第二〇七食 お出かけデートとお弁当②

「よし、と。それじゃあ行こうか」

「はいっ!」


 いつも通り二人で朝食をった後、真昼まひるゆうはうたたねハイツの駐輪場前にいた。南東の空に輝く太陽のおかげか、朝方までと比べてかなり過ごしやすい気候になっている。

 肩や腕・足首などを簡単に回して準備運動をし、少女がヘルメットとプロテクターを装着し終えてから、青年が出発前の最終確認を行う。


「こないだちょっとだけ駐車場そっちで練習したから分かってるとは思うけど、念のためにもう一度言っておくぞ。まず二人乗りで一番怪我けがをしやすいのはりの時だ。乗る時は俺、真昼の順番。降りる時は真昼、俺の順番。どっちの場合も俺が『いい』って言うまでは乗り降りしないこと。OK?」

「はい!」

「それから走行中はなるべく運転者おれの動きに合わせてくれると助かる。右に曲がるなら右に、左に曲がるなら左に身体を傾けて……といっても後部座席うしろから見たら次どっちに曲がるかなんて分からないだろうし、最低限、逆方向に身体をらしたりしないでくれればいいよ」

「分かりました!」


 ビシッ、と元気よく敬礼のポーズをとった真昼に、夕が「よし」と満足げに頷く。


「それと走行直後はマフラー……えっと、排気ガスを出すところがめちゃくちゃ熱くなるから十分注意してくれ。ガードをけてるから普通に乗る分には問題ないけど、もし素手で触ったりしたら火傷やけどしちゃうからな」

「了解です!」

「あとは……って、これ全部昨日の晩飯の時にも話したばっかりだな。試運転でもなにも問題なかったんだし、これくらいにしておこうか」


 心配性な自分が恥ずかしくなったのか、青年は頬をきながら相好そうごうを崩した。ただ今回については真昼を子ども扱いしているからではなく、タンデムツーリングをする上では誰もが気を付けねばならないことだからこそだろう。交通事故による死者数は年々減少傾向にあるそうだが、それでも国内では毎年何千人という人が亡くなっているのだ。運転者として、年長者として、彼には少女の安全を確保する義務と責任がある。


「まあ今日は一般道したみちしか走らないし、俺もしっかり安全運転で行くから安心してくれ。折角せっかくの機会だ、真昼にも楽しんでもらわないとな」

「お兄さん……!」

「……ところで真昼さんや。話は変わるんだが……なんだい、その大荷物は?」

「え? あ、これですか?」


 真昼は背負っている大きなリュックサックを指差し、そして「ふふーん」と得意そうに胸を張った。


「これは後でのお楽しみです! きっとお兄さん、びっくりしちゃいますからね!」

「今朝、ベランダの方からやけにいい匂いがしてたけど……もしかしてそれと関係あるのか?」

「そっ!? そそそ、それはど、どうでしょうかねっ!? わわ、私にはよく分からないですけどっ!?」

「お、おう……図星ずぼしだったんだな、すまん」


 相変わらず嘘が吐けない少女の意思をんでくれたのか、青年は少女の背中からそっと目をそむけた。そしてバイクハンドルにかけてあったジャケットに袖を通し、ヘルメットとグローブを装着していく。少女と違って手足の保護具プロテクターけていないが、靴だけは鉄心てっしん入りの安全靴のようだ。


「じゃあ、今度こそ行こう。後ろに乗ってくれるか?」

「は、はいっ!」


 運転席に座った夕にそう言われ、真昼がやや緊張した面持おももちで後部座席に足を掛けた。練習の時はアパートの駐車場の中しか走らなかったので、公道へ出るのは正真正銘、今日が初めてである。


「お、おおぅ……! や、やっぱり自転車より高いです……!」

「ははは、そりゃそうだろ」


 不慣れな少女ならではの感想に青年が明るく笑う中、どうにか乗り込んだ真昼がタンデムステップに足を乗せ――そしてそのまま、夕の腰に腕を回してぎゅうっとしがみついた。瞬間、青年の全身がガチッと強張こわばる。


「え……あ、あの……真昼、さん……?」

「は、はいっ! な、なにか間違ってましたか!?」

「い、いや、間違ってるっていうか……な、なんでそんなにしがみついておられるんですか?」


 ちなみに練習の時は軽く腰に手を回し、彼の動きに連動出来るようにしていた程度だったのだが……今の真昼は互いの身体が密着するほどに強く抱きついている。当然、発育途中の胸の膨らみが青年の背中に衝突し、そして互いに厚手の衣服越しだというのに、その存在と弾性をこれでもかと主張していた。

 補足しておくと、タンデム走行において安全性を考慮するなら過度な密着は厳禁である。運転者の動きを阻害そがいしてしまうし、ヘルメット同士が衝突してバランスを崩すきっかけになりかねないからだ。……あとは男女ペアの場合、が運転者の思考をさまたげてしまうこともありる。


「す、すみませんっ!? そ、その……ちゃんとした道に出るんだと思ったら、なんか怖くなっちゃって……!」

「そ、そうか」


 どこか震えた声で訴える真昼に、青年が「一回道路に出ておくんだった……」と先立たぬ後悔を口端くちはからこぼした。運転免許を一つも持っていない少女からすれば、車道に出るのが怖いと思ってしまうのも無理はないだろう。


「……分かった。じゃあ今はこのままでいいから、車道みちに出て慣れてきたら力を抜いてくれるか? この状態、あんまり安全とは言えないから」

「は、はい! ありがとうございますっ!」

「よし、じゃあゆっくり行くからな。エンジン掛けたらあんまり声聞こえなくなるから、なにか伝えたいことがあったら肩でも叩いて知らせてくれ」

「わ、分かりました!」


 真昼が答えると、静かな駆動音がバイクから響いた。ブルブルと振動が下半身から伝わってくる中、少女は両腕に込めた力をほんの少しだけ強くする。


「(恥ずかしいけど……あったかい)」


 密着した背中から、彼の体温がじんわりと真昼の体内まで染みってくる。エンジンの音より、激しく脈打つ自分の心臓の方がうるさいくらいだった。

 こんなにぴったりくっついて、青年の方はなんとも思っていないのだろうか。それとも少しくらいはドキドキしてくれているのだろうか。顔を覆うヘルメットさえなければ、背中に頬を寄せて確認することも出来たのかもしれない。


「(えへへ……)」


 初めてのバイクと彼の体温。緊張と安堵あんどという相反あいはんする二つの感情をいだきつつ、真昼は胸を高鳴らせる幸せに身体を預ける。

「本当に無防備すぎる……天然怖い……」――赤い顔をした青年が口内でころがした言葉は、少女の耳に届く前にかき消えていった。

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