第一〇五食 家森夕と花火大会②

 突然だが、俺の旭日真昼あさひまひるという少女に対する評価のうち、最も大きなパーセンテージをめるのは「可愛い」である。素直で純粋で、心優しい女の子。以前にも少し語った通り、俺はこれまでの人生で真昼ほど〝まともな異性〟と関わった記憶がほとんどなかったから。

 また彼女が俺より四つも年下だったことも、そう思うに至った要因の一つかもしれない。俺は一人っ子だが、きっと妹がいたらこんな感じなのだろうと思わせられるというか……料理を教えている時などは特にそうだ。ドジで不器用な面がある分、ちょっとした成功でも笑顔を咲かせて喜ぶ姿が微笑ましく、可愛らしい。


 だがこれらの「可愛い」は〝異性として〟ではなく、どちらかと言えば〝年下の女の子として〟という意味合いに近い。思わずドキッとさせられるような可愛さというより、思わず頬が緩んでしまうタイプの可愛さ。小動物の様子を眺めている時に抱く感情にも似ている。

 海では彼女の水着姿を見て不覚にもドギマギさせられてしまったが……どちらかと言えばアレが例外。いくら俺がモテないからといって、流石に大学生オトナ高校生こどもを意識することはあり得ない。


 ――あり得ない、と思っていたのだが……。


「(――綺麗だ)」


 祭りの喧騒の中、不意に俺の目の前に現れた浴衣ゆかた姿の真昼を見て、俺は思わず胸中でそんなことを呟いていた。携帯電話を握る手が緩み、思わず取り落としそうになってしまう。


「きっ、奇遇キグーですねっ、お兄さんっ!? コッ、こんなトコロで会うなんてっ!?」


 妙に片言カタコトの、ついでにところどころ上擦った声で話し掛けてくる真昼に、しかし俺は即座に言葉を返すことが出来なかった。即応出来ないほど、彼女の浴衣姿に心を奪われていたのである。


 そこに立っていたのは、俺の知らない旭日真昼だった。

 着用している浴衣は紺地に赤桃色の蝶々が舞っているもの。派手さはないが地味すぎもせず、花火大会に着てくる浴衣としては比較的無難なデザインだと言えよう。

 帯の色は鮮やかな赤色。誰かに着付けて貰ったのだろうか、ちょうど腰の位置で綺麗な蝶結びになっていた。


 また普段は家で会うことが多いため髪を下ろしていることが多い彼女だが、今日は浴衣に合わせてお団子にってある。決して派手な髪型というわけでもないのに、普段と少し違うだけでこれほど鮮烈な印象を受けるのだから驚きだ。

 前に飲みの席で「どんな髪型の女の子が好きか」と聞かれて今一つピンとこなかった覚えがあるが……なるほど、これは確かにクるものがあるな。


 後は化粧。いつもはナチュラルメイクの真昼も今日は浴衣姿に負けないように濃いめのメイクを施してあるらしい。といっても下品な濃さではない。真昼の持ち味とも言える清楚さを残すかのように、色つきリップや薄くれてある頬紅チークを活かし、最低限の化粧で最大限の大人っぽさが演出されている。

 俺には当然ながら化粧関連の知識などほとんどないのだが……これはそうだ、いつも赤羽あかばねさんがしているような化粧に近いかもしれない。


 総じて――今俺の目の前にいる真昼は、俺がよく知るお隣の女子高生とは別人のように「綺麗」だった。いつもの小動物的な可愛さとはまったく別種の女の子らしさに、思わず本当に別人と見間違えてしまったのではないかと疑ってしまったくらいには。


「……? あ、あの……お兄さん……?」

「っ! お、おうっ!? す、すまん」


 何も言わないまま棒立ちする俺を心配してくれたのか、真昼が下から覗き込むように見つめてくる。下駄をいている分いつもより若干縮まった身長差に動揺した俺は一歩飛び退き、不思議そうな顔をする彼女から目を逸らしながら言った。


「ま、真昼も来てたんだな、この花火大会」

「えっ、あっ、は、はいっ!? そ、そうなんですよっ!」


 苦し紛れに俺が話題を振ると、彼女は何故か少しだけ慌てた様子で答える。


「わ、私も驚きましたっ! ま、まさかお兄さんもこの花火大会に来ていたなんて思いもしませんでしたっ!?」

「え……? あ、あれ、真昼は赤羽さんから誘われて来たんじゃないのか?」

「うえっ!? え、えっと……は、はい違いますっ! へ、へえーっ、亜紀あきちゃんもここの花火のこと知ってたなんてすっごく意外ダナーっ!?」

「いや、地元の花火大会なんだから赤羽さんは知っててもおかしくはないと思うんだけど……」


 やたらわざとらしいリアクションをとる真昼に俺が疑問符を浮かべると、彼女は「うぐっ!?」と痛いところを突かれたかのような反応を見せた。というか普通に考えて、俺が誘われたくらいなのに赤羽さんが真昼を誘わないとは思えないのだが……。


「というか、それなら真昼は誰と来たんだ? 小椿こつばきさんか?」

「ふえっ!? い、いえっ、それはそのっ……ひ、一人でっ! 一人で来ましたっ!?」

「一人で花火見に来たの!?」


 な、なかなか強靭きょうじんなメンタルがないと出来ない芸当である。たまたま打ち上がった花火を遠くから眺めるだけなら分かるが、真昼の場合はがっつり浴衣を着て化粧をし……なんというか、バッチリ〝誰かと一緒に花火を見る格好〟をしているのだ。

 その上で親子連れやカップルが溢れるこの公園まで来て一人で花火を見上げるなんて……いくらなんでも寂しすぎないだろうか。


「……真昼。もしかしてこの一週間のあいだに、なにかつらいことでもあったのか……?」

「なんかすごい誤解されてるっ!? ち、違いますっ! 別に心をんで一人で花火を見に来たとかじゃなくてっ!?」

「俺なんかじゃ頼りないかもしれないけど、相談くらいならいつでも乗るからさ。悩みがあるなら一人で抱え込むんじゃなく、話すだけ話してみてくれよ……な?」

「本当に違いますからっ!? そんなめちゃくちゃ優しい言い方でさとそうとしないでくださいっ!?」


〝一人花火大会〟に興じる真昼のことをわりと本気で心配した俺だったが……どうやら本当に心のやまいとかそういうわけではないらしい。しかしまともな精神状態で〝一人花火大会〟というのも、それはそれでものすごく闇が深いような気がしなくもない。

 だが俺が新たにそのことに言及するより早く、真昼は「そ、そんなことよりお兄さんっ!」と無理やり話題転換をはかってきた。


「お兄さんも亜紀ちゃんが急に来られなくなって今はお一人なんですよねっ!?」

「え? あ、ああ、そうだけど……俺、赤羽さんにドタキャンされたってはなししたっけ……?」

「あ、やばっ……!? じゃなくてっ、な、なんとなくそうじゃないかなーって思っただけです!?」

「いやすげえな、どんだけピンポイントな状況を言い当ててんだ」


 流石になにかおかしいと思い、ジトッとした目を真昼に向ける俺。しかし真昼はだらだらと冷や汗を流しながらも、事情を説明するつもりはないらしい。俺から顔を背け、ピューピューと吹けもしない口笛を吹くばかりだ。


「……はあ、まあいいや。お互い一人ぼっちなら、良かったら一緒に回らないか?」

「え? ……ええっ!? い、いいんですかっ!?」

「あ、もちろん無理にとは言わないけど――」

「い、行きます行きますっ!? お兄さんから誘ってくれるパターンは想定してなかったので驚いただけですっ!」

「なんの話……?」


 興奮した様子でわけの分からないことを口走った真昼は、しかしそんなことはお構い無しだとばかりにぐいぐいと俺の腕を引いた。


「じゃあじゃあお兄さんっ! あっちに屋台が出てるのでなにか食べませんか!? まだ花火の打ち上げまでは時間がありますからっ!」

「はいはい、分かったから引っ張らない。……というかついこないだ他の祭り行ったばっかなのにまた屋台でいいのかよ」


 相変わらず食いしんぼうな女子高生に俺が苦笑していると、るんるんと前を歩いていた彼女が不意に「あっ、そうでしたっ!」と思い出したようにこちらを振り返る。


「おかえりなさい、お兄さんっ! 一週間ぶりに会えてすっごく嬉しいですっ!」

「! ……ああ。ただいま、真昼」


 可愛いことを言いながら屈託のない笑顔を向けてくる真昼に、今度は俺も素直に微笑んで返すのであった。

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