第一〇九食 家森夕と質問攻め①


「ん……が……?」


 なんだか間抜けな自分の声を耳にして、俺はぼんやりと薄目を開いた。視界に映るのはここ一週間目にしていなかった天井――すなわち俺の下宿先・うたたねハイツ二〇六号室の天井である。


「あー……そうか、帰省から帰ったんだった……」


〝帰省から帰る〟という日本語はおそらく間違っているが、寝起きの頭がそんな細かいことを気にするわけもない。俺は遮光カーテンの隙間からし込む太陽光を頼りに手をわせ、充電ケーブルを差し忘れたまま放置していた携帯電話の電源を入れる。表示された日付は花火大会の翌日、時刻は午前九時半を過ぎたところだった。


「やべっ……とっくに真昼まひるが来る時間過ぎてるじゃねえか」


 昨夜ゆうべは色々あった末に真昼と二人で花火を見て、それから彼女を部屋まで送り届けたのが夜の一〇時前。就寝したのは日付が変わってすぐくらいだったはずなので、九時間以上も眠っていた計算になる。気付かないうちに帰省疲れが溜まっていたのかもしれない。おかげでとっくにいつもの朝食の時間を過ぎてしまっていた。


 俺は基本的に怠惰たいだかつ面倒くさがりなので、本来は〝朝食の時間〟などというものを定めるようなタイプではない。休日であれば起きたい時間に起きるし、場合によっては朝食と昼食が一緒になることも少なくなかった。

 けれど真昼と朝食を共にするようになって以来、休みの日であっても決まった時間に起きるようになった。俺の都合に真昼を付き合わせるわけにはいかないし、なにより年下の女の子にそんな怠惰な姿を見せるのは格好悪い。俺だって最低限のプライドくらいは持ち合わせているのだ。

 しかし、だからこそ不覚だった。夏休み期間中、俺と真昼の朝食の時間は午前八時。既に一時間半以上も経過している。


「(と、とりあえず真昼に連絡を――って、あれ? キッチンの方、明かりがついてる……?)」


 ふと気が付くと、居室と台所を仕切るドアの小窓の向こうに電灯の光が見える。もしや、と思い、布団から出てキッチンへ向かうと――


「ふんふんふふーん……あっ、お兄さん! おはようございまーす!」

「いや、なんで既に居るんだよ」


 案の定、台所では真昼が機嫌良さそうに鼻歌を歌いつつ、手際よく朝食を作っている真っ最中だった。彼女は俺を見るやいなや、ぱっと明るい笑顔を咲かせる。


「えへへ……ご、ごめんなさい。お兄さんがあんまり気持ち良さそうに寝てたから起こしづらくって……朝ごはんが出来たら起こそうと思っていたんですけど」

「いや、それは全然いいんだけどさ、叩き起こしてくれても良かったのに」

「あはは、そんなことできませんよ」


 くすくすと笑いながら、真昼は自分の手の中に視線を落とした。見れば、得意料理であるおにぎりを握っているところだったらしい。炊飯にかかる時間も考慮すると、どうやら彼女はいつも通りの時間には俺の部屋に来ていたようである。

 ちなみに真昼には以前、試験期間中に渡した俺の部屋の合鍵をそのまま持たせている。彼女がこの部屋を出入りする機会も多くなってきたし、その方がなにかと都合がいいと判断したためだ。……しかし鍵を開けて誰かが部屋に入ってきたことにさえ気付けなかったは、俺はどれだけ爆睡していたのだろうか。ついでにそんな無防備な寝姿を真昼に見られてしまったことが、なんだか妙に気恥ずかしい。


「ふふっ、お兄さんの寝相、可愛かったですよ。布団をぎゅーって抱き締めちゃってて。抱き締め癖があるんですか?」

「み、見ないでくれよ……まさか写真ったりしてないだろうな……?」

「はっ!? そ、その手がありましたかっ!」

「『はっ!?』じゃないよ、さも妙案のように言うな」

「えへへ、冗談です。あ、もうすぐ出来ますから、お兄さんはテーブルの用意だけしておいて貰えますか?」

「おう。……ほんとごめんな、全部やらせちゃって」

「気にしないでください。私今、お料理するのがすっごく楽しいですから!」


 言葉通り、心底楽しそうに微笑む真昼。そういえば正式にご両親から自炊のお許しを得たと言っていたし……これから彼女はさらにメキメキと料理の腕を上げていくのではないだろうか? 本当に、料理歴半年の俺の立つ瀬がなくなってしまいそうだな……。


「あァーッ!? な、なんか手がベタベタすると思ったら、これ塩じゃなくて砂糖でしたッ!?」


 ……いや、案外まだまだ大丈夫かもしれない。

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