第四二食 害虫退治とお片付け②

 ――ゴキブリ。それは、きっと誰もが恐怖する害虫の名。

 黒光りする体表に長い触角という不気味な外見に加え、特筆すべきはその異常なまでの生命力。聞いたところによると、首と胴体部分を真っ二つ裂かれても首一つで生き続け、最終的な死因は水や食べ物を摂取出来ないことによる〝餓死〟になるのだとか。本当の話なのかどうかは俺には判別出来ないが、しかしそんなとんでもない話が〝あり得る〟と思える時点で、ヤツらの異常なまでの耐久性能は証明されたも同然だろう。

 シーラカンスやソテツと同じように、何億年も前から姿を変えずに現在まで種を存続させている〝生きた化石〟。そう、ヤツらは人類が地上を席巻せっけんし始めるよりもずっと前から、とっくにこの地球の影の支配者として君臨していたに違いないのだ――!


「……そんな影の支配者サマが、どうして君のお家においであそばされておられるんだい……?」

「そんなの私が聞きたいです~っ!」


 うたたねハイツ二〇五号室の扉の前に突っ立ったまま問うと、俺の背中に隠れるようにして服の裾を掴んでいる真昼まひるは涙目のまま喚いた。

 まあ〝G〟――〝ゴキブリ〟と呼称すると真昼があからさまに苦手そうな顔をするので今回はこう仮称することにする――というのは隙間さえあればどこにでも湧いて出てくる連中だ。だから真昼の部屋に現れたとしても不思議ではない……のだが。


「えーっと……それじゃあ入らせてもらうけど……ほ、本当にいいんだな?」

「ううっ……は、はい、大丈夫です……!」


 いくら真昼でも、男の俺を家に上げることに抵抗がないはずがない。しかし、かといって彼女に〝G〟と一対一タイマンで戦えというのはもっと無茶な話だろう。……正直、俺側も色んな意味で彼女の部屋に入るのは怖い……けれど。


「す、すみませんお兄さん、こんなこと頼んでしまって……私、虫ってどうしても苦手で……」


 ……そんな風に、潤んだ瞳でこちらを見上げて来るのはズルいじゃないか。

 心の中で深呼吸をし、覚悟を決めた俺は彼女の部屋の玄関のドアノブを回す。

 当然ながら、中の構造自体はうちとほとんど同じだ。玄関を入ってすぐのところにキッチンがあって、台所に立った時の背中側にはトイレのドアと浴室へ続く引き戸が一つずつ。そして廊下を進んだ奥に一部屋。


 その一方で、我が家との違いも多々見受けられる。

 まずはにおい。……いや、決して変態的な意味ではなく、玄関を入ってすぐの靴箱の上に置き型の芳香剤があるのだ。ふんわりと香ってくる柑橘系の匂いは、うちのキッチンの無骨な脱臭炭と違ってとても可愛らしい印象を受ける。


 続いて目につくのはやたらと物の少ないキッチンだ。調味料の瓶や食器類がほとんどなく、それどころかコンロ台の上までもぬけの殻。流石に小型冷蔵庫は置いてあるが、その天板にはなにも――電子レンジも、炊飯器も、トースターも載せられていない。

 キッチンというよりは、もはやただの手洗い場のようになってしまっている。……今さらだが、俺と出会うまでの彼女は本当に料理などなにも出来なかったんだな……。


 そしてなによりも俺の目を引いたのは、おそらく〝G〟と遭遇し慌てて俺の部屋に逃げ込んで来たがゆえ、開きっぱなしになっている奥の部屋のドアから覗く室内だった。


「…………」


 俺は思わず絶句する。なぜなら――俺の瞳に飛び込んできたのは大量の衣類が床の上に散乱し、足の踏み場もないような惨状と化している汚部屋だったのだから。

 ……なるほど。この部屋と比べたら、確かに俺の部屋はあれでもとても片付いている方なのかもしれない。


「……な、なんか……ごめん……」

「な、なんで謝られたんですか私!?」

「い、いや、大丈夫だ。俺、なにも見てないから……〝G〟を退治したらこのことは忘れるようにするから……」

「やめてっ、優しくしないでくださいっ!? それならまだ幻滅された方がマシですっ!?」


 真昼とてこのような部屋を俺に――というか他人に見せることなど想定していなかったのだろう。「こんなことなら日頃からこまめに掃除しておくんでした……!」と、両手で顔を覆いながら耳まで真っ赤にした女子高生は嘆いているのだった。

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