあるものだ。もしやと思い、折り畳まれた紙を開いてみると――


『真昼へ 

 これ飲んで試験頑張れ!

       ゆう


「……」


 たったの三行、それだけが書かれた手紙をぽかんと見つめ、少女はとりあえず魔法瓶のフタを回してみた。ぶわっと飛び出してきた香りをぐと、どうやらその中身はコーヒーだったらしい。湯気の量から察するに、つい今しがたれたところなのだろう。

 ふーふーと冷ましてから、熱々の中身をぐいっとあおる。真昼好みに調節された砂糖とミルクの量――一緒に朝食を食べていた頃、彼が毎朝決まって淹れてくれたインスタントコーヒーの味だ。を思い出させるその味に、少女は目尻をじわりとひじませる。


「ズルいですよ……こんなことされたら、ますます会いたくなっちゃうじゃないですか……」


 二〇六号室の扉を見つめて、そんなことを呟く真昼。手を伸ばせば、声を上げれば届く距離にいるはずの彼の胸に今すぐ飛び込み、力いっぱい抱き締められたらどれほど幸せだろうか。

 そんな全身を支配する欲望をどうにか抑え込み、真昼はに背を向けて歩き出す。


「ありがとうございます、お兄さん――行ってきます!」

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