第二〇八食 お出かけデートとお弁当③

「ふっ、ふおおおおおおおおおおっ!? は、はやいっ! はやいですっ!? こ、これが時速一二〇キロの世界ですかっ!?」

「いや四五キロしか出してないわ」


 うたたねハイツを出て一〇分。後部座席で背中にしがみつきながら興奮したように叫んだ真昼まひるに、ハンドルを握るゆうが苦笑した。〝50〟という制限速度標識が立つ幹線かんせん道路の左端を少しだけゆったりしたスピードで走る二人のバイクを、ハーフヘルメットを浅くかぶった原付ライダーたちが追い抜いていく。


「い、今ので四五キロ? ち、ちなみにこのバイクってどれくらい速度出せるんですか?」

「最高速の話か? うーん、どうだろうな……出したことないけど、二五〇ccなら一五〇キロとかそれくらいじゃないかな」

「ひゃくごじゅうっ!? そ、そんなの私、気絶しちゃう自信があります……」

「はははっ! 心配しなくても、普通に生きてればそんな経験なんて一生こないよ」


 現在、日本国内における法定速度は一般道が時速六〇kmまで、高速道路が時速一〇〇kmまで――一部では一二〇kmまでの区間もあるが――となっている。つまり法律にのっとっている限り、少なくとも公道においては時速一五〇キロを経験することなどあり得ない。もっとも、実際の道路ではこれらの法定速度が完璧に守られていることの方がまれなのだが。


「そう考えたらリニアモーターカーってやっぱりすごいんですね」

「ん? ああ、最高時速六〇〇kmとかだっけ? 単純に考えてもこのバイクで思いっきり走るより四倍も速いんだから、たしかに凄いよな」


 信号待ちの最中、つい最近社会の授業で教わった話を振った真昼に、夕が同意の首肯しゅこうを返した。

 参考までに、いわゆるママチャリの平均時速はおよそ一五km前後、高校生男子の五〇m走の平均記録を時速換算するとおよそ二五km弱になると言われている。


「もしそんなのにかれちゃったら私、死んじゃうかもしれないです……」

「絶対〝かも〟じゃ済まないだろ。時速六〇〇キロに轢かれたら死んどこうよ、人として」

九死きゅうしに一生を得るかもしれませんよ?」

万死ばんしに一生も無理だろ」

「でも〝高校生が走るより二〇倍くらい速い乗り物〟って言われたら、なんとなく生き残れる気がしませんか?」

「……言葉のマジックって怖いな」

「ですね。ふふっ」


 高校生が走るより二倍くらい速い乗り物に乗りながら、二人は他愛もない話で盛り上がる。色気の欠片かけらもない内容、さらに耳をすっぽりとおおうヘルメットや周囲の走行音のせいで相手の声が半分以上聞こえないような状況だったが……普段、二人で食事をしている時にわすような何気ない会話が、いつの間にか真昼の腕から緊張をほぐしてくれていた。


 そして出発から約四〇分後。予定よりやや遅れはしたものの、彼らは無事に第一目的地であるショッピングモールに到着した。駐輪場にバイクをめてから降車し、ヘルメットやプロテクター類を外してから二人揃ってうーん、と身体を目一杯に伸ばしてみる。疲れるほどの行程こうていではなかったはずだが、互いに慣れない状況に気を張ってしまったのだろう。


「でも……えへへ。バイクでお出かけって、すっごく楽しいですね!」

「そ、そうか。……それならよかった」


 お日様のような笑顔を浮かべる少女に、なにやら背中に残る感触を気にしていたらしい青年も穏やかな笑みを取り戻す。


「しかし、これからどうする? 目的もなくこんなとこまで来てみたけど……なにか買いたい物とかあるか?」

「はい、はいっ! 服! 服を見たいですっ!」

「服?」


 真昼らしからぬ言葉に、夕が怪訝けげんそうに眉をひそめる。お洒落しゃれにはとんと無頓着むとんちゃくな彼女らしからぬ発言に違和感を覚えたのだろう。


「いや、いいんだけど……でも本当に服が見たいのか?」

「はいっ!」

「別に無理しなくても、スーパーの試食コーナー巡りとかでもいいんだぞ?」

「お、お兄さんは私のことをなんだと思ってるんですか!?」

「食いしんぼう女子高生」

「そんなことっ――な、なくはない、かもしれないですけど……で、でも私だって最近、自分でお洋服を見たりしてるんですからね!? ……亜紀あきちゃんからは『まひるんってほんとセンス死んでるよね……』って真顔で言われましたけど……」

「やっぱり死んでるんじゃないか」


 夕が半眼でそうツッコミを入れると、可愛い顔とは不釣り合いなほど女子力が低い少女は「そんなことないもんっ!?」と涙目で抗議する。


「こないだなんてリップクリームを買っちゃったんですからね!? おやつを一つ我慢してまで! 自分のお洒落意識の向上が怖いくらいです!」

「おやつ一つと同じ天秤てんびんに乗せられてる時点でたかが知れてるだろ。しかもそのリップクリーム、一〇〇均で売ってる薬用のやつじゃねえか」

「ふっふーん! おかげで乾燥しがちなこの季節でも唇ぷるぷるですよ!」

「なんでちょっと自慢げなんだよ」


 そう言いつつも、少女の形の良い桜色の唇に目を奪われてしまったらしい青年は、しかしすぐさま視線を他所よそへ逃がした。別にやましい気持ちがあったわけでもないだろうが、妙な罪悪感を覚えたのかもしれない。……もっとも、フフンと胸を張っている当の本人はそのことに気付いてさえいなかったのだが。


「とにかく、せっかく来たんですから色々見て回りましょう! 試食コーナーは最後のお楽しみです!」

「わ、分かった分かった。……やっぱり試食したいんじゃないか」


 嬉しげに青年の腕を引く真昼と、そんな少女にもはや慣れた様子で付き従う夕。休日のショッピングモール内を連れたって歩く彼らの姿はやはり仲の良い兄妹きょうだいのようで――それでいて少しだけ、恋人のようでもあった。

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