第二三二食 自炊少女と病人食⑤

「ンじゃ、オレァもう帰るからな」

「え、あ、ああ」


 真昼まひる作の雑炊ぞうすいを綺麗に食べ終えたのとほぼ同時に立ち上がった千鶴ちづるに、ゆうは「もう?」と発しかけた口を閉ざす。長居すれば風邪を移してしまうかもしれないのだから、社交辞令しゃこうじれい的意味合いであろうと引きめるようなことを言うのは迷惑だろうという判断だ。


「なんか悪いな、千歳ちとせ。わざわざ来てもらったのに」

「うるせェよ、ただの見舞いにいちいち謝ってンじゃねェ」

「お前ってほんと、顔に似合わず優しい奴だよな」

「うるせェっつってンだろ! あと『顔に似合わず』は余計だ! ったく、毎度ガラにもねェことするとロクなことにならねェ……」


 高等部の文化祭のことを思い出しているのか、しかめっつらで金髪をかき上げる女子大生。それを見て苦笑した夕は、改めて彼女を見上げて言った。


「今度は普通にメシ食いに来てくれよ。今日の礼もしたいし……それに真昼も喜ぶだろうからさ」

「……ふ、フン、考えておいてやる」


 どこまでも素直じゃない態度を取る友人に「こいつこそツンデレだよなあ」と心中でこぼす。不興を買うことは目に見えているので、わざわざ口に出すようなおかさなかったが。

 すると千鶴が「あァ、そうだ」と呟き、脇に置いてあったビニール袋をテーブルの上に置いた。中にはリンゴやミカンがどっさりと入っているのが見える。


「やる」

「あ、ありがとう」


 ここで「これ、お見舞いの品ね」とは言わないあたりが千鶴クオリティーらしい。


「それにしてもすごい量だな……買ってきてくれたのかよ?」

ちげェ、うちのバイト先で大量に貰った余りだ。食いきれねェからてめェも食え」

「なんだ、在庫処分かよ……って、お前ってバイトとかしてたっけ? ああ、バイク屋とか?」

「バイク屋から果物くだもの貰ってくると思ってンのかてめェは」

「じゃあどこだよ? 八百屋やおや?」

「……。……ケーキ屋」

「け、ケーキ屋? へ、へえ、そりゃまた……い、意外だな?」

「う、うるせェ!? どうせ似合ってねェよ、悪かったな!」


 別に夕は「似合っていない」とは言っていないのだが……しかし照れ隠しのためか、いつも以上の悪人面で睨み付けてくる様はたしかにケーキ屋さんとは程遠い気がした。


「で、どこのケーキ屋だ? この辺なんだろ?」

「教えるわけねェだろ!」

「なんでだよ、せっかくだしクリスマスケーキとか買いに行かせてくれよ」

「絶対言わねェ! てめェに知られたらどっかのバカも来るだろうが!」

「……な、なんかごめん」


「えっ!? 千鶴ちゃんあそこのケーキ屋さんでバイトしてんの!? よーし、じゃあ今度お店まで見に行くよ! もちろん夕も行くよね!?」とはしゃぐ姿が容易に想像できるどこかのイケメン女子大生を想起し、それ以上の追及をとどめる夕。流石の彼女も仕事中の千鶴を邪魔するほどの馬鹿ではないと思うが、本人が嫌がっているのだから仕方がない。……相変わらず、この二人は仲が良いのか悪いのか。


「と、とにかくてめェは薬飲んでさっさと寝ろ! もし長引かせでもしやがったらぶっ飛ばすぞ!」

「病人にその仕打ちは酷すぎる……」


 夕の手元からからになった鍋を奪い、背を向けてさっさと帰っていってしまう千鶴。

 そんな彼女の背中にもう一度投げ掛けた「ありがとな」という言葉が果たしてきちんと届いたのかは、青年には判別出来なかった。





 それから二日後、私立歌種うたたね高校の一年一組にて。


「おっはよー!」


 三日前とは打って変わり、真夏の太陽よりもまぶしい笑顔を浮かべて登校してきた真昼を見て、クラスメイトたちが一様にホッとした表情を浮かべる。クラスのマスコット的存在である彼女が元気な姿を見せたというだけで、教室の蛍光灯が倍ほども明るくなったように感じてしまうから不思議だ。


「おはようっ! 雪穂ゆきほちゃん、亜紀あきちゃん!」

「まひるんおはよー」

「おはよ。……その様子だと〝お兄さんへ〟、もう良くなったんだ?」

「うんっ! 今日は三日ぶりに一緒に朝ごはん食べてきたんだ! それにお兄さん、『真昼が雑炊作ってくれたおかげだよ』って言ってくれたの! えへへーっ! どう、どうっ!? すごいでしょっ!?」

「うぉうあぉううぉうっ!? わ、分かったから手掴んだままそんなブンブン振んないでっ!? 取れるとれる、肩取れるっ!?」


 ハイテンションな真昼に文字通り振り回される眼鏡少女を眺めつつ、亜紀は「いやー、よかったよかったー」と呑気のんきに目を細める。


「ここんとこまひるん、ずっと生ける屍リビングデッドみたいになってたもんねー。元気になってなによりだよねー、ひよりん?」

「まあ、ちょっと元気になりすぎだけどね……朝から『お兄さんが』『お兄さんが』ってうるさいくらい聞かされたよ」

「あははー、それはご愁傷さまー」


 少女の直射日光を単身浴び続けた親友ひよりが珍しく机に伏したのを見て笑うゆるふわ系少女。どうやら真昼が元気になっても、結局彼女の気苦労はえなかったようだ。


「でもほんとよかったよー。まひるん、元気なさすぎて先生たちからも心配されてたもんねー。現国の先生とか露骨にオロオロしながら『あ、旭日あさひ、具合が悪いなら保健室に行ってきたらどうだ……?』とか言ってたしさー。いつもは私が『お腹痛いでーす』って嘘ついても鼻で笑って流すくせにー」

「それはあんたが常習犯だからでしょ……普段が優等生なあの子が突然ああなったら先生たちだって心配するわよ」

「なにその〝雨の日に仔犬を拾う不良〟の逆バージョンみたいなのー。でも実際、まひるんってちゃんと勉強してたのかなー? 週明けすぐに期末だよねー? おにーさんのこと心配しすぎてなにも手に付かなかったりしてないー?」

「いくらあの子でもそれはないと思うけど……」


 そう言いながらも、雪穂を直射日光で焼いている最中の真昼を見るひよりの瞳には、どこか心配そうな色が混じっていた。

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