第一七九食 家森夕と旭日真昼⑥
俺は
俺は、彼女にとっては恋愛などは二の次なのだと思っていた。毎日美味しそうに
そんな彼女が妹のように可愛くて、大切で――
だが、それは違ったんだ。
「(……〝子ども〟は、俺か)」
今の関係を壊すことが怖くて、現状を維持することだけを考えて――そして、きっとこの子もそうなのだろうと決め付けていた。それらしい理由付けばかりして、自分の本心と向き合うことすらしてこなかった。
しかし、真昼は違う。子どもだと思っていた年下の少女の方が、俺なんかよりもよっぽど
たくさん悩んで、苦しんだんだろう。この子が俺と過ごす日々を大切に思ってくれているというのは、決して俺の
時折、真昼がすごく
「……真昼。聞いてくれ」
「はい」
俺が言うと、真昼は予期していたかのように俺の瞳を見返してくる。その頬は
いつもちょっとしたことで取り乱す彼女がこうも落ち着いているのに、俺の方は
「さっきも言ったけど……真昼が俺なんかのことをそんな風に言ってくれることは、すごく嬉しいんだ」
「……はい」
一瞬、真昼がほんのわずかに嫌そうな顔をした気がした。俺が余計なことを言おうとしていることを察してしまったのかもしれない。
けれど、伝えないわけにはいかない。自分の言葉でこれを伝えない俺に、今後も彼女の側にいる資格なんてあるはずがないから。
「でも、俺が今まで君をそういう目で見てこなかったことは事実で……それはこの先も変わらないかもしれない。君はいつか、俺なんかのことを好きになったことを後悔するかもしれない」
「……」
さらに真昼の機嫌が悪くなる。当然だ。俺は今、ものすごく失礼なことを言っている。「この先も君を見る目は変わらない」――それは言い換えれば「君のことを好きにならないかも」と言っているようなものなのだから。
しかし、これを言わぬまま彼女の側に居続ける方が最低だ。手放しに期待を抱かせるような真似は出来ない。彼女の気持ちを知り、そして「嬉しい」と言った以上、俺には既にかなり重い責任が伴っている。せめてもの誠意として、嫌われる覚悟でこれくらいは言っておかねば――
「後悔なんてしません」
「!」
――そんな俺の精一杯の気遣いは、不機嫌そうな真昼の一言でぶった切られた。
「私、そんな
「え……い、いや、だって真昼なら他にいくらでも良い相手がいるだろうし――」
「私が好きなのはっ、あ、な、た、な、ん、で、すっ!?」
ビシ、ビシ、ビシーッと男前に指を突き付けながらそう言われ、俺は「うぐっ!?」と喉奥を詰まらせる。
「それを『俺なんか』『俺なんか』って……! 失礼しちゃいますっ! お兄さんごときがお兄さんのことを悪く言うなんて一〇年早いですよ!」
「ご、ごめんなさい……?」
好かれているのか
「……それに、です」
「?」
顔を上げると、なぜか再び真っ赤な顔に戻った真昼が言った。
「こ、こッ――これからは私、本当にガンガンいきますからねっ!? いい、いつまでも私の片想いで済むと思ったら大間違いですよっ!?」
「!」
「……ははっ」
「なっ!? なにがおかしいんですか!? こっちは真剣に言ってるんですけど!?」
「ご、ごめんごめん、馬鹿にしたわけじゃないんだ」
すっかり
「……そうだよな。本当に、そうだ」
「な、なんですかその余裕な感じ!? そういうところがズルいって言ってるんですよ、もうっ!?」
隣で
友人とただひたすら騒ぐ者、ダンスには参加せずに美しい焚き火に
「――綺麗だなあ」
あの大きな
まだ悩むべきことはたくさんある。結局のところ今日この日をもって、昨日までの俺の日常は壊れてしまったようなものだ。真昼との関係性を含め、これからたくさんのことを考えていかなくてはならない。俺にはその責任があるのだから。
けれど――今だけは。
「……そういえば知ってますか、お兄さん」
「ん?」
なにやら悔しそうな顔をしていた真昼が、不意に言ってきた。
「〝後夜祭の伝説〟――あのお話の起源って、とある生徒が外部の学生を、
「え……あ、ああ、たしかそんな話だったな」
知っているもなにも、すぐ隣で〝伝説〟を
俺がそう思いながらも答えた――その次の瞬間、少女の小さな身体がこちらに飛び込んでくるのが見えた。
「――え?」
なにが起きたのか分からず、俺は間抜けな声を発した。そしてそれと同時に、胸元にじんわりと温かい熱を感じる。
驚き、硬直した眼球の筋肉を動かして見ると――耳まで真っ赤にした真昼が俺のシャツを両手で握りながら、胸元に頬を寄せていた。
「なッ――」
「ダンスですっ!」
顔中の血液が沸騰したような感覚を覚えて声を上げかけた俺を遮るように、突然胸に抱きついてきた真昼が叫ぶ。
「ぐ、グラウンドでは一緒に踊れないそうですから……せめてここで、二人きりで踊らせてください」
「い、いや、これはダンスじゃな――」
「ダンスですッ!」
「……あ、ハイ」
圧に負けて頷いたものの、この状況はどこからどう見ても、真昼が俺の胸に抱きついているだけだ。一〇〇歩譲ってそう見えなかったとしても、これを〝ダンス〟だと思う者はいないだろう。
しかしあまりにも苦し過ぎるその言い訳に、俺は逆にどうしていいか分からなかった。もしも俺のこんな心境まで予測した上でこれをやっているのだとしたら、彼女には
「……私、もう逃げません」
〝ダンス〟をしたまま、真昼が言う。
「お兄さんのこと、絶対振り向かせてみせます……本気ですから」
「……ああ」
「でも、本当に迷惑だったらちゃんと言ってください。言ってくれないと私、どこまでも諦めませんから」
「…………ああ」
「……」
「……」
「……心臓、どくどくいってます」
「……――ああ」
シャツをぎゅっと握る彼女の手のひらの熱が、
抱きついてくる彼女の肩を、抱き返すことは出来なかった。たとえ彼女がそれを望んでいたとしても、俺にそんな権利はない。
もしも俺がこの小さな身体を抱き締める時が来たとしたら、それは――
「「うわあああああっ!?」」
「「!?」」
突然、閉じていたはずの本校舎へと続く
「ば、馬鹿アキッ!? なにやってんのよ!?」
「あははー、ごめーん。イイトコだったからつい身を乗り出しちゃったー」
「お、おい
「あーあー、だからまずは私とひよりんだけで覗こうって言ったのにー」
「み、みみっ、みんなっ!? どどっ、どうしてそんなところにっ!?」
小椿さん、赤羽さん、以前見かけた記憶のあるくすんだ金髪の少年、および燃え尽きたように固まっている眼鏡の少年。そんな彼らの姿を認めた瞬間、
「い、いったいいつからいたの!?」
「え、えっとー……『私は、お兄さんのことが好きです』のところから、かなー……」
「それ一番最初じゃんっ!? えっ、も、もしかして最初からずっと……!?」
「「「……」」」
無言でそっと目を逸らす三名の友人たち。
「うっ――うわあああああああああああああああんッッッ!!」
「ちょっ!? ま、待て待て待てッ!? なにしようとしてる!?」
「止めないでくださいお兄さんッ!? 私もうここから飛び降りて死にますッ!」
「なにとんでもないこと言ってんだ! やめろ、軽々しく死ぬなんて言うんじゃない!」
「そ、そうだよまひるーん、せっかくおにーさんに愛の告白が出来たばっかりなんだしさー」
「うわあああああああああああああああんっっッ!?」
「赤羽さんも火に油
恥ずかしさのあまり、地上四階に位置する渡り廊下の欄干を飛び越えようとする真昼を、後ろから
最後の最後で
――そしてこの日から、俺たちの関係は大きく変化することになる。
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