第三三四食 鍋メンたちと楽しい時間③

 ヒトは、地球上で最も知能の高い生物であるとされている。知能が高いとはすなわち賢いということ。そして賢いとはすなわち、利にさといということ。

 たとえば、食。他の動物や植物を狩り・食らうにとどまらず、時には貯蔵ちょぞうし、時には飼育する。百獣の王と呼ばれるライオンでさえ狩りの成功確率――食事にありつける確率は平均一〇パーセントを下回ると言われる自然界に対し、先進国に住まう人間のほとんどは日々の食事に困ることなどほとんどないはずだ。むしろ〝飽食ほうしょく〟や〝食品廃棄〟といった、真逆の問題が取り沙汰されることの方がよほど多いだろう。


 この食の問題一つとってもそうだが、ヒトは自らの利益のためならどこまでも貪欲どんよく・残酷になれるものだ。

 屠殺とさつされた家畜かちくの肉が、稲穂いなほから刈り取られたコメが食べられることなく廃棄されても「人間じぶんたちが生きるための必要経費だから」と割り切る。かつて木々がい茂っていた場所を「人間じぶんたちが住むためだから」と切りひらき、住処すみかと共に少なくなった食料を求めてクマやイノシシが野山から下りてくれば「人間じぶんたちが危険かもしれないから」と射殺する。道端みちばたえる汚い野良ネコには見向きもせず、ペットショップに並ぶ血統書けっとうしょ付きの可愛い仔ネコをはやす……挙げ始めれば本当にキリがない。


 そして利に聡く残酷なヒトという生き物は、逆に利を生まぬものに対しては恐ろしいほど無関心だ。

 たとえば自宅付近に殺人鬼が歩いていれば誰だって警察に通報する。しかしそれは「もしかしたら自分の安全な生活もおびやかされるかもしれないから」だ。もし遠い外国のスラム街に同じような殺人鬼がいると知っても、わざわざ同じように地元の警察に通報してやる者はまずいまい。また通報されて動く警官たちも「殺人鬼を捕まえるのが仕事だから」捕まえるだけで、一切の利益もないのにわざわざ殺人鬼に立ち向かったりはしないだろう。誰だって〝どこかで死ぬ知らない誰か〟より、自分の命の方が大切なのだから。


 無論これらは大袈裟な例だが……しかし少なくともその縮図しゅくずが今、ゆうたちの目の前に転がっていた。


「ぐすっ……うえぇん……お母さん、どこぉ……っ!」


 広く騒がしいショッピングセンターの真ん中で、一人ぽつんと泣きじゃくる小さな少年。誰がどう見たって迷子だ。そんなことは、あの少年の様子を認識したすべての者が分かっている。

 だというのに、周囲を歩く大人たちは皆見て見ぬフリだ。ある者はチラリと一瞥いちべつするだけで我関せず、ある者は気の毒そうに遠くから眺め続けるだけ。「すぐに母親が見つけるだろう」「自分以外の誰かが声を掛けるだろう」「なんで誰も助けてやらないんだろう」「助けたところでなんの得もない」――そんな利己的な思考がけて見えるかのようだ。


「……チッ」


 そんな渦巻うずまく中、舌打ちとともに立ち上がったのは千鶴ちづるだった。彼女は目の前の子どもから目をそむける大人たちを睥睨へいげいすると、ズカズカと大股おおまたで少年の方へと歩み寄っていく。


「……オイ、大丈夫か?」

「ふぇ……? って、ヒイッ!?」


 ぶっきらぼうに投げ掛けられた声に一瞬泣きんだ迷子の少年は、しかし次の瞬間小さな悲鳴を上げた。無理もない、なにせ自分を見下ろしているのは目付きの悪い、金髪ピアスの無愛想な女だったのだから。


「迷子か? 母親か父親は?」

「ぴっ――ぴぎゃあああああっ!? た、たすけてお母さあああああんっ!?」

「!? お、オイ、なんで余計に泣く!?」


 より一層大きく泣き叫んだ少年に、ギョッとした周囲の人々が一斉に視線を向ける。小さな子どもを見下ろす金髪の人物、泣き声に混じって聞こえてきた「たすけて」の声。先ほどは見て見ぬフリをした大人たちのうち、正義感に駆られた何人かがガタッと椅子を蹴った音が響く。どうやら単なる迷子は無視出来ても、〝ヤバそうな女に絡まれている子ども〟を見過ごすことは大人ヒトとしてダメだと判断したらしい。存外、人間もまだ捨てたものではなかったようだ――


「――じゃねェンだよ! オイガキ、よく聞け! オレァただテメェが迷子だと思ったから声掛けただけだ!?」

「ぜったいウソだあああああっ!? うわあああああんっ!?」

「嘘じゃねェよ! あァクソッ……ギャーギャー泣きわめくンじゃねェッ!? 助かりたくねェのか!?」

「いや、そりゃ泣くでしょ。完全に悪役のセリフだもん」

「俺がその子でも泣く自信しかない」


 まるで立てこもり中の誘拐ゆうかい犯のようなことを口走る友人を見かね、蒼生あおいと夕の二人もその場に合流。そしてざわついたままの周囲に軽く会釈えしゃくしつつ、イケメン女子大生は千鶴の肩に手を置いた。


「はいはい、千鶴ちゃんは下がって下がって。キミはあれだよね、自分の外見みためがすごく恐ろしいことをもう少し自覚した方がいいよね」

「ンだとッ!?」

「まあああいう時にいち早く動けるのは美徳だと思うけどさ、でもさらに怯えさせちゃったら本末転倒だってば。ってことで夕、お手本見せてあげてね」

「偉そうに言っといて、やるのは俺なのかよ」

「いやあ、私上手に泣いてる子どもの相手する自信ないんだよね」


 ヒラヒラ手を振って丸投げしてくる蒼生にため息をき、夕は仕方なく少年の前にしゃがみこむ。ちょうど、少年と目線を合わせられる高さだ。


「ボク、どうして泣いてたんだ?」

「え……お、お母さんとはぐれちゃって……」


 千鶴が視界から消えたおかげか、少しだけ平静を取り戻した少年が鼻をすすりながら答える。夕も決して子ども受けのいい人相ではないものの、陰極まって陽に転ず。恐ろしいもの見た直後の今は、夕もマシに見えるのだろう。そのチャンスを逃さず、青年は「なんだ、そんなことか」と微笑ほほえむ。


「そんなの、まったく泣くほどのことじゃないさ」

「そ、そうなの?」

「ああ。ちょっとお店の人のところに行って、『お母さんを呼び出してください』ってお願いすればすぐに見つかるよ。はは、男の子が大泣きしてるから何事かと思えば」

「! な、泣いてないもんっ!?」


 わざと馬鹿にしたように笑ってみせた夕を見て幼い自尊心が刺激されたのだろう、少年が服のそででぐいっと目元をぬぐってみせる。鼻水が垂れたままなのでどうにも締まらないが――もちろんそれはだ。


「いい子だ。さあ、それじゃあ迷子センターまで一緒に行こうか」


 少年の頭にぽんと手を乗せた夕は、そう言ってもう一度優しく笑った。

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