第一三二食 手作りクッキーと鈍感男女①


 お菓子作り、なんていうと器用な女の子にしか出来ないイメージがあった俺だが、ごくシンプルなプレーンクッキーというのは案外簡単に作れてしまうものらしい。

 作業行程の大半は〝かき混ぜる〟こと。バターを混ぜ、グラニュー糖と塩を加えてさらに混ぜ、卵黄を入れてこれまた混ぜ、薄力粉を投入してひたすら混ぜる……運動不足の大学生にはなかなかの重労働である。

 完成した生地きじを三〇分から一時間ほど冷蔵庫で寝かせ終えたら、それを一定の厚みになるように麺棒で引き伸ばし、好きな形にくりぬいていく。あとは一八〇度のオーブンで一〇分焼けば完成だ。もちろん我が家にはオーブンなんて高尚なものはないので、電子レンジに付属されているオーブン機能で代用させていただく。


「……」


 俺は一〇〇均で買ってきた新品のゴムべらで生地を切り混ぜながら、ぼんやりと先ほどの出来事について思い返していた。それは俺のことを敵意全開で睨み付けてきた眼鏡の男子高校生、そして彼に関して小椿こつばきさんから聞いた話のこと。


『実はあの眼鏡男、真昼ひまのことが好きみたいで――』


 そのことが、なぜか俺にはひどく衝撃的に感じられた。いや、真昼まひるなら学校でも大層モテているだろうな、ということ自体は以前から分かりきっていたことなのだが……現実に〝真昼のことが好きな男〟を目にしたのは今日が初めてだったのである。


「(……しかし、なんで俺はあの眼鏡くんに睨まれたんだ……? 小椿さんはあの子が俺に『嫉妬してる』んだとか言ってたけど……)」


 だがそんなことを言われても、正直実感がいてこない。ひたから見ると俺と真昼はそこまで仲良く映るのだろうか?

 もちろん俺だって真昼から多少懐かれているという自覚はあるものの……たったそれだけのことであんな鬼の形相ぎょうそうで睨むとも思えない。ほとんど千歳千鶴ちとせちづるおんなじ顔してたからな、あの子……。


「(あー……もしかしてあの眼鏡くん、真昼が俺の部屋に来てるってことまで知ってるのか? そうだよな、放課後一緒にご飯行くくらいだし、それくらいは真昼から聞いていたとしてもおかしくない。ひょっとしたら小椿さんと同じくらい、真昼と仲が良い子なのかも……)」


 だとすれば、あれほど睨まれたのも頷けるというものだ。好きな女の子が得体えたいの知れない男の部屋に連れ込まれていると知って良い顔をするはずもない。俺は出来上がったクッキーの生地をラップにくるみつつ、一人心の中でうんうんと納得していた。


「(でも真昼のことが好き、かあ……ってことはあの眼鏡くんはやっぱり、真昼と付き合いたいとかって思ってるわけだよな……?)」


 冷蔵庫に入れた生地を寝かせている間に、なんとなく想像してみる。ある日、眼鏡くんを連れてきた真昼が唐突に「お兄さんっ、私この人と付き合うことになったんですっ!」なんて言ってきたとしたら――


「――ヴッ!?」


 幸せそうな顔をした真昼が彼の腕に抱きついている姿を思い浮かべてしまい、俺は思わずめられたニワトリのような声を上げた。

 真昼だって女の子なのだからいつかそういう相手が出来るのは至極当然な話だし、俺はむしろそれを祝福すべきだというのに――〝その瞬間〟を想像すると寂しいような切ないような、妙な心持ちになってしまう。もしかしたらこれは、娘のとつぎ先が決まったお父さんの心境に近いのかもしれない。


「(それじゃあ……真昼の方は、あの眼鏡くんのことをどう思ってるんだろうか)」


 考えてみれば、真昼が男友だちと一緒にいるところ自体、俺は今日初めて見たのだ。……そもそも真昼の交遊関係で知っているのは小椿さんたちくらいのものなのだが。

 先ほどの様子を見たところ、どうやら真昼は眼鏡くんに好かれていることには気付いていない様子だった。だがいわゆる〝両片想い〟――内心はお互いに好きあっているのに、その事実を本人たちが認識できていないという可能性もある。


「(なにせ真昼とその友だちだもんなあ……いかにも恋愛ににぶそうっていうか、相手からの露骨な好意にさえ気付けなさそうっていうか……)」


 やれやれ、とため息混じりにフルフルと首を振る俺。俺だったら〝両片想い〟なんていう馬鹿馬鹿しい状況には絶対におちいらないだろうが、真昼は俺と違って少し鈍感なところがあるからな。俺も真昼も恋愛経験はゼロとはいえ、やはりそれでも大学生オトナ高校生こどもの間には埋めがたい〝差〟が存在するらしい。


「(……仕方ない。真昼が帰ってきたら、それとなく話を聞いてみるか)」


 もし本当に真昼とあの眼鏡くんが両片想いだとしたらやはり少し寂しいが……それがあの子の幸せに繋がるというなら構うまい。

 俺は一人決意を固めると、ちょうどなじんだ頃合いであろうクッキー生地の様子を見るべく、台所へと向かった。

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