第二〇四食 家森夕と二人乗り③


「悪いな、千歳ちとせ。わざわざ時間作ってもらって……」

「謝ってンじゃねェ、家森テメェのためじゃねェっつってンだろうが」

「ありがとうございます、千鶴ちづるさんっ!」

「お、おう。気にすんな」


 さらに翌日の夕方。相も変わらず真昼まひるにだけは優しい金髪ヤンキー女子大生に協力をあおいでやって来たのは、大学から徒歩一五分くらいのところにあるカー用品店だった。


 主人が半分趣味で始めた個人経営だと聞いていたのに、なかなか大きな店である。敷地面積だけで見るなら俺が地元で利用していた工務店の倍ほどはあるだろうか。男の仕事のにおいが立ち込める工場こうばと隣接している店舗スペースは一見すると雑多ざったな印象を受けるが、しかし商品類にはほこりの一つすらついておらず、こまめに手入れがなされていることを如実に物語っている。

 カー用品店だけあって商品の八割ほどは自動車用のメンテナンス工具ツールやカーケア用品だったものの、二輪車バイク関連の品揃えが悪いというわけでもない。流石にパーツ類を豊富に取り揃えるようなマニアックさこそないが、一般のライダーが求める商品であればすべて押さえてある、といったところか。つまり、俺たちには十分すぎる店である。


 真昼が入り口のところにデンと置かれている巨大なタイヤ――おそらくは客寄せ用だろう――を見て「ひえー……」と口を開けているのを横目に店内へ入ると、どうやら今は他のお客はいない様子だった。入り口横のレジカウンターには「御用の方はベルを鳴らしてください」という手書きの立てふだが置いてある。


「おばちゃん、いる?」


 千歳が隣にいる人に話し掛けるような、しかしその割によく通る声をカウンターの奥へと向ける。すると「あらあら、はいはいはい」と、まさにおばちゃんらしい間投詞かんとうしを繰り返しながら、店の奥から恰幅かっぷくのよい……というと失礼かもしれないが、かなりがっしりした体格の女性が現れた。年齢はおおよそ四〇~五〇代くらいだろうか。


「あら、ちーちゃんじゃない、いらっしゃ~い! 今日はどうしたのかしら? バイクのメンテナンス?」

「ううん、今日はちがくて。ちょっとあの子が使うヘルメットとプロテクターを探してンだ」


 ちーちゃん……? と、この金髪ヤンキーには不釣り合い過ぎる愛称あいしょうに首を傾げていた俺の横腹に肘鉄ひじてつを食らわせつつ、千歳がまだ店の前にいた真昼を手招きで呼び寄せる。同時に俺がその場に崩れ落ちたことは言うまでもない。

 そして駆け寄ってきた真昼が「だ、大丈夫ですか、お兄さん!?」と心配してくれている中、店のおばちゃんはなにやら嬉しそうにパチンッ、と両手を合わせた。


「あらあら、そうなの? 珍しいじゃない、ちーちゃんが後輩の子を連れてくるなんて! それに、そっちはもしかして彼氏さんかしら?」

「ッ!?」

「そんなんじゃね――ないよ。家森コレはただの付き添い。それよりおばちゃん、前に預かってもらったオ――わたしのプロテクター、まだ残ってる? サイズ合いそうならあげたいンだけど」

「あらあら、そういうことね。今持ってくるわ、ちょっと待っててくれる?」

「ごめん、あんがと」


 のっしのっしと店の奥へ消えていくおばちゃんの背中を見送ってから、俺はそろりと千歳の表情を見上げる。「カレシ……カレシ……」とうわごとのように呟いている女子高生から意識を逸らすという意味も含めて。


「なんかいつもと口調違わねえか、〝ちーちゃん〟」

「次その呼び方しやがったら手足の指全部ぶち折るからな」

「……うっかり口を滑らせて青葉あおばあたりに話したとしたら?」

一族郎党いちぞくろうとう皆殺しに決まってンだろ」

「なんで青葉にバラした時の方が重罰じゅうばつなんだよ」


 どうやら千歳はあのおばちゃんの前では猫をかぶっているらしい。大学の教授や講師を前にしても一匹狼な姿勢を崩さない普段の彼女からはとても考えられないことだが……しかし、ちょっと頑張れば格闘ゲームに出演出来そうなあのおばちゃんを見た後なら、なにか深い事情があったのだろうと思わされるから不思議だ。そして詳しい話を聞かない方がいいのだろう、とも。触らぬ神にたたりなし、というヤツだ。


「でもでもっ、〝ちーちゃん〟っていうあだ名、すっごく可愛いですよねっ!」

「!?」

「(真昼サンッ!?)」


 いつの間にか復活したらしい女子高生が無邪気に放った一言が空気をピシッと凍らせる。


「それにあの話し方も、普段の千鶴さんとはガラッと印象が変わって見えてすっごく素敵です! 私、千鶴さんが『わたし』って言ってるの初めて見ましたっ!」

「あ、う……」

「(や、やめて差し上げてっ!?)」


 これが俺や青葉の発言だったならキレ散らかされていたところだろう。しかしながら、千歳は真昼にだけは強く出られない。そもそも嘘をけないこの少女は間違いなく好意・善意一〇〇パーセントで言っている、と分かっているのにおこれるはずがないだろう。だからこそ今、多くの大学生たちから恐れられる金髪ピアスのヤンキー女は赤い顔で肩を震わせているのだから。


「ねっ、お兄さんもそう思いませんかっ!?」

「(!? そこで俺に話を振るのか真昼サンやっ!?)」


 天使のような笑顔で悪魔の所業しょぎょうをなす可愛い隣人に戦慄せんりつする俺。

 どうしよう、「イエス」と答えても「ノー」と答えても殴られる未来しか見えない。しかしここまでハッキリ話を振られておきながら無言をつらぬくというのも、それはそれでものすごく失礼な気がする。導火線どうかせんがほとんど残っていない爆弾を手渡されたような気分だった。


「そ……そうだな?」


 俺はせめてもの自己防衛として、真昼をイメージした笑顔――絶対に上手く真似出来ていない――を浮かべながら頷く。心做こころなし小首をかしげてしまったのは、可愛いもの好きで有名な千歳相手にはたとえわずかでも可愛らしく振る舞った方がいい、という天啓てんけいに従ってのことだったのかもしれない。


「て……テメェ、後で覚えてやがれ……!」


 そんな俺の努力もむなしく、千歳はものすごく小さな声でそう言って、その最恐さいきょうの目付きでこちらをギロンと睨んでくる。

 あまりにも理不尽ではあったが……しかし今までになく恥ずかしそうにしている彼女の姿からは、たしかにいつもとはまったく違う印象を受けた。

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