第三五六食 うたたねハイツとデリバリー④


家森やもりさん、今日はお昼ご飯、ありがとうございました」

「いつも通りおいしかったよー。ごちそうさまー」

「いや、こちらこそありがとう。ごめんな、変なこと頼んで」


 夕暮れ前の午後五時過ぎ。真昼まひるの部屋で洗った容器タッパーや鍋を返却しに来たひよりと亜紀あきに、ゆうは両手を軽く合わせながら礼を言った。女の子四人で食べるには多すぎるくらいの量を作ったつもりだったのにカレーを含めどの料理も綺麗にからっぽになっているのは、彼が育ち盛りの高校生のポテンシャルを甘くみていたせいか、それとも特定の一人の胃袋がブラックホール過ぎただけか……おそらくは後者なのだろう。


「それでどうだった? 真昼、ちょっとは元気になってたかな?」

「それはもう」

「朝までのまひるんはなんだったのってくらい元気になってたよー。なんか色々意地張ってたけど、やっぱりおにーさんのごはんが恋しかったんじゃないかなー」

「そっか、なら良かった」


 心配事が一つ解消されたからか、安堵あんどしたように一息つく青年。恋人であると同時に、ひよりとはまた違った意味で真昼の保護者代わりのような存在でもある彼は、少女の不調が気掛かりで仕方なかったらしい。


「……で、はなにやってんだ?」

「「あー……」」


 自室の玄関前に立つ夕が隣戸りんこ側へ目を向けつつそう聞いてきたので、ひよりと亜紀は揃って微妙な声を上げた。というのも今、お隣さんの二〇五号室の玄関口で行われているのは――


「だ・か・らッ!? いいからさっさと出てきなさいっつってんだってのッ!? すぐそこに彼氏がいるんだからッ!?」

「むっ、無理ムリむりッ!? 言ったでしょ、私はテストが終わるまでお兄さんとは会わないって!?」

「あんたまだそんな言ってんの!? 家森さんはあんたのこと心配してわざわざご飯まで用意してくれたのに、いつまでもどうでもいいことにこだわってんじゃないってのッ! いいからちゃんと会って目見てお礼言いなさいッ!?」

「だ、だって今私絶対可愛くない顔してるもんっ!? こんな状態でお兄さんの前に出られるわけないでしょ!? 服もすっごく適当だし、お化粧けしょうだってしてないしっ!?」

「そんなんいつものことでしょうがこのナチュラル美形があああああっ!?」

「んぎゃああああああっ!? 引っ張らないで引っ張らないでっ!? うで、腕がちぎれちゃうううううっ!?」


「……ナンダアレ」


 憤怒ふんぬ形相ぎょうそうを浮かべながら何者かと綱引つなひきを繰り広げる雪穂ゆきほ怒声どせいと、そんな彼女に全力で抵抗しているとおぼしき叫喚きょうかんが廊下中に響き渡り、それを青年がどこか遠い目をして眺めた。時折扉の影から眼鏡少女にあらがう細っこい腕が出たり引っ込んだりしているのが争いの凄絶せいぜつさを物語っているが、出来ることなら関わり合いにはなりたくない状況である。


「――……お、お兄さん、そこにいますか?」

「! お、おう。いるぞ」


 やがて根負こんまけした雪穂がゼェハァと荒い息を吐き出している横から、真昼の声が聞こえてきた。九〇度にひらかれたドアに視界を遮られて夕たちの位置からは姿が確認できないものの、どうやら扉に背をつける形でその場に座り込んでいるらしい。


「ごめんなさい、お兄さん。私……今はまだ、お兄さんと合わせる顔がありません」

「……そっか」

「はい。でも今日、久し振りにお兄さんのごはんが食べられてよかったです。すごく……すっごく、おいしかった」

「……そっか」


 相変わらず語彙力ごいりょくのない伝え方。しかし飾らない言葉だからこそ、少女の感情はストレートに夕の胸まで届く。


「お兄さん、あとほんのちょっとだけ待っててください。私、お兄さんとまた一緒にごはんが食べられるなら、なんだって頑張れると思うから」

「……ああ」


 瞑目めいもくして頷いた夕は、続けて言う。


「でも、ちゃんとめしは食え。それから夜更よふかしせずにちゃんと寝ろ。俺のことなんかなにも気にしなくていい、けど――自分きみのことは大切にしてくれ。俺がそばに居られない間、

「……はい!」


 互いに相手の顔も見えぬまま、それでも力強く返事をする真昼。そんな二人のことを静かに見守る三人の友人たちは「ああ、もう大丈夫だ」と確信した。

 ほんのわずかな言葉で少女の心を動かした青年。そこになんだか悔しさを覚えてしまうのは、友人ならではの嫉妬心のせいなのかもしれない――ひよりはそんなことを考えてフッと自嘲する。そして、そのせいで見逃してしまった。自分のすぐ近くに立っている亜紀がニィッとあくどい笑みを浮かべたことに。


「まひるーん! もしまひるんがおにーさんとの約束をちゃんと守れたら、全部終わった後におにーさんがチューしてくれるってー!」

「ッ!?」

「は、はあッ!? ち、ちょっと待て赤羽あかばねさん、俺がいつそんなこと――ぐふぅっ!?」

「や、家森さん!?」


 とんでもない大法螺おおぼらを吹く亜紀に驚いた夕は当然否定しようとするも、それより一瞬早く飛来したゆるふわ系少女の肘鉄ひじてつ鳩尾みぞおちを打ち抜かれてドシャッとその場に崩れ落ちる。一方で真昼は勢いよく振り上げた頭を後方のドアに強打するも、委細いさい構わずにすっくとその場から立ち上がった。


「……ごめん、みんな。私、さっさと今日の勉強終わらせてごはん食べて、早寝早起きしなきゃいけなくなったからもう部屋に入るね。今日はどうもありがとう。また学校で」

「アッ、ハイ」


 二〇五号室の扉がパタンと閉じられ、後に残されたのは静寂せいじゃくに包まれる友人たちと、その足下にうつ伏せで倒れ込んでいるあわれな青年のみ。


「……アキ……あんたって本当、邪悪だと思うわ……」


 ニヤニヤ笑いながら最も効率的な方法で真昼の心を動かしてみせた悪魔に、ひよりはぼそりと小さく呟くのであった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る