第一六〇食 女子大生と女子高生④

「お、おい、大丈夫か? 青葉あおば

「……ハッ!? ゆ、ゆう……?」


 放心状態のイケメン女子大生がいつまでっても動かないことに不安を覚えて声を掛けてみると、彼女は入眠時痙攣ジャーキングでも起こしたかのようにビクッ、と一度大きく身を震わせてから、静かに俺の顔を見上げた。


「なんでキミがこんなところに……ま、まさか……?」

「……悪い、全部見てた」

「ですよねー……」


 肩を落としながら「なに盗み見てるんだよう……」とうらごとのように言ってくる彼女に対し、重ねてびる俺。正確には俺たちがいたところに青葉たちが来たので半分は不可抗力のようなものだったが、俺もその気になれば目や耳を塞ぐことだって出来たのだから言い訳はすまい。


「なんというか……大変なことになったな、お前」

「……そうだね。まあ元はと言えば私がいた種なんだけどさ、それでもまさかとは思いもよらなかったよ……」

「そりゃ思わんだろうな」

「こんなことになるくらいなら、いっそ泣かれて罵倒ばとうされて、顔に張り手でももらった方がよっぽど気が楽だったかも……」

「……まあ、そうだよなあ」


 俺も、青葉の正体が女だと知った冬島ふゆしまさんが、それでもなお「付き合ってください」と言い出すだなんて考えもしなかった。それこそ騙されていたことを知って泣き出したり、怒ったりするのが当たり前だろうと思っていたし、青葉もそれらを覚悟した上ですべてを打ち明けることに決めたのだろうから、よもやあのような結末になるだなんて想定できるはずもない。

 それに冬島さんが口にした〝蒼生あおいさんと付き合う理由〟は一見かなっているようでいて、実のところはめちゃくちゃな言い分だった。それこそ冬島さんも錯乱さくらんしていて、適当なことを口走ってしまったのではないかと思わせられるくらいには。


「あら、あの眼鏡の女の子とお付き合いすることになったら何かまずいことでもあるのかしら?」

「いやいや、当たり前でしょ……――って、誰!?」


 横合いから発せられた疑問に対して「なにを当たり前なことを……」とでも言いたげにヒラヒラと手を振っていた青葉は、しかしすぐさまその声の主の方へ勢いよく顔を向けた。……あ、そうだ、青葉こいつにはまだ紹介していないんだったな。


「こんにちはー。うふふ、近くで見ると余計にイケメンなのね。こうして見ても女の子だなんて信じられないわ」

「あ、どうもどうも――じゃなくてさッ!? ゆ、夕ッ!? だ、誰さ、この〝番外編版真昼ちゃん〟みたいな似て非なる別キャラはッ!?」

「なんだよ〝番外編版真昼ちゃん〟って……えーっと、こちら真昼のお母さんの――」

旭日明あさひめいです。よろしくね、蒼生ちゃん、でいいかしら?」

「あ、はい、それはもうお好きなように――じゃなくてッ!? えっ、えっ!? ま、真昼ちゃんのお母さん!? お姉さんじゃなくて!?」

「あ、その驚き方は俺と千歳ちとせ小椿こつばきさんが散々やっといたからもういいよ」

「いや知らないよ! キミらがどうであれ私は初対面なんだから驚くに決まって――って今サラッとあり得ない名前が出てこなかった!? ち、千鶴ちづるちゃんも文化祭来てんの!? なんで!?」

せわしねえな」


 驚きの連続に理解が追い付かないらしく、混乱した様子で声を上げる青葉。今日はこいつの珍しい姿をよく見る日だな……そんな青葉のことを見て「面白い子ねえ」とニコニコ笑っている真昼母の強キャラ感がすごい。


「それで蒼生ちゃんは、あの女の子――雪穂ゆきほちゃん? とお付き合いするつもりなのかしら?」

「え……い、いや、流石にそれは……」


 混乱が収まる前にそう問われた青葉は一瞬戸惑いを見せたものの、すぐに顔をうつむけてしまった。どうやらこのよく分からない状況よりも、冬島さんとの一件のほうがよほど深刻な問題らしい。


「まあ、そうだよな。相手は女の子で、しかもまだ高校生なわけだし……」

「え?」


 同意のつもりで言った俺に、きょとんとした様子の青葉が顔を上げた。……え?


「たしかに〝同性おんなのこ〟っていうことに抵抗がないとは言えないけど……別に〝高校生だからダメ〟とまでは思わないかな、私は」

「なんでだよ」


 いつもの青葉の冗談かと思い「どちらかと言えばそっちの方が問題だろ……」と呆れたように息をつく俺。だが彼女は至って平静フラットな表情のまま続ける。


「エッチなことを強要する、とかだったらもちろん大問題だろうけどさ。でも普通に付き合うだけならなんの問題もないんじゃない? むしろ夕はなにがダメだと思ってるの?」

「!」


 当たり前のことでも言うかのような青葉に、俺はなぜか先ほど真昼母に言われたことを思い出してしまう。


『大切なのはあくまでも、本人たちの気持ちなんじゃないかしら?』


「……」

「……夕?」

「ふふっ」


 黙ってしまう俺を青葉が不思議そうに覗き込んでくる中、隣から真昼母が微笑ほほえんでいるような気配を感じた。出会ってからずっと笑顔をやさない彼女ではあるが……時折、少し意味深に笑うのはなんなのだろうか。

 しかし俺がちらりと視線を向けてみる頃には、真昼母はニコニコ笑ったまま青葉へと話し掛けていた。


「でも、それならどうして蒼生ちゃんは雪穂ちゃんとお付き合いしたくないの? やっぱり、同性おんなのこが相手っていうのは気になってしまうかしら?」

「それもありますけど……そうじゃなくて」


 青葉は冬島さんと話し始める前と同じ、真面目な目付きで言う。


「雪穂ちゃんは『新しく好きな人が出来るまで』なんて言ってましたけど、私はあの子が本当に好きになって、きちんと想いが通じ合った相手と付き合わないと意味がないと思うんです。……女の私とじゃ、意味がない」


 そういう大切な〝初めて〟の経験をあんなナンパ男たちにとられちゃ駄目だよ――彼女は海に行った時にも、真昼と冬島さんに似たようなことを話していた。


「全部私に責任があるからこそ、たとえ本人が仮初かりそめのつもりだろうとあの子の恋人なんて名乗るわけにはいかない。つぐないをすべき私が、これ以上あの子からわけにはいかないんだ」


 青葉が余計な嘘さえつかなければ、冬島さんが他の誰かを想うためについやせたであろう時間を。

 確かな意思を伴ってそう言ったであろう友人の横顔は、なぜだか俺なんかよりもずっと大人びて見えた。


「(こいつは……青葉は、ちゃんと自分で考えて答えを出したのか)」


「高校生だから」でも「歳が離れているから」でも、「同性おんなのこだから」でも――「〝普通じゃない〟から」でもなく、きちんと自分と相手のことを考えた上で、結論を下している。


『本当にあなたは、自分の気持ちと向き合った上でそう答えたのかしら?』


 果たして俺は、どうだっただろうか?

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