第二八七食 旭日真昼と一人ぼっち


 二十四節気にじゅうしせっきの二四番目、〝大寒だいかん〟。それは一年で最も寒い瞬間、またはその日付を指す言葉である。

 日本のこよみで言えばおおよそ一月二〇日前後に訪れるので、そこからは少しずつ春へと向かっていくわけなのだが……逆に言えば一月二〇日を迎えるまではまだまだ気温は下がるということ。一月前半の今日などは、文字通り身を切るような寒さだった。


「うー、寒っ……!? もう今日、バイクやめて歩いて行こうかな……」


 うたたねハイツの駐輪場からミラーが真っ白にくもったバイクを引っ張り出したゆうは、防寒具を貫通する冷たさに肩を震わせながらぼそりと愚痴ぐちる。それに対して「え?」と首を傾けるのは、玄関前まで見送りに出てきた真昼まひるだ。


「歩いて行って、授業にに合うんですか?」

「……間に合いませんね」

「あははっ。お兄さんったら、いつもギリギリまでコーヒー飲んでますもんねえ。もっと時間に余裕持って動いた方がいいですよ?」

「い、いいんだよ、別に遅刻するわけじゃないし」


 優等生らしいその言葉にむすっと唇を結び、青年がヘルメットを頭にかぶる。夏場はれて最悪だが、冬は顔を寒気かんきから守ってくれるのでがたい。難点と言えば、信号待ちなどでシールドが吐息といきで白く染まってしまうことくらいか。


「真昼は来週の頭から学校だっけ?」

「あ、はい。月曜日からです」

「ちゃんと宿題とか終わらせとくんだぞ? 冬休み最終日にまとめてやろうとすると絶対泣きを見るからな?」

「え? 去年のうちにもう終わらせましたよ? 早く終わらせた方が、冬休みを思う存分満喫まんきつ出来ますし!」

「流石かよ。ほんとえらいなあ、真昼は」


「俺が高校生の頃とは大違いだ」と言いながら、夕が手袋越しの手でわしゃわしゃと少女の頭をでる。


「も、もう、お兄さんっ! 子ども扱いしないでくださいようぇへっへえへへへっ」

「そんな満面の笑みで言われましても。それじゃ、もう行くな?」

「あっ……は、はい……」


 乗せられていた夕の手が離れていった途端、名残惜なごりおしそうな表情を浮かべる真昼。乾燥した空気と静電気のせいで髪がボサボサになっているが、それはあまり気にしていない。


「いってらっしゃーい……はあ、行っちゃったあ……」


 駆動エンジン音を響かせて駐輪場から出ていく恋人の背中に手を振った後、一人残された少女は露骨にしゅんとしてしまう。冬休み期間の二週間弱はほとんどずっと一緒に居られただけに、寂しさも倍増だった。学校に行ったり友だちと遊んだりすれば少しは気もまぎれるだろうが、生憎あいにく今日は一日、なんの予定も入っていない。


「……お兄さん、早く帰ってこないかなあ……」


 今出ていったばかりのいとしい彼に早くも想いをせる真昼は、手櫛てくしで髪をきながらとぼとぼと自室へ戻る。年始休の間にほこりが溜まった階段を上がり、誰もいない二〇五号室の玄関で小さく「ただいまー……」。当然、返ってくる言葉はない。

 台所を抜けて部屋へ入り、着ていった厚手のコートを脱ぎ捨て――ようとしたところで思いとどまった。ここで床に放ってしまえばせっかく上げた〝女の子パワー〟も台無しだ。きちんとハンガーに掛けて軽くで付け、ついでに朝起きたままになっていたベッドの布団も綺麗にならす。整頓せいとんされた部屋を維持する秘訣ひけつは〝どう片付けるか〟よりも〝いかに散らかさないか〟。基本にして極意ごくいである。


「(お兄さん……お兄さん……お兄さん……)」


 ベッドのはしに腰を下ろし、天井を見上げながらぼんやりと彼を連呼していた真昼は、やがてはっとしてぶんぶんと首を振った。


「(だ、ダメダメ、寂しいからって暗くなってちゃ、せっかくの冬休みが台無しだよ。もっと楽しいこととか、嬉しいことを考えなくっちゃ。えーっと……あ、そういえばさっき、お兄さんが頭を撫でてくれたよねっ!)」


 普段夕の方からスキンシップをとることはほとんどないため、地味に貴重な体験である。そっと彼が撫でてくれた部分にれると、なんだかほんのりと彼のぬくもりを感じられるような気がした。


「(えへへ、なんか恋人同士になったみたいっ! いや恋人同士だけどっ! もしかして私たちって今、すっごくラブラブカップルさんだったりするのかもっ!? えへ、うへへへへっ……!)」


 込み上げてくる充実感に、真昼は手近にあった枕をぎゅうっと抱き締めてごろごろとベッドの上をころがり回る。頭の中は青年のことでいっぱいで、彼にがれていた時期と比べてもさらに想いが強まっていた。


「はあぁ……お兄さん、早く帰ってこないかなあ……」


 瞳を切なげにうるませながら先ほどと同じことを呟き、静かに携帯電話の電源を入れる真昼。待受画面に設定してある、初日の出を見に行った際に撮影さつえいしたあの写真を見つめていると、自然と大きなため息があふれ出てしまうのであった。

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