第一八〇食 うたたねハイツと変わりゆく関係①


 寝起き特有のしぼしぼとした視界に、この一年半見続けている飾り気のない天井が映る。カーテンの隙間から覗く太陽の光と、ベランダかどこかでチュンチュンさえずっているスズメの鳴き声が、目覚まし時計の代わりに俺の意識を夢の世界から引きずり出した。


「……朝か」


 老人のようにしゃがれた声で呟きを落とし、自らのひたいに右手の甲を乗せてお日様の光をさえぎる。秋も深まった頃とはいえ、寝ている間中直射日光に焼かれていたらしい顔面は暑い。昨夜ゆうべ、カーテンを閉めてから寝ればよかったと後悔するが……あれだけ色々あったのだから帰宅後、シャワーも浴びてすぐに眠ってしまった昨日の自分を責める気にはなれなかった。

 そんな歌種うたたね高校文化祭翌日の朝、期せずしていつもより少しだけ早い起床となった俺は、むくりと身体を起こそうとして――


「……」

「……? ……。……うわあああああっ!?」


 ――フローリングの上にいた安物のマットレス、その枕元で俺の寝顔――もとい驚愕顔をじっくりと観察していらっしゃる美少女の存在に気付き、数瞬遅れて悲鳴を上げた。


「まっ、ままっ――真昼まひるっ!? な、なにしてるそんなところで!?」


 昨日あったばかりの少女と寝起きから相対あいたいするなどとはつゆほども思っていなかった俺は、妙な緊張感が全身を強張こわばらせるのを感じながら飛び退く。咄嗟とっさに枕を胸にき寄せて窓際まで後退こうたいするサマは、俺が女の子であったならさぞ可愛らしい反応だったのだろうが……こんなえない男子大学生がやったところで気持ち悪いだけであった。


「――って、あれ? 真昼じゃ……ない、ですよね?」

「あら……うふふっ、やっぱり分かっちゃうかあ。流石ね、〝お兄さん〟は」


 瞳をすがめて首をかしげた俺の前で、声を発さずにいた一見隣人の少女と見紛みまがう彼女がくすりと微笑みを浮かべた。真昼の普段着よりも落ち着いた婦人服に身を包んでいる美少女、いや美女は身体を起こし、その十代顔負けのシミ一つない肌にそっと右手を添える。


「これでも旦那から『黙って並んでるとたまにどっちか分からなくなる』って言われるくらいなんだけれど……ふふ、お見事よ、ゆうくん。これならあの子のことを任せても大じょ――って聞いてる、夕くん!? ど、どうしておもむろに携帯電話を耳に当てているの!? どこに電話するつもり!?」

「いや一一〇番ですけど。『不法侵入のお姉さんを逮捕してください』って」

「や、やだ夕くんったら、こんなおばさんに『お姉さん』だなんて口が上手うまいんだから……ってそうじゃなかったわ!? ち、違うのよ夕くん!? 不法侵入じゃないわ! だってちゃんと合鍵を使って玄関から入ったもの!」

「その鍵はあなたの娘さんに預けてるんであって、あなたに使用権はないはずなんですけどね? えーっと住居不法侵入の刑罰はたしか、三年以下の懲役ちょうえきまたは一〇万円以下の罰金――」

「そういえばこの子法学部だったわ!? や、やめてやめて!? この歳にもなって前科持ちなんて嫌ぁっ!?」


 普段それほど熱心に講義を聞いているわけでもないくせに、ここぞとばかりに法律の知識を利用する汚い大学生。ならびにいい歳をしてわりと洒落しゃれにならない軽犯罪をおかして騒ぐ美女。……朝っぱらからなんなんだ、この状況は。


「……それで、本当になにしてるんですか、お母さん」


 おどしに使った携帯電話を置いた俺が露骨なため息をきつつたずねると、住居侵入犯罪者改め〝お隣さんのお母さん〟こと旭日明あさひめいさんはあからさまにホッとした表情になった。


「いえね、沖楽市むこうに帰る前に真昼の部屋を見に行こうと思って来たんだけれど、あの子ったら部屋に水しか置いてないっていうから『コーヒー買ってきて』って頼んだのよ」

「実の娘をパシリにするのはやめてあげてくださいよ……それで?」

「そしたらあの子、鍵を閉めずに出て行ったみたいだったから、『不用心ねえ』って思いながら玄関のところに置いておったキーケースを開けてみたの。そしたら似たような鍵が二本入っててね?」

「はあ」

「あの子が夕くんの部屋の合鍵を持ってるのは知ってたから『ははあん?』と思って、せっかくだからしのび込んで、真昼のために寝顔の写真でも撮ってやろうかなと……」

「つまり完全に故意こい犯じゃないですか」


「せっかくだから」なんて軽い気持ちで犯罪をおかすんじゃないよ。性別が逆だったら確実におなわ案件だぞ、いや現代社会じゃ性差に関わらず捕まって当然だけれども。まさかとは思うが、アルコールが入ってるんじゃないだろうな……?

 昨日の昼の一件といい、謎の行動力がある真昼母に俺が引いていると、我が家のインターフォンがピンポーン、と来訪者をしらせる電子音をかなでた。


「お母さんッッッ!! なに勝手にお兄さんの部屋に上がり込んでるのッッッ!?」

「はいぃ、ごめんなさいぃ……」


 その後、母が娘から超特大のカミナリを落とされたことは言うまでもない。

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