第三一一食 小椿ひよりと親友の話③


「(そんな真昼ひまが、三年越しに彼氏持ちになっちゃうなんて、ね……)」


 冬休み明けの午前八時四五分。いつもあの子と待ち合わせをしている交差点で追憶ついおくひたっていた私は、とある大学生の隣で笑う親友の姿を青色の空に思い浮かべていた。首筋をでてくる冷たい風が鬱陶うっとうしくて、後ろ結びにしたマフラーをぐるりと巻き直す。


「(隣のお兄さんの部屋に行く、とか言い出した時はとうとう悪い男にだまされたかって心配したけど……)」


 今年――もう去年だけど――の春、初めてあの子の口から彼・家森夕やもりゆうさんの話が出た時は、それはもう驚いたものだ。飲んでいたジュースを噴き出しそうになるくらいに。

 なにせあの調理実習の日から数えて丸三年以上も真昼ひまと一緒にいる私でさえ、彼女が特定の男子と仲良くしているところなど見たことがなかった。いて言えばユズルとりょうがいるけど、あの子が二人に対して異性意識を持っているかと問われればそうでもなく……なんならユズルから好かれていることにすら、真昼ひまは気付いていないわけで。

 だから驚いた。そしてまず間違いなく、年上の大学生にもてあそばれているのだと思った。真昼ひまはああ見えて人を見る目はある子だけれど、それとこれとは話が別。あの子の鑑識眼かんしきがんあざむける悪い男くらい、広い世界にはいくらでもいると考えてしかるべきである。

 まあ結局のところ、それも杞憂きゆうに終わってしまった。心配してついて行ってみれば、その〝お兄さん〟は普通にいい人だったから。


「(真昼ひまのことを女の子としてじゃなく、年下の子どもとして扱ってる感じ、っていうか……あの頃は真昼ひまの方も家森さんに恋してるってわけじゃなかったし)」


 それでも私に言わせれば、真昼ひまの彼に対する信頼度は最初からものすごく高かった気がする。家森さんの面倒見の良さはもちろんのこと、中学の頃から一人暮らしをしているあの子にとっては数少ない〝頼れる大人オトナの人〟だったわけで……時にあの二人は、まるで本当の兄妹きょうだいのようにも見えた。

 でも夏休み前後、あるいはそれよりもっと前から真昼ひまの家森さんに対する想いは変化し始め、そんな真昼ひまに引っ張られ、家森さん側の意識も変わっていき――今じゃとうとう正式な恋人同士。文字通り、ずっとあの子の恋を見守ってきた身からすると感慨深いものがある一方、少し寂しさにも似たものを感じてしまう。


「(あの子にはなにかと手を焼かされてきた分、その成長を寂しく感じちゃうのか……もしくは単純に、大事な親友を他人に取られたような気分になってるだけか……どっちにしろ、ろくなもんじゃないな、私)」


 愛娘まなむすめが連れてきた彼氏を邪険じゃけんに扱う父親じゃあるまいし、こんな時くらいは手放しで祝福してあげたい。初詣はつもうでの日の夜に真昼ひまから連絡をもらった時は思わず電話越しにガッツポーズをしてしまったくらいだし、寂しさ以上にあの子の得恋とくれんを喜んでいるのも事実なのだけれど。


「(だけどやっぱり、ちょっと寂しいな……)」


 マフラーに鼻をうずめ、柄にもなく女々めめしいことを考えていると、交差点の向こう――学校とは反対の方角から、聞き覚えのある声が聞こえてきた。顔を上げてそちらへ目をらすと、遠くから見慣れた制服姿の女の子が駆けてくるのが見える。


「うーっ、やばいやばいっ、遅刻しちゃう……ってあれ!? ひ、ひよりちゃん!? な、なんでここにいるの!?」

「ひま……」


 息を切らしながらもきちんと左右を確認し、横断歩道を渡ってくる彼女・旭日あさひ真昼に、私は電柱に預けていた背中を持ち上げた。


「今日はもしかしたら遅くなっちゃうかもしれないから先に行ってってメールしたのに……も、もしかしてずっとここで待っててくれてたの!? わっ、ひよりちゃんの手、冷たっ!? ご、ごめんね、寒かったよね!?」

「いいよ、別に。私が勝手に待ってただけだから」


 手袋をめていない私の両手を、真昼ひまが外側からぎゅうっと包み込んでくる。なんだかれているだけでほっとするような、温かい手のひらだ。


「というかあんた、パンくわえてながら走って登校って、少女漫画のヒロインじゃないんだから」

「あ、あはは。実は色々あって朝ごはん食べる時間がとれなくて……そしたら出掛でがけにお兄さんが『せめてこれだけでも持っていけ!』って食パンをくれたんだ~」


 そう言って真昼ひまかかげてみせたのは、六枚切りの食パン一袋。……前言撤回、やっぱりこの子に少女漫画は無理がある。どこの世界に朝から食パン一斤いっきんをモリモリ食べつつ通学路を駆け抜けるヒロインがいるものか。

 私は食いしんぼうの親友が最後の一枚を袋から取り出す様子を眺めつつ、ふと疑問に思ったことを口にする。


「珍しいじゃない、あんたがごはんを食べそこねるなんて。寝坊でもしたわけ? そういえば昨日は家森さんの地元までデートしに行くとか言ってたけど……いったい何時に帰ってきたのよ?」

「あ、えっと……じ、実は帰ってきたのはついさっきで――」

「!? 朝帰りってこと!? ま、まさかあんたら……!?」

「ち、違う違うっ、ひよりちゃんが考えてるようなことはなにもしてないよっ!? ……お兄さんと一緒の布団で寝たりはしたけど」

「それなにも違わないじゃない!」

「違うって!? ほ、ほら、そんなことより急がないと始業式、始まっちゃうよ!」

「あっ!? こらひま、逃げるな!?」


〝なにか〟を思い出して頬を紅潮こうちょうさせた真昼ひまが逃げるように走り出すのを見て、それを後ろから追いかける私。


「待ちなさいひま! いったいどういうことか説明しなさいっ!」

「ひ、ひよりちゃん顔が怖いよっ!? 後でちゃんと説明するからあっ!?」

「今しなさいっ! 付き合って二週間でそんなことするような子に育てた覚えはないわよ!?」

「うわあんっ!? だから違うんだってばあっ!?」


 周囲をく人々がぎょっと目を見張る中、私と真昼ひまは通学路で本気の追いかけっこを繰り広げた。ついさっきまで「大事な親友が取られて寂しい」なんて繊細せんさいなことを考えていたような気もするが、そんなものは後ろへ放り出しての全力疾走である。

 年甲斐としがいもない追走劇は学校に到着するまで続き、そして下駄箱に飛び込んできた私たちを見て雪穂ゆきほとアキの二人が「なにやってんの」と言わんばかりの呆れ顔を向けてきたが――これ以上は語らないでおこう。

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