第九〇編 旭日真昼と知りたいこと


「お兄さんお兄さんっ! 今からひよりちゃんとあそこのかき氷屋さんに行くんですけど一緒に行きませんかっ?」

「おー、いいな。ちょうど暑くて参ってたとこだ」


 昼食を終えて再び海で水遊びを楽しんだ後、真昼まひるとひよりの二人はレジャーシートの上で荷物番をしているゆうに声を掛けていた。真昼が指差す先は昼時よりはいくらか行列がマシになった海の家。お目当ては夏の大定番、かき氷だ。


「すみません家森やもりさん、ずっと荷物番して貰って……」

「いやいや、気にしないでいいよ小椿こつばきさん。俺も俺なりにちゃんと楽しめてるからさ」

「でもお兄さん、海にも入ってないですよね? 海で遊んでる人たちを眺めてるだけなのに楽しめるんですか?」

「やめようか、真昼。その言い方だとなんというか……俺がすごく変態扱いされそうな気がする」

「え? それってどういう……?」

「……」


 きょとんとする真昼と、言いたいことを理解して微妙な顔を作るひより。そんな彼女たちに夕は「……いや、なんでもない」とやや強引に話題を断ち切ると、近くにいた蒼生あおいに海の家へ向かう旨を伝えてからそそくさと歩き出す。


「二人はどうだ? 海、楽しめてるか?」

「はいっ! すっ……ごく楽しいですっ!」

「私も、人並みには」

「そうか。なら良かった」


 温度差がありながらも共に笑顔を浮かべて答えると、引率役の大学生は安心したように微笑んだ。

 彼は朝から何度か似たような質問を繰り返しているが、それはおそらく先のナンパ事件があったからだろう。未遂に終わったとはいえ怖い思いをした真昼と雪穂ゆきほには特に気を遣っている様子が窺える。そしてそれは一見おちゃらけている蒼生も同じだった。


「(優しいなあ、二人とも……)」


 高校一年生と大学二回生、年齢で言えば四つ離れている彼らが、真昼の目にはなんだかとても大人びて見えた。小学校低学年の頃も高学年の生徒は自分たちよりも〝おとな〟なんだと思っていたが、それとはまた違う感覚。少なくとも今の真昼には四年後、夕や蒼生のように立派な〝大人〟になれている自信はなかった。


「(それに……)」


『真昼ーーーッ! 無事かァーーーッ!?』


「……っ!」


 今朝、ナンパから助けてくれた時の夕の声と背中を思い出し、真昼は思わずきゅっ、と胸の前で両手を握る。

 あの声が耳に入ってきた瞬間に恐怖が霧散むさんし、代わりに生まれたのは巨大な安堵。真昼じぶんを男たちの視界から隠すように庇い立ってくれた大きな背中は、今まで見てきた〝家森夕おにいさん〟のどれとも違っていた。


 朝「おはよう」と言ってくれる時、学校であった出来事を聞いてくれる時、「まさかまた部屋を汚してないだろうな?」と疑いの目を向けてくる時、台所で料理を教えてくれている時。

 ――一緒にご飯を食べている時。今朝の彼はそのいずれとも違っていて……そのいずれともだった。

 そこにるのは家森夕という男の根底に存在する優しさと気遣い。そして旭日あさひ真昼という少女が彼に対して抱く絶対的な信頼。

 思えばあの日――ドアの前でうずくま真昼じぶんに声を掛けてくれたあの時から夕はずっと変わらない。時には父のように、時には兄のように。先生のように、友だちのように。一定の距離感を保ちながら、いつも真昼の側に居てくれる。


「……そういえば知ってるか? かき氷のシロップって色以外全部同じ味らしいぞ」

「うえっ!? そ、そうなんですかっ!?」

「それ私もなにかのテレビで見ました。目瞑って食べたら本当に分からないとかって」

「そ、そんな……じゃあこれまでいちご味こそ正義だと信じていた私の気持ちはどうなるんですか……?」

「ははっ! 確かになんとなく裏切られた気分になるよなあ」


 ……夕と過ごした時間はまだ半年にも満たない。彼について知らないことなどまだまだいくらでもあるはずだ。今日だって新たな夕の一面を見たばかりである……助けてもらった直後、感極まって思わず抱きついてしまった背中の温もりも含めて。

 知らないことがまだたくさんある――知りたいことが、まだまだたくさんあるのだ。

 この夏休み中に、否、夏休みが終わってからも。


『絶対いるでしょ、彼氏ないし気になってるオトコが!?』

『……家森さん、狙ってるの?』

『おにーさんのこと、好きじゃないの?』


 ふと脳裏に、友人たちの言葉がよぎった。

 この気持ちを恋愛感情と呼ぶのかどうかはまだ分からない。そうだと断言するには、真昼には肉親でも友人でもない異性との関わりが少なすぎたから。

 けれど、それで良いのだと思った。今はまだ、〝真昼〟と〝お兄さん〟のままでいい。

 これからもっとたくさん話をして、もっとたくさん見たことのない彼を見て、もっと色んな料理を教えてもらって、もっと一緒の時間を過ごして。


「(そしてもっともっと、お兄さんのことを好きになったら――)」


 その時は、この気持ちを恋と呼ぼう。

 だから〝その時〟が来るまでに、もっと彼のことを知ろう。料理以外の色んなことを教えて貰おう。

 決意した真昼の表情は底抜けに明るかった。女子の天敵たるあの夏の日差しさえ霞んでしまう程度には。


「……お兄さんお兄さんっ! じゃあお兄さんは何味のシロップが好きですかっ?」

「え……は、話聞いてたか真昼? かき氷のシロップは全部同じ味なんだって」

「じゃあ色で選んでくださいっ!」

「色で!? い、いやそもそも俺はシロップのかき氷より宇治抹茶の方が好きなんだが……」

「そうなんですねっ! でもそれとは別に好きな色も教えてくださいっ!」

「なんで!?」


 珍しくグイグイくる真昼にたじたじと後ずさる夕。そんな二人のことを親友の少女が柔らかく見守っていた。

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