第二二七食 大学生組と寒い朝


 人は愚かな生き物であるため、小さな火種ひだね一つで簡単にいさかいを起こしてしまいがちだ。代表的なものをいくつか挙げてみよう。


『飼うとしたらイヌか? ネコか?』

『遊びに行くなら海か? 山か?』

『大切なのは顔か? 心か?』

『交際相手に求めるのは愛か? 金か?』

『朝食に相応しいのは米か? パンか?』

『洋画を見るなら字幕か? 吹き替えか?』

『幸福なのは既婚者か? 独身者か?』

『日本が誇る麺類はうどんか? ラーメンか?』


 この他にも『何とは言わないがきのこか? たけのこか?』、重大なものだと『死刑制度は維持すべきか? 廃止すべきか?』など、俗に〝永遠のテーマ〟と呼ばれ、決着のつかない議論の種はそこら中に転がっていたりする。

 これらの面白いところは、自分がどちら側の立場についていようとという点だ。たとえば俺はネコ派の山派のたけのこ派だが、イヌも可愛いと思えば今年の夏に遊びに行ったのは海だし、きのこだって普通に食べる。朝食は米になりがちだが、「じゃあ明日からパンは禁止な」と言われたらそれはそれで困るわけで。要するにこれらの議題が〝永遠のテーマ〟である所以ゆえんは、俺も含めた大半の人間が〝どっちつかず〟であるからこそなのではないだろうか。

 さて、それではミスターどっちつかずの俺から新たな火種を一つ。


『過ごしやすい季節は夏か? 冬か?』


「夏に決まってんだろそんなもん……!」

「なに一人で自問自答してんのさ、ゆう


 ある朝。ダウンジャケット越しの両腕をさすりながら大学の講義室へ入ると、隣を歩いていた青葉あおばがそんなツッコミを入れてきた。珍しく遅刻もサボりもせずに通学してきた友人に、俺は思わず恨みがましげな目を向ける。


「……そもそも自問自答は一人でするもんだろ」

「なんのげ足取り? というかキミ、そんな寒さに弱いタイプだったっけ?」

「冬場のバイクは死ぬほど寒いんだよ……ぐしゅっ! あー……日本もハワイみたいな常夏とこなつにならねえかな……」

「夏は夏で『ヘルメットが汗でれる』とか文句言ってたじゃないか。はい、ティッシュ」

「……サンクス」


 垂れそうになった鼻水を、青葉が差し出してくれたポケットティッシュで受け止める。なんだか寒い屋外から暖房の聞いた部屋に入ると鼻水が出やすいような気がするのだが、これはヒトの生理現象的な何かなのか、それとも俺個人の体質なのか。討論ディベートの議題には使えなさそうなことを考えつつ、ヂーンッ、と鼻をかむ。


「くそぅ、なんか今日はやけに冷え込むな……」

「そうかい? 私は昨日の方が寒かった気がするけど」

青葉おまえはバス通学だから分からないだけだろ」

「残念でしたあぁ~、最近は徒歩通学にしてるんですうぅ~っ!」

「なんだその表情かお、すげえムカつくんだけど」


 学生で溢れた大講義室の最前列に座る俺たち。もちろん真面目だからとかそういうことではなく、単に講義開始ギリギリの時刻であったため、最前ここしかいていなかったというだけのことだ。まあ青葉とほぼ同着だった時点で、こうなることは分かっていたが。

 外と比べればだいぶ暖かいとはいえ、出入り口が部屋の前方にあるためかこの位置だとやや寒く感じる。外から流れ込んでくる空気が、暖房の熱を押し退けてしまっているのかもしれない。


「そういえば夕、クリスマスってどうするか決めてる?」

「は? どうするもなにも……俺にとってクリスマスは平日と大して変わらないけど」

「悲しすぎるでしょ。というか高校時代までは知らないけど、去年は私たちとパーティーしたじゃんか!」

忘年会ぼうねんかいを兼ねていつもの安居酒屋で飲んだだけだろ……あれを〝クリスマスパーティー〟って呼ぶ方が悲しいっつの。そういうお前こそ、今年は冬島ふゆしまさんと過ごすんだろ?」

「まあね。雪穂ゆきほが『是非うちでパーティーしましょう!』って誘ってくれてるからさ」

「えっ……あ、あの子の家でか? ……だ、大丈夫なのか? その……」

「あはは、女同士だからって意味なら大丈夫だよ。というか付き合い始めてすぐくらいに、雪穂のご両親には会いに行ってるからね。『雪穂がそれでいいなら』って、普通にあっさり許可してくれた」

「そ、そうなのか」


 正直、かなり意外だった。俺はてっきり女同士で付き合っていることは隠しているのだとばかり思っていたが……いや、青葉こいつの性格を思えばその方がおかしいか。普段はだらしなくても、キッチリするところはキッチリするヤツだしな。

 俺がわずかな尊敬をにじませた瞳で見ていると、それに気付いた彼女は胸元をかき抱いて頬を染めた。


「いやぁんっ、どこ見てるのぉ? もぉ~、ゆぅくんのえっちぃ」

「そのキモいねっとりボイス止めろ、キモいから」

「二回言ったね? 今『キモい』って二回言ったね? 二倍傷付いたからね?」

「そんなん知らんわ……ぐしゅっ!」


 一瞬でも青葉こいつのことを尊敬して損した、と思いながら、もう一度くしゃみを吐き出す。


「(クリスマスか……真昼は小椿こつばきさんたちと過ごすのかな……パーティーはともかく、プレゼントくらいは用意しておいた方がいいか)」


 つい先日も友人たちと勉強会を開いて頑張っていた隣人の少女のことを考えつつ、俺はぶるりと身を震わせた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る