第二八三食 家森夕とラブロマンス②

 俺と真昼が選んだ恋愛映画のタイトルは『それでも僕は君と』。とある洋服店で働く男女が恋に落ちるも、女の許嫁いいなずけやら男の元カノやらの登場によって物語が二転三転していく、まあよくある粗筋ストーリーだ。

 俺は「二時間弱でこの話が上手くまとまるのか」とか「どうせ最後はタイトルの台詞せりふで締めるんだろ」とか、これまでこの手の作品にれてこなかっただけにやや高慢こうまんな構えで視聴しちょうを始めたのだが……これがなかなかどうして、めちゃくちゃ面白い。登場人物の動かし方や心情描写はもちろん、カメラワークから言葉選びに至るまで全てがハイレベルで、さらにそれらが互いに足を引っ張ることなく、絶妙に調和ちょうわしている。無論、主演俳優・女優陣の演技も迫真はくしんの仕上がりであり、おかげでぐいぐい話に引き込まれていく。

 正直、恋愛映画を舐めていた。この完成度であれば、普段は辛口からくち意見の多いレビューサイトにおいて軒並み高評価だったのも頷けるというものだ。


「んぅおおおっ……! がんばれっ、がんばって、ハナコ……!」


 ふと隣を見ると、真昼まひるは横向きに置いた携帯電話の液晶画面を目掛めがけて必死のエールを送っていた。俺の右耳から垂れている左右一体型ワイヤレス・イヤフォンのコードが、彼女が上下に振り回す拳に合わせてゆらゆら揺れる。


「ま、真昼? 大事な場面で興奮するのは分かるけど、ちょっと落ち着こうな?」

「あっ、ご、ごめんなさいっ」


 即座にピシィッ! と背筋せすじを伸ばして座る少女に対し、俺は「別に居住まいを正す必要はないけど」と笑う。

 今、俺たちはカーペットの上で肩を並べて座り、ついでに一つのイヤフォンを片方ずつ共有しながら映画をていた。というのも今回は画面がたったの五インチしかない携帯で上映会を行っている関係で、こういう形にせざるを得なかったのである。

 もちろん俺の部屋に戻ればノートPCもあるし、なにもこんな環境で視聴する必要はまったくない。もっと言えば画面との距離がこの程度なら、わざわざイヤフォンを使わなくてもスピーカーで十分事足りるはずだ。しかし、そんな俺の冷静かつ合理的な指摘してきは、うちの彼女がはにかみながら口にした「だってこうやって観た方が恋人っぽくないですか?」の一言によってえなく撃墜げきついされてしまった。……理屈が通用しないとか、〝可愛い〟って本当にズルい。

 そういった経緯いきさつで映画を観始めたのが一時間二〇分ほど前。映画も四分の三地点に差し掛かり、今はヒロインの〝ハナコ〟が、元カノに言い寄られて揺らぐ主人公〝タロウ〟の自宅へ押し掛けた場面ところだ。


『あんな女に貴方をとられるくらいならッ!』

『は、ハナコ!?』

『――既成事実きせいじじつでもなんでも作って、貴方を私だけのものにしてやるわ……!』


「(ぜ、全年齢対象でも結構ギリギリの描写があるんだな……)」


 自室でハナコに押し倒されたタロウにどことなく親近感を抱くと同時に、微妙な気まずさを覚える俺。一人の時であれば「へー」くらいにしか思わないが、女の子と二人きりの現状をまえた途端に変な汗が浮かぶのだから不思議なものだ。いてたとえるとすれば、親が一緒に居る時にテレビから芸人のシモネタが流れてきた際の空気に近い。

 チラリと真昼の様子をうかがってみると、少女は片手を唇に当てながら「あ、あわわわわっ……!?」と食いるように液晶を見つめていた。すると不意に彼女の方もこちらを見上げてきたので、ばっちり視線が合ってしまった俺たちは慌ててバッと顔をそむけ合う。……なんだこれ。


『ハナコ……ごめん、ごめんな……』

『た、タロウ……ううっ、ぐすっ……! 私こそ、ごめんね……!』


 そんなことをしている間にどうやらタロウ氏はハナコさんと仲直りが出来たようで、画面には固く抱き締め合いながら謝罪を繰り返す二人が映っていた。おそらくここが本作一感動するシーンなのだろう、バックでは主題歌の器楽曲インストが流れ始め、タロウたちは瞳に涙を溜めながら愛の言葉をささやき合っている。制作陣が「さあ泣け!」と言っているのが聞こえてくるかのような盛り上がりっぷりだ。


「(い、一番いいとこ見逃した……)」

「は、ハナコぉ……! よかった、よかったねええぇ……っ! ぐすっ、ぐすんっ……!」

「(そんで、なんで真昼きみはちゃんと感動出来てるんだよ。俺と一緒にハイライト見逃してたはずだよな? どこにそんな号泣ごうきゅうしてんだ)」


 感受性が豊かすぎる真昼に脳内でツッコミを入れている間も、映画はテンポ良く終幕へ向かっていく。タロウは元カノにスッパリ別れを告げ、ハナコも父親に許嫁の件を不問にしてほしいと嘆願たんがん。きちんと話をしてみれば悪役じみていた他の登場人物たちもいい奴らばかりで――と、王道ながらも後腐れのない、スッキリとした展開だ。現実リアル路線を突き詰めた作品が好みという人には少々物足りないかもしれないが、個人的にはこれくらいのハッピーエンドの方が分かりやすくていい。


「(あとはキスの一つでもしてお仕舞しまいかな? いやあ、本当に綺麗にまとめたもんだなあ……)」


 と、俺が心の中で拍手を送ろうとしたその時、俺の右手がなにか温かいものに包まれた。なんだろうかと目を向けてみると、その正体は真横に座る少女から伸びる小さな左手。


「ま、真昼……?」

「……」


 どうにか動揺を押し隠して聞いてみるも、彼女は淡い桃色に染まった横顔を晒したまま、俺の手を握り続ける。い、いったいどうしたんだろうか。いや、真昼のことだ、「ちょっと握ってみたくなりました、てへっ」などと言い出してもおかしくはないのだけれども。

 するとイヤフォンから映画のエンディングテーマが流れ始め、画面を見ると同棲どうせいを始めたとおぼしき主人公とヒロインが部屋の中で向かい合っていた。そして彼らはおもむろ抱擁ほうようわし――


『ハナコ、愛してるよ』

『タロウ……うん、私も――』


「……っ」


 二人の唇が触れ合った瞬間、真昼の手にきゅっと力が込められる。わずかに絡んだ指先から彼女の体温が伝わってくるような感覚。手を繋いでいる――ただそれだけのはずなのに、俺の心臓はドクドクと大きく脈を打っていた。


「……お兄さんは」


 熱をびた瞳で、少女がこちらを見て言う。


「お兄さんは、キスってしたことあるんですか?」

「えっ……い、いや、ない、けど……」

「……そうですか」


 真昼の手に、さらに少しだけ力が込もる。それはなにかを求めているようであり、一方でなにかを恐れているようでもあり。

 どうすればいいのか分からずにいると、彼女はやがて「ふふっ」とその相好そうごうを崩した。


「また一つ、お兄さんとが増えちゃったかもしれません」


 形の良いつややかな唇に浮かんだ微笑が、しばらく俺の網膜もうまくに焼き付いて離れなかった。

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