第九三食 旭日真昼と離ればなれ

 ★


 旭日真昼あさひまひるという女の子は、いつも元気に明るく振る舞っている。

 学校では多くの友人に恵まれ、彼女の周囲にはいつだってたくさんの笑顔が咲く。それは彼女と仲のいい少女たちであったりあるいは彼女に密かに想いを寄せる少年たちであったり。クラスの中心人物ではなくとも、旭日真昼の笑顔には人を惹き付けるなにかがあるのだろう。


 そして八月中旬、ある日の朝。いつものように隣に住まう青年の部屋を訪れた真昼は――


「おはようございます……」

「暗っ!?」


 ――隣人・家森夕やもりゆうが一目見た途端に思わず半身を引いてしまうほどに表情と肩を沈ませていた。


「お、おはよう真昼……ど、どうしたんだよ? 朝からえらく元気ないけど……」

「いえ、なんでもないです……ちょっと今朝の星占いの結果が悪かっただけです……」

「そ、それだけでそんな沈む? 『今日死にますよ』って言われたかってぐらいの落ち込みようなんだが……」


 もちろんこれは嘘である。なんなら今日の星座占いにおいて真昼の運勢は最高に良しと出ていた。ラッキーフードは〝目玉焼き〟。

 基本的にポジティブシンキングかつ精神構造が単純な彼女は普段なら「星占いで一位だった」というだけで一日をハッピーに過ごせるのだが……しかし今日に限っては星座占いの結果の如何いかんを問わず、彼女の心は等しく沈みきっていたことだろう。

 なぜなら今日は真昼、そして夕がそれぞれの実家に帰省する日。すなわち――


「(お兄さんと三日も会えなくなっちゃうんだ……)」


 海水浴場に遊びに行って、これからもっと夕の色んな一面を知っていこうと思っていた矢先にこれだ。少なくとも今日から盆明けまでの三日間、真昼は夕と離ればなれになってしまう。

 夕と出会い、彼に料理を教わり始めてからというもの、真昼と夕が一日以上顔を合わせなかったことはほとんどない。特に朝食も二人で一緒に食べるようになってからは。

 少し前までは彼が夕方のバイトに出る日などは夕食を一人で食べることもあったのだが、今の夏休み期間や金・土曜日など多少夜更かしをしても大丈夫な時にはそういう日でも夕の帰りを待つようになった。彼には「そんな律儀に待たなくていい」と言われたものの真昼はそれを頑として聞き入れず、「お兄さんと一緒に食べた方が美味しいんです!」といういつもの持論を押し通したのである。


 元来どちらかといえば自らの主張を殺しがちで、先生ゆうの言葉は素直に聞き入れる性格タイプの彼女が彼の言葉を押し切ってまで二人の時間を作ろうとしたのは、孤独で味気のない食事を寂しく感じたというのもあったが、それ以上に夕と話をしたかったというのが大きい。今日学校で起きたこと、購買のパンが美味しかったこと、親友ひよりにまた叱られたこと、夕日が綺麗だったこと――「おかえりなさい」と「おやすみなさい」を言うこと。

 真昼が色んな話をし、それを聞いて優しく笑ってくれる夕の顔が見たかった。時間にすれば一時間にも満たない短い夕食ゆうげが、真昼にとっては日々を過ごす上で欠かせない歯車になっていたのだ。

 それが、今夜からなくなってしまう。真昼にとっては本当に一大事だった。


「あの、お兄さん……お兄さんは、どれくらい向こうにいるんですか……?」

「え? ど、どうだろう……い、一週間くらい、かな?」

「そんっ……!? ……そ、そう、で、すか……」

「な、なんでさらに暗くなる!?」


 いよいよフローリングに崩れ落ちそうになる膝をなんとか保つ真昼に、夕が困惑の表情を浮かべる。

 真昼の目には、夕は真昼じぶんと離れることを特になんとも感じていないように見えた。そもそも夕にとって真昼じぶんはただの隣人に過ぎないのだろうから。

 頭ではそれを当たり前のことだと理解しつつ――それでも真昼の胸に言い知れぬ寂しさが去来する。孤独によるものとはまた違う、人と接するがゆえの寂しさ。同じ気持ちを共有することが出来ないという寂しさだった。


「……お兄さんは――」

「でも、あれだなあ」


 口を突いたように何事かを言いかけた真昼の小さな声を、朝食の皿を用意する夕の言葉が遮った。


「しばらく真昼と話せないってなると、ちょっとだけ寂しいな」

「!」


 ……あ、同じだ。

 様々な感情に埋め尽くされた真昼の頭が、その一言に晴れ渡る。

 同じだ。きっと何気なく、それゆえに本心から言われたであろうその一言は、今の真昼わたしの心境と同じだ――そう思った瞬間、真昼は自らの腹の底から沸々と巨大な感情の波が押し寄せてくるのを感じた。


「お、お兄さんが寂しいなら私っ、毎日メールしますっ!」

「えっ? い、いや、なにもそこまでは――」

「なんなら電話もしますっ! 一日三回っ! それならお兄さんも寂しくないですよねっ!?」

「なんでそんな気遣われてるの俺!? い、いやいいから。せっかく帰省するんだし、俺じゃなくて家族と話してきな」

「じゃ、じゃあじゃあっ、私が家族とご飯を食べるときはお兄さんとテレビ電話を繋いで皆で食べましょうっ!」

「気まずいよ! なんでそんな遠隔リモート会議みたいな状態で俺が旭日家の食卓に加わるんだよ! と、というか真昼、さっきまであんなに暗い顔してたのに急にどうした!? 情緒不安定すぎて怖いんだけど!」


 先ほどまでの落ち込みようから一転、捲し立てるようにグイグイ来る真昼にまた別の意味で困惑の表情を浮かべる夕。そんな彼の顔を嬉しさの隠しきれない瞳で見つめて、真昼はいつも以上に明るい笑顔を咲かせた。

 きっと真昼が感じた寂しさと夕が言う寂しさの程度は違うだろう。夕のそれは言葉通り「ちょっとだけ」で、もしかしたら帰省中も真昼のことを思い出すことはあまりないかもしれない。それでも、彼が「ちょっとだけ」でも同じ気持ちでいてくれていることは十二分に真昼の心を晴らすに足る。


「さあお兄さん、朝ごはんを食べましょうっ! 今日は私が作りますからっ!」

「お、おう。なんだよ、いきなり元気になったなあ」

「んひひっ、私はいつでも元気一杯ですよっ!」


 そう答えていつもの調子を取り戻した真昼は、いそいそと朝食の目玉焼きを作るフライパンの準備をする。この食事を終えたら、しばらく夕とは会えなくなるのだ。だったら最後は自分で作ったものを食べてもらいたい。真昼の気合いは十分だった。

 気合いをコンロの火力に込めた結果、いつも以上に黄身が固くなった目玉焼きが完成したことまでは……語る必要はないだろう。

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