第三一二食 家森夕とちょっとした嫉妬


「た、ただいま帰りました、お兄さん……」

「……お、おかえり」


 なぜかやけにボロボロになっている真昼まひるが学校から帰ってきたのを見て、玄関まで彼女を迎えに出たゆうは困惑に眉尻を下げた。


「なんでそんな疲れ果ててるか、聞いてもいいのか?」

「……ダメだって言ったらどうなるんです?」

「何事もなかったものとして接する」

「……。……ひよりちゃんに昨日のことを根堀ねほ葉堀はほかれて、亜紀あきちゃんには散々からかわれて、雪穂ゆきほちゃんからは『私と蒼生あおいさんを差し置いてそこまで……!?』って睨まれました」

「お、お疲れ」

「ついでにひよりちゃんにも『あんたはもうちょっと警戒ってものを覚えなさい!』『家森やもりさんが困るでしょ!』って怒られました」

「(流石小椿こつばきさんさん、相変わらず頼りになる)」


 心の中で〝母親〟の女子高生に礼を言う青年をよそに、真昼は学生鞄を肩から外して靴箱の隣に立てかける。どうやら自分の部屋には寄らず、そのまま二〇六号室に来たらしい。彼女からコートを預かった夕はそれをハンガーへ移し、いつも通り甘いカフェオレを用意してやる。


「はふう~……この一杯のために生きてるって気がします」

「オッサンか、君は。でも始業式だけだって言ってたわりに遅かったのもそういう事情だったんだな。俺より先に帰ってるもんだと思ってたからちょっと心配したよ」

「! ご、ごめんなさいっ!?」

「謝らなくていいよ」


 責めたつもりはまったくなかったのに、まるで門限を破った子どものような顔になる少女に苦笑を向ける夕。遅くなったといってもまだ日は高いし、久し振りの登校日だったのだから友だちと寄り道くらいしてくるくらいは普通だ。おそらくは近所のファミレスにでも行ってきたのだろう。


「逆にお兄さんは随分早かったんですね?」

「まあな。今日は二講義コマで終わりだったし。青葉あおばからは飲みに付き合えって言われたけど、断ってきた」

「どうしてですか? ……ハッ!? も、もしかして少しでも長く恋人わたしと過ごしたかったからですかっ!?」

「いや、普通に青葉あいつの酒に付き合うのは嫌だったから」

「……そうですか」

「それに今朝は早起きしたから眠かったし」

「……ですよね」


 露骨にテンションが下がった真昼が、両手で持ったカップに口をつける。ここは嘘でも「そうだよ」と言ってやるのが良い彼氏だったか、と思い至るも後悔は先に立たず。夕は慌てて「そ、そういえばっ!」と話題を取りつくろった。


「ひ、久々の学校はどうだった? 楽しかったか?」

「あ、はいっ! ひよりちゃんたちとは冬休み中も何度か会えてましたけど、他の友だちとはほとんど会えてなかったので嬉しかったです!」

「そ、そうか。良かったじゃないか」


 楽しい話を振ってやればすぐに機嫌を直す女子高生にほっと息をつく。彼女の無邪気さには振り回されることも多いが、こういう子どもっぽくて単純なところが実に愛らしい。

 そのお日様のような笑顔に照らされて青年がほっこりなごんでいると、続いて真昼は「あ、でも」と自らの顎下がっかに指を当てながら呟いた。


「なんだかユズルくんだけ様子がおかしくて気になったんですよねえ」

「ユズルくん……?」


 その単語に、夕の耳がピクッと反応を示す。


「はい。始業式が始まる前に私がひよりちゃんから尋問じんもんされてた時、突然フラフラ~って教室から出て行っちゃって……お友だちのりょうくんは『気にしなくていい』って言ってたんですけど」

「リョウくん……?」


 ピクピクッ、と再び青年の耳が震えたが、少女はそれに気付かず話を続行する。


「いつもならユズルくんたちも入れて六人でごはんとか食べに行くこともあるんですけど、今日は二人とも先に帰っちゃって……」

「へ、へえ……」

「なにか用事でもあったのかなあ? でもそういう時はいつも一言掛けてくれるし……ちょっとだけ心配です」

「ふ、ふーん……」

「? お兄さん?」


 彼らしくもない気の抜けた返事に、ようやく異変を感じ取った真昼が小首をかしげた。そしてマグカップをローテーブルの上に置くと、ハイハイの要領で夕の方までい寄ってくる。


「ど、どうかしたんですか、お兄さん? なんか私から目をらしてますけど」

「い、いや? べべ、別になにも?」

「絶対うそじゃないですか、明らかに挙動不審ですしっ!? も、もしかして私の話、つまらなかったですか!?」

「そ、そういうわけじゃなくて……えっと、その〝ユズルくん〟と〝リョウくん〟って、たしか前にもちらっと名前を聞いたような気がするんだけど……な、仲良いのか?」

「ふえ? は、はい、中等部の頃からの友だちですから……って、あっ!?」


 そこで真昼はぴこーんっ、となにかを察したように目を見開いた。


「も、もしかしてお兄さん、ユズルくんたちに嫉妬しっとしてるんですかっ!?」

「ッ! ちち違えよッ!? だ、大学生が高校生相手に嫉妬とか、そんな大人げない真似するわけないだろっ!?」

「えへへへぇ、お兄さんってば可愛いんですからぁっ! 嫉妬なんかしなくたって、私は一生お兄さん一筋ひとすじですよ! 心配要りませんから、ねっ?」

「に、ニヤニヤ笑うな、頭をでるな、優しくさとすな!? そ、そんなんじゃないって言ってるだろが!?」

「ほーら、不安なら私がぎゅってしてあげますよ! これは仕方ないですね、ええ仕方ないです! このハグには〝お兄さんの疑心暗鬼を取り除くため〟という大義名分がありますゆえ!」

「『ありますゆえ』じゃねえよ、腕広げたままにじり寄ってくるなッ――んむっ!?」


 滅多に見せない夕の嫉妬心に愛情が爆発したのか、正面から彼のことを思いっきり抱き締める真昼。対する夕は年下の少女になだめられている屈辱に――そして今までよりも強い恋人からの抱擁ほうように――顔を赤くしたまま肩を揺らす。


「(~ッ! た、たしかにちょっと気にはなったけど、こんなの嫉妬のうちにはいらないだろ!)」


 青年はそう叫びたかったが、口元に押し付けられている少女の柔らかい上腕がそれを許してはくれなかった。

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