第九二食 青葉蒼生と男友だち②

「うへえ……なんか身体中べたべたするんだけど……」


 帰りの車の中、助手席に座る蒼生あおいは自らの腕をぺたぺたと触りながら嘆いていた。


「お前、海には入らなかったんじゃないのか?」

「入ってないけど、潮風は散々浴びたからね。それに雪穂ゆきほちゃんに抱きつかれたりもしたから」

「それは自業自得だろ」


 運転席でハンドルを握るゆうにバッサリと言い切られ「だってさあ……!」と情けない声を出したイケメン女子大生は、ちらりとバックミラー越しに後部座席の二列目、三列目へと目を向ける。

 そこではすっかり遊び疲れてしまったらしいJK組こと女子高生四人が仲良く眠りについていた。温水シャワーを浴びて水着から着替え、車に乗り込むまでは全員元気に話していたのだが、座った途端に疲れがどっと押し寄せてきたのだろう。いつも真面目な顔をしているひよりや普段から意外と隙のない亜紀あきでさえ、年相応のどこかあどけない顔で眠っている。

 そんな少女たちの寝姿に柔らかく目を細め、蒼生は声のトーンを落として続けた。


「……まさか適当についた嘘をここまで貫くことになるとは思わなかったんだよ。いやあ、軽々しく嘘をつくもんじゃないね」

「本当だよ。というか未だにその嘘を貫き通す意味なんてあるのか?」

「今朝も言ったじゃないか。女子高生たちの夢を壊すわけにはいかないよ」

「つってもいつかは絶対バレるだろ。冬島ふゆしまさん、完全に男のお前にべた惚れだぞ。だって最後、俺のことを全力でライバル視してたもん」

「『男子更衣室でいかがわしいことしちゃ駄目ですからね!』ってめっちゃ釘刺されてたもんね」


 妄想力豊かな眼鏡少女に邪推に次ぐ邪推をされて参ってしまったらしい夕に、さしもの青葉あおば蒼生も申し訳なさそうに胸の前で両手を合わせる。


「……でもあれだね。夕ってほんとに優しいよね」

「あ? なんだよいきなり、気持ち悪いな……」

「いや『優しい』って褒めただけで『気持ち悪い』は酷いよね? ……冗談じゃなくて、真面目にさ」


 脇見運転をすることなくハンドルを操作する男友だちの横顔に目を向けた蒼生は小さく頬を緩ませた。


「あれだけ色々言われても私の嘘に付き合ってくれたでしょ? 正直さっきは夕の名誉までかかってたから『これはもうバラされても仕方ないな~』くらいに考えてたんだけど……それでも本当のことは黙っててくれたじゃんか」

「……アホか、お前のためじゃねえよ。仮にあそこでお前の正体をバラして冬島さんがショックでどうこうなっちまったら、せっかくの楽しい一日が台無しになるだろ。むしろ俺はお前が、お前の口で冬島さんたちに謝るべきだと思ったからこそ何も言わなかったんだよ」

「あははっ! なんだ、いつも通りの厳しい夕だったか~」


 イケメン女子大生はケラケラと楽しそうに笑い、やがて微笑んだままそっと顔を俯かせる。車は丁度、大きなトンネルに差し掛かるところだ。

 ゴオオオオ、というトンネル内特有の音が車内に響く中、その音に紛れさせるように蒼生が夕へと告げる。


「……そうだね。今度折を見て雪穂ちゃんと亜紀ちゃんにはちゃんと謝るよ。特に雪穂ちゃんには、ね」

「おう。……まあ、あれだ。俺も一応共犯者みたいなもんだし、その時は俺も一緒に頭下げに行ってやるよ」

「え……な、なんだよ~う、やっぱり優しいんじゃないか~。もう、そんなぶっきらぼうに優しくされたら私、キミに惚れちゃう、ゾッ?」

「……」

「えっ、まさかの無視? いつもなら『キモッ』とか言ってくれるのにこのタイミングで真顔のガン無視? やめてよ、それ地味に一番傷付くんだけど」

「うるせえな。もういいからお前も寝てろ、まだまだ時間かかるから」

「冷たっ。一瞬とはいえキミの優しさにときめきかけた私のなけなしの乙女心を返してくれない?」


 そんないつもの軽口を交わしている間にも車はトンネル内を進む。しかしちょうど帰宅ラッシュの時間だからか、その進行ペースは比較的遅めだ。夕の言葉通り、このままだと帰りつくまではかなりかかりそうである。

 だがお言葉に甘えて眠ろうとしても、全身のべたべたが気持ち悪くて寝るに寝られない蒼生。結果、彼女は何度か助手席の上で寝返りを打ったくらいで早々に眠ることは諦めてしまった。


「……そういえばさー、夕、お盆に帰省するって言ってたじゃんかー?」

「あ? ああ、うん。盆は道路も混むから避けるつもりだったんだけど、親に『だったら電車で帰ってこい』って言われて仕方なくな。それがどうした?」

「んや、その間真昼ちゃんはどうするのかなーって思ってさ」

「真昼? ああ、飯のことなら心配要らないぞ。真昼も盆は帰省するって言ってたからな」

「そういうことじゃなくて……まあ、いっか」

「?」


 いつもは空気も読まずに言いたいことを言いたいように言う蒼生が言葉を飲み込んだことに不思議そうな顔をする夕。そんな彼から顔を逸らした蒼生は、車窓しゃそうをゆっくりと流れていくトンネルの壁を眺めながらぽそりと一人呟いた。


「――私のカンが正しければ、真昼ちゃんは本当にキミのことが……」

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