第一三三食 手作りクッキーと鈍感男女②

「ただいまー! そしておじゃましまーす!」

「おっ?」


 ちょうどおやつの時間になった頃、玄関のドアが開かれた音に続き、もはや聞き慣れた元気の良い声が聞こえてきた。


「わっ、涼しい! それにお部屋中にバターのいい匂いがっ!」

「おかえり、真昼まひる。思ったより早かったな」


 帰るなり騒がしい女子高生に苦笑しながら、俺は氷で薄くなったアイスカフェオレのカップをテーブルに戻し、暇潰しに動画を見ていたノートパソコンをぱたりと閉じる。彼女は自分の部屋に戻らずにうちへ来たようで、制服姿で学生鞄を持ったままだ。


「えへへー。お兄さんの手作りクッキーが楽しみすぎて、走って帰ってきちゃいましたっ!」

「そ、そんな期待されても困るんだが……クッキー作り自体、今日が初めてなんだぞ、俺は?」

「大丈夫ですっ、お兄さんがこれまでお料理関連で失敗したことがありましたか!? いや、ないっ!」

「反語やめろ。あと失敗なんかいくらでもしたことあるわ」


 今回のクッキーのようにレシピ通りに作るだけならともかく、調味料の類を目分量で加えがちな俺は同じ料理でも作るたびに味が変わってしまうし、ゆえに前は美味しく作れたはずの料理が次に作ると不味まずくなっている、なんてことは日常茶飯事である。そもそも、基本的に何を食べても「すっごく美味しい」としか言わない真昼と俺では、一口に〝失敗〟と言ってもその基準が大幅に違う気がしてならない。


「……まあいいや。真昼も今食うか? クッキー」

「はいっ! いただきま――あっ!?」

「アホ、先に手洗ってこい。あとうがいも」


 うつわに入っているクッキーへ手を伸ばしかけた真昼に、俺はサッと彼女の手先から器を引き下げて手洗い場の方を指差す。「そ、そうでしたっ!」と台所へ消えていく少女の背中――あの子、ちゃんと普段から手洗いうがいしてるだろうな……? きちんとしているように見えてもあの汚部屋に住んでいるのだ、油断ならない。

 そして真昼が手を洗う間に、俺は彼女がいつも使っているカップを取り出してカフェオレを作ってやる。思ったよりもクッキーが甘く仕上がったので、普段よりも砂糖の量は控えめにしておこうか。


「ほら、こっちが真昼の分な」

「わーいっ、ありがとうございますっ! 美味しそー!」


 冷蔵庫に入れておいた彼女の分のクッキーが入った皿とカフェオレを並べてやると、真昼はキラキラした瞳で器の中を見た。

 やや焼き時間が長かったせいなのか、それとも生地きじの混ぜ方に問題があったのかは分からないが、俺が作ったクッキーは料理本に掲載されていた見本と比べるとややいびつな上、ところどころがひび割れ、欠けてしまっている。客観的に見ても、とても美味しそうな見た目とは言えないと思うのだが……真昼のこういうところは出会った頃から本当に変わっていないな。

 俺が微笑を浮かべていると、少女は早速「いただきまーすっ!」と手を合わせてからいそいそとクッキーの一欠片かけらを口へ放り込んだ。


「ん~っ! お兄さんっ、このクッキーすっごく美味しいですっ!」

「そうか、それは良かった」


 まるで旅番組に出てくる熟達したグルメリポーターのように、片頬に手を当てて満面の笑みを浮かべる真昼。もっとも一丁前なのは仕草だけであり、語彙ごい力の無さは相変わらずである。そんな裏表のない率直なリアクションこそ、彼女の魅力なのだろうけれど。


「……なあ、真昼」

「ふぁい?」


 ぱくぱくサクサクとクッキーを頬張る食いしんぼう女子高生に、俺は満をして話し始める。


「今日、男子と一緒にいただろ? ほら、あの眼鏡の……」

「めがね……あ、ユズルくんですか? はい、一緒にごはん食べてきましたけど……」


 どうやら眼鏡くんの本名は〝ユズルくん〟というらしい。


「ユズルくんがどうかしたんですか?」

「あ、ああ。いや、真昼が男子と遊んでるところってあんまり見たことなかったからさ……その、もしかして真昼は、あの子のことが好きだったりするのかなー、なんて……」

「へ? 私がユズルくんのことを……ですか?」


 あまり遠回しに聞くのも気持ち悪いと思い、ストレートに質問する俺。すると真昼は一度きょとんとした表情を浮かべて――続いて口元に手を当ててくすくすとおかしそうに笑いだした。


「あははっ、私とユズルくんはそんなのじゃありませんよ。中学の頃からの知り合いで、高校で同じクラスになってからよくお話するようにはなりましたけどね」

「そ、そうなのか」


 嘘の下手な彼女がこうもはっきりと言ったからには、〝両片想い〟の線は限りなく低いと見て間違いないだろう。

 俺は無意識のうちにホッと息を吐きだし――妙に安堵あんどしている自分がいることに気付いて、心中で首をかしげていた。

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