第一〇六食 家森夕と花火大会③

「お、親父おやじさんに一人暮らしを止めさせられそうになってたあ~っ!?」

ふぁいはいふぉーふぁんふぇふふぉ~そうなんですよ~!」


 しばらく祭りを楽しんで、そろそろ花火も始まろうかという頃。

 すっとんきょうな声を上げた俺に、口の中いっぱいにたこ焼きを詰め込んだ真昼まひるがこくこくと頷いた。……口の周りがソースでベタベタだ。せっかくの綺麗な化粧が台無しである。


「そうなんですよーって……け、結構な危機に陥ってるじゃないか。大丈夫だったのかよ?」

「はいっ、もう理解して貰えましたからね! あっ、ありがとうございます!」


 俺が差し出したポケットティッシュでソースを拭き取りながら気楽そうに言う真昼。そんな呑気な女子高生に、俺は本当に大丈夫だったのか、心底心配になってしまう。というか帰省中もあれだけ頻繁にメッセージを送ってきていたくせに、この子はそんなこと一度たりとも言っていなかったのだが……。


「……一体なんでそんなことになったんだよ? もしかして真昼が一人暮らししてること、ご両親は猛反対してるとか……?」

「いえいえ、そういうことじゃないです。まあお父さんは私が中学に上がる前に『一人暮らししたい』って言った時には猛反対してましたけど」


 そりゃそうだろ……という言葉はあえて言わないでおく。

 普通に考えれば中学生――今はもう高校生だが――の娘を遠方の地で一人暮らしさせたい親なんているはずがない。猛反対する親父さんの反応が正常だろう。

 しかしその件について既に旭日あさひ家の中で決着がついているのなら、外野の俺がとやかく言うのも変な話だ。真昼が親の反対を押し切って家出同然に飛び出してきたというならまだしも、きちんと理解を得て歌種ここにいるならなにも言うまい。


「でも……だったらなんで一人暮らしを止めさせられそうになったんだ?」

「えっと、それは……」


 そこで真昼は言葉を区切ると、なぜかスッ……と俺から目を逸らした。……え? なにその反応……?


「まっ! まあまあ、いいじゃないですか、済んだことですしっ! 終わり良ければすべて良しって言いますしっ!」

「いや強引に話を畳もうとするな!? え、なに!? もしかして俺のせいなのか!? も、もしかしておれの部屋に顔出してるのバレて怒られたとかなのか!?」

「す、するどっ!? いいいいえっ、ぜぜぜぜんぜんぜんっ、そんなことととはなななななっ!?」

「今思いっきり『鋭い』って言ったよな!? あと真昼、さっきも思ったけど嘘が下手すぎるだろ!」

「……もう、いいじゃないですか。戦いは、無事に終わったんですから……」

「絶対良くないよね!? なに遠い目をして悟ったように微笑んでんだよ、たこ焼き片手に!」


 なんてことだ、俺のせいで真昼がそんな危機に陥っていただなんて……!

 だが考えてみれば当然のことである。なにせ真昼に料理を教えることになった時、友だちの小椿こつばきさんでさえ真昼のことを心配して俺の部屋まで乗り込んできたのだ。実の父親――それも話を聞く限り真昼のことを溺愛できあいしている人が、あやしい大学生のことを警戒しないはずもない。俺が親父さんの立場でもきっと同じようにするだろう。


「(海でも考えたことだが……やっぱり良くないよな、相手は高校生の女の子だから……)」


 もちろん俺は真昼に対してやましいことなど何一つしていない。それは天に誓って言える。

 だが俺や真昼がどう考えていようが、周りから見れば俺たちは普通の隣人関係を大きくいっしているように映るだろう。世の中、主観だけで完結するほど単純ではない。俺のことを危険視する親父さんの気持ちも分かる。なにか間違いが起きてからでは遅いのだから。

 特に真昼はその辺りの危機意識が年齢に比して低い傾向にある。おそらくあの日――初めて真昼と会った日、声を掛けたのが俺ではなかったとしても彼女は簡単についていってしまったのではなかろうか。


「(ここで言ってしまおうか……『もう俺の部屋には来るな』って)」


 ずっと考えていたことだ。海の時は「真昼に好きな人や彼氏が出来る前に」などと思っていたが……どうやらそう悠長なことは言っていられないらしい。

 まだ出会って数ヶ月だが、真昼がどれだけ歌種うたたねでの日常を楽しんでいるかくらい知っている。中学の三年間、たった一人で冷めたコンビニ弁当を食べる生活を続けてでも実家に戻らず、継続して高校に進学したくらいだ。なにか地元に居づらい理由があるわけでも、家庭環境に問題があるわけでもない。彼女は


 だったら――真昼が切り捨てるべきは一隣人に過ぎない俺だろう。もう彼女は自分である程度料理も出来るようになったし、親御さんから自炊を認めて貰えるようになったとも言っていた。俺がこの子に教えてあげられることももうほとんど残っちゃいない。元より俺の自炊歴はたった半年だったのだから。


 俺が彼女の側にいる必要は――もうない。

 もう、ないんだ。


「……なあ、真昼――」


 ふと脳裏に、彼女のあの言葉がよぎる。

『一人で食べるより、誰かと食べた方が美味しいから』。

 確かにそうだ。俺だって真昼と一緒に食べるめしはいつもよりずっと美味しく感じる。多少下手くそな料理でも、焦げたり調味料を間違えていたとしても。

 だがそれは、。友だちでも恋人でも、誰だっていいはずだ。毎日毎食とはいかずとも、俺より彼女の側にいるべき人間はいくらでもいる。ただ隣に住んでいただけの俺よりも。


 結論は出た。後は伝えるだけだ。

「もう俺の部屋には来るな」と、そう伝えるだけだ。

 ――伝えるだけ、なのに。


「……? お兄さん……?」

「……」


 名を呼んだまま硬直した俺に、真昼がきょとんと首を傾ける。

 考えてしまった。彼女の居なくなった、テーブルを挟んだ向こう側を。なにを食べてもご馳走のように喜んでくれる、目の前の少女が消えた日々を。

「手離したくない」と、そう思ってしまった。


「(なに考えてる……駄目だ、それは俺が望んでいいことじゃない)」


 ドアの前でうずくまる高校生のことが心配だった。

 四つも年下の女の子が親元を離れて一人暮らしをしていることが心配だった。

 コンビニ弁当や惣菜ばかり口にしている少女のことが心配だった。

 なにかと危なっかしいところがある彼女のことが心配だった。

 これまではちゃんと理由があった。真昼の為になる理由が。

 それすら失った俺が、これ以上真昼の側に居続ける必要はない。いや……居ない方がいいんだ。

 小椿さんや赤羽あかばねさんや冬島ふゆしまさん――きっと他にもたくさんいるであろう友人たちと真昼との繋がりを、俺のせいで断ち切らせるわけにはいかない。


 それなのに……頭では分かっているのに、口が思うように動かない。

 なにをしている、真昼のためだろ、早く言え――脳の冷静な部分がかしてくるが、どうしても次の句をつむぐことが出来ない。

「あ、ぐ……」と言葉にならない音を発する俺を見て、真昼はなにを思ったのだろうか。不意に居住まいを正した彼女は、俺の瞳をまっすぐに見据えて言った。


「――私は、あの日私を助けてくれたのがお兄さんで良かったと思ってます」

「!」


 俺の心を読んだのかと思わせられるほど、なにか確信したような言い方だった。真昼は先ほどまでの動揺ぶりはどこへやら、落ち着いた様子で続ける。


「私のことを助けてくれたお隣の〝お兄さん〟が、あなたで良かった。……心からそう思います」

「ま、真昼……?」


 それはやはり、俺の知らない旭日真昼だった。それともいつもより大人っぽく、綺麗な格好をしているせいだろうか?

 今この瞬間、俺の目には真昼が自分よりも年上おとなの女に映っていた。


「……なんて、ね」


 自分の言葉に照れてしまったのか、はにかんだ真昼がくるりと身体を反転させる。


「私、お兄さんに教えてほしいこと、まだまだたっっっ……くさんあるんです!」

「は? い、いや、俺が真昼に教えられる料理なんてもうほとんど……」

「ふふっ、お料理のことだけじゃありませんよーだ!」


 俺に背を向け、からかうようにそう言った後、少女はゆっくりと顔だけでこちらを振り返った。その頬は化粧と祭りの提灯ちょうちんあかりのせいだろうか――やけに真っ赤に染まっているように見える。


「だから……よろしくお願いしますね、お兄さんっ!」


「さあっ、次はりんご飴を買いに行きましょうっ!」と足取りも軽く歩いていく真昼。そんな真昼の後ろ姿を呆然と眺めてから、俺はハッとして急ぎ彼女の後を追う。

 そしてあれもこれもと立ち並ぶ屋台を指さしながら楽しそうに隣を歩く少女に――俺はそっと一人呟いた。


「ったく……人の気も知らずによ」


 悪態をつくように言ってみても、彼女の掛け値のない笑顔に俺の理屈っぽい考えが吹き飛ばされてしまったのは紛れもない事実であり。

 こんな冴えない男と居てなにが楽しいのやら……なんて考えながらも、真昼が俺から教わりたいことがあると言ってくれる間は、まだ彼女の側に居てもいいのかもしれないと物思う。

 ちょうどその時、そんな俺の思考に「正解だ」と告げるかのように、夏の夜空に大きな大輪の花火が咲いた。

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