第9話 アルバ・カスターの魔術講座

 「簡潔に話せば、この博物館はこの街の起点の一つだ」


 ヘルガとレアはそろって眉をひそめた。起点の一つ、それではまるでいくつもの発生源が存在しているようではないか。


 「一年間レアに戦闘まかせて調べまわった結果、オレが見つけたこの街を覆う霧を発生させている起点は四つだ。


 一つはここ、一つはホテル街、一つは森林部、一つは学院。


 だがそれはすべて順番に壊していかなければ意味がない。どこにあるのかはすでに察しはついている。だが、それを成すのに人目が邪魔だ」


 なるほど、とおもう反面疑問に思うところがある。

 例えば、順番に壊す理由。例えば人目が邪魔が邪魔な理由。


 一つ一つ、紐解いていく必要があった。


 「まず、なんで順番に壊す必要があるか。その根拠は霧の構成要素にある。――なぁヘルガはどうやって霧が生まれるか知っているか?」


 知らない、とヘルガは応えた。霧が生じることがほとんどないデイル・アート市では縁遠い存在だ。まだ雲のでき方の方が知っているかもしれない。


 「簡潔に言えば霧とは水蒸気が何らかの理由によって温度が下げた末の産物だ。理科を少しでも勉強していればこんなこと説明する必要ないんだがな」


 悪かったな、とヘルガは閉口した。理科の授業なんて話半分にしか聞いていないに決まっているだろう。学力テストも課題回避点ギリギリだ。まして日常に必要のない霧が生じる理由なんて知るわけがない。


 「そして水蒸気とは空気中の水分が気化した存在だ。水の構成元素は水素と酸素、変化させるのは湿度、そして温度。ここまで言えば少し魔術をかじった人間ならわかるんじゃないか?なぁ、レア」


 「四元素と基本性質ね」


 レアの答えにアルバにはニヤリと笑みを浮かべた。したり顔のアルバをよそにヘルガはレアが何を言っているのか、さっぱりわからない。四元素だ、基本性質だ、と言われても「頭大丈夫?」という意見しか沸かなかった。


 「魔術初心者どころか、魔術についてまったく知識のないヘルガに説明するとだな、魔術っていうのは適したルールに則って、超能力に近い事象を引き起こす技術のことだ。


 それが使える人間を魔術師っていうんだが、これは案外簡単になれるんだよな。


 必要なのは強靭な精神、一般倫理に囚われない探究心、そして先達の魔術師。それらすべてを伴ってオレらは地獄――あー、ダンテの『神曲』とかにでてくる地獄――を降りていく。


 そして魔術師はより深みの圏谷たにに潜ることで、ただ一つの願いを成就しようともがいてんのさ」


 「ちょっと情報量が多くて混乱してるんだが……」


 短くまとめると、アルバは魔術師でいいだろうか。魔術師がどんな存在かは知らないが、魔術が使える人間という漠然とした認識で問題ないはずだ。そしてその魔術と霧が関係している。


 それ以外のことは今はどうでもいい。大して重要ではない、とヘルガは記憶の中から今聞いた内容のほとんどを消去した。


 「で、話を戻すが街を覆っている霧の発生源はその魔術における根幹とも言える四元素説と密接にリンクしてる。さすがのお前も四元素くらいは聞いたことあるよな?」


 「なんだっけ。世界は地水火風で創られている、とかだっけ。なんかの小説に書いてあったかな?」


 「ああ、その認識で間違いはない。で、その四元素にはそれぞれ性質があってな。地は乾と冷、水は冷と湿、風は湿と熱、火は熱と乾の性質を持っているんだ。ここまで言えばなんとなくオレがさっき言った霧についてわかるだろう?」


 丁寧に石タイルを剥がして図解されたアルバの図を見て、なんとなくヘルガにも彼の言わんとすることができてきた。


 地面に描かれたのはダイヤモンドに似た平行四辺形、その各頂点に地水火風のイニシャルがかかれ、各辺には乾冷湿熱のイニシャルが振られている。


 アルバの言った霧の発生原因にあてはめると、まず水が湿度で水蒸気に変わるのが、水と湿の立ち位置。そのあと大気の温度の変化を表すのが、風と熱の立ち位置。


 言われてみれば合致はする。

 最初言われたときはまるで考えもしなかったが、いざ説明されれば成り立つは成り立つ。


 ひとしきり説明し終えアルバが確認をとると、ヘルガはこくりとうなずいた。なら、とアルバは次の疑問に答えだした。


 「第一前提として、人目がオレは邪魔だと言った。だがその言葉に対してお前ら、こう思っただろ。死体がほとんどの街で人目なんて気にする必要あるのかってな」


 そこまで過激なことは考えていないが、白昼堂々壁をぶち破って入ってきたザンニのことを思い出すと、人目が多少あっても問題はないのではないか。元からおかしな街なら、いくらそこで暴れても、という若干サイコな考えがヘルガの中にはあった。


 どうせ仮初めの街だ。派手にぶっ壊してやればいい。


 「あいにくとその人の目が重要だ。五回くらいここに入ってわかったが、最低でも四十人が日中は常に起点を見ている。そしてその視線はすべて魔術的な意味があった。――なぁ、ヘルガは笑顔で話している相手を殴ってやろう、と思ったことはあるか?」


 いやない、とヘルガは答えた。そもそもそんなことを考えるのはサイコか、ソーシオパスのどっちかだ。どういう思考で笑顔で話してる人間をぶん殴る、という発想にいたるのか、理解できなかった。


 迷いなく応えるヘルガに対し、アルバはそうだよな、と返した。同時にもう一枚石タイルを剥がして、図解し始めた。


 「なんで殴らないんだ?」

 「殴る理由がないだろ。それにその後のことを考えると……」


 「まぁ、そうだわな。人の意識っていうのはその辺のリスク・リターンの判断をけっこう正確にやってくれる。そしてそれは同時に人の目を気にしている、とも言える。


 他者の目を利用した仕掛け、と言えばいいのかな?誰かの目があるんじゃないか、と思う気持ちを増幅させる、そんな魔術の仕掛けが起点の周りに仕掛けられているんだ」


 饒舌に語りながら、アルバはたくさんの人の目を一人に向かって書く。ヘルガとレアもその図込みでなんとなくだが、アルバの言いたいことが理解できるようになった。


 つまりアルバが言いたいのは「人の焦りを増幅させる魔術」が仕掛けられている、ということだ。


 授業中に教師に隠れて内職するようなものかもしれないが、そのときの緊張度がさらに跳ね上がる、と考えると心臓に悪い。より突き詰めれば内職したいけど、できないというジレンマをつくりだす魔術ということにもなる。


 「……それって全部の場所に設置されてんのか?」

 「ああ。ぜーんぶだ。ここ、ホテル街、山林部、そして学院校舎の全部に同じものが設置されてる」


 アルバの語り口調から、かなり綿密に調査したことがわかる。夜の学院に侵入くらいはしているだろう。


 破壊しようとしたこもあったのだろう。


 だが、できなかった。


 それからまた調べて、ようやく順番に破壊しなくては意味がないことに気づいた。おこぼれをもらっているようで申し訳ない気分にさせる涙ぐましい話だ。


 ただ彼の涙ぐましい努力も無機質な扉一枚隔てて無意味と化していた。博物館正門となるドアはガッチリと閉められ、いくら押してもうんともすんとも言わない。


 「事務員用の裏口とかは?」

 「ないぞ、んなもん」


 これだけの巨大な建造物だから、と思って提案してみたが、すぐに一蹴された。だがそれはおかしい。庁舎として創られたこの博物館が裏口もないなんて欠陥建築なんてレベルじゃない。


 おかしいだろ、とヘルガがつっこむとアルバは大きくかぶりをふって答えた。


 「一応オレだって確かめたぞ?博物館の外周を調べて、正門以外の入り口を探したさ。でも、ない。だがな、ちょっとおかしなことがあってな。中を昼に探索したときはドアはあったのさ。外側にはなかったけど」


 「アルバ、それは外から埋められた、ということかしら?」


 「ご明察だ。夜にそこ蹴ったり魔術で攻撃してみたけど、石膏で固められててヒビ一つ入らなかったよ」


 窓は、とヘルガは無数の窓へ視線を向ける。分厚くて、並の人間には破れそうにないが、レアの怪力なら希望があった。


 しかしアルバは首を横に振る。


 「そもそも正門以外の扉じゃ入れない造りなんだよ。窓も、裏口も、すべて壁に描かれた絵みたいに実態がない。この博物館それ自体が一つの魔術的な要塞なんだ」


 だからレアの力技にかけたんだが、とアルバはあごひげをなでながらレアに視線を向ける。


 彼女の馬鹿力で無理やり扉をこじ開けようとするわけだ。結果として不可能に終わってしまったが。


 「いや、ちょっと待て。――少しおかしくないか?それってこの扉以外に出入り口がないってことだろ?じゃぁ、どうやってこの扉は開けているんだ?」


 ガンガンと強めに扉を叩く音が街中に響いた。その音に乗って、ヘルガの声が街中に反響する。すでにこの場で話し始めて一時間半は経過した。冬を連想させる肌寒さ香り始めた秋の屋外で、一時間半も立ちっぱなしはさすがに寒い。


 まして人通りのない薄暗い、ガス灯の灯りもほのかに灯る程度の明るさの博物館前で駄弁をむさぼるなど論外の極みだ。


 キャンキャン吠えるヘルガに、アルバは静かな声で答えた。


 「中に死体の警備員でもいるんだろう?あるいはなんらかの魔術的な仕組みが埋め込まれているか……」

 「なんでもかんでも魔術で解決するなよ。いや、魔術とかも使われてるのかもしれないけど、ひょっとしたらそれ以外の要素があるかもしれないだろ!」


 吠えながらヘルガは自分の知りうる限りの博物館の概要を思い出そうと、頭を叩いた。


 十四年――うち四年は無為に過ごしたが――をこのデイル・アート市で過ごし、まだ一桁の頃に何度も博物館を訪れた。


 ギリシアの神殿とドーム状の教会を混合させた建物。その初期案をより洗練化し、過度な装飾を極力避けた結果、荘厳で威厳ある庁舎となった。


 今でこそ博物館だが、かつては街の行政の要であり、多くの隠し扉や秘密の部屋があった、として有名な場所だ。


 そしてその一部は未だ見つかっていない。最後に見つかったのは六年前、旧戸籍管理室の床が回転し、森林部に出る隠し部屋と通路が発見された、と話題になった。


 「もし、それが再現されてたら」


 可能性はなくはない。中心街から森林部まではかなりの距離があるが、まだ夜は長く踏破することは可能だ。鉄扉の前で夜もすがらだべっているよりもはるかに有益だ。


 徒歩なら一時間もあれば到達できる距離だ。どこに出口が出ていたかはテレビの記憶が古すぎて憶えていないが、森林部のはずれだった記憶はある。


 「レア、アルバ。確証はないけどひょっとしたら中に入れるかもしれない」

 「窓でも割るか?」

 「違うよ。ここから森林部につながっている隠し通路が六年前に発見されたんだ。そこを使えば」


 ヘルガの案にレアは乗り気なのか、笑顔で返すがアルバは難色を示した。六年前に見つかった通路なら、この街が霧に覆われたときに潰されているかもしれない、と彼はヘルガに訴えた。


 確かに、と思うところはある。実際に隠し通路があった場所に行って、埋められていましたでは元も子もない。


 「だけど、可能性にはかけてみたい。でなきゃこの街から出られないんだろ?」


 「――いや、待て。隠し通路、か」


 アルバはなにか思い出したのか、修道服のポケットから地図帳を取り出した。現在のデイル・アート市区役所で無料配布しているシティマップだ。中心街の観光スポットなどが事細かく記されている。


 碁盤の目でないデイル・アート市では必須と言ってもいい品だ。長く住んでいる人間であっても下手をすれば迷ってしまうほど道が入り組んでいる。


 アルバは南街の地図を主に見ながら、赤ペンでところどころを丸くしていく。横からヘルガがその丸を見ると、どれも等間隔に線で繋がれ、地図上に九個の丸、八本んの直線が現れた。


 「なるほどねぇ。この博物館を作ったやつはオカルティストだったんかな。都市の雑多な構造をうまく使っているわけか」


 「なんだよ。アルバなにかわかったのか?」


 「ああ、多分だがヘルガの言っていた隠し通路、まだ使えそうだ」


 なら、とヘルガがレアと一緒に森林部に向かおうとすると、アルバがそれを静止した。振り返ったヘルガがなんで、と問い詰めると、静かに彼は北を指差した。


 「多分だが、北。そうだな、ここから八キロの場所にもうひとつ隠し通路があるはずだ」

 「なんで、そんなことわかるんだ?」

 「そうね、なんでわかるのかしら。アルバ、順を追って説明してもらおうじゃない?」


 ヘルガのみならずレアにも詰め寄られ、アルバの額に汗が伝う。だが、彼は背中を向け北へ向かって歩き出した。かなり早いペースで、歩幅も広い。長身である彼の一歩はヘルガの二歩だった。


 遠ざかっていく正門を尻目に、どんどん離れていくアルバをヘルガ達は追いかけた。彼が目指す先、それがなんなのか、ヘルガには見当もつかない。ただ、アルバは強い口調で率先して前を進んでしまうから、どうしても着いていってしまう。


 道中、時折止まりながら地図で位置を確認するアルバの目はいつになく真剣で、それは彼の髭面と妙にマッチングしていて、哀愁が漂っていた。しきりに屋根を見ては右往左往するアルバを追う中、頭上の月が徐々に傾き始めた。


 深夜、人が消え入る頃に動き出し、腕時計を確認すればもう午前二時半になりつつあった。あと三時間もすれば夜の闇が晴れ、また人がどこからともなく現れる。


 チャンスはいくらでもあるが、早く霧の中の街から出たい三人は必死に足を動かして、そしてその足はとある聖者の石像を飾っている教会の前で止まった。

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