銀の森

星月 猫

銀の森

遠い遠い、とあるセカイで人は、様々な獣たちから進化したという。

その証拠は時々現れる。


獣の要素を持って生まれる者──獣返りとして。


一括りに獣返りと言っても程度はまちまちだ。

耳や、尻尾などの一部だけが獣な者。

顔や手足まで獣な者。

獣そのものの姿に変化へんげできる者もいる。

ただ、魔力の強い者が多いのは共通点であった。


人々は彼らを蔑んだりはしなかった。

少なくとも、平和であれば。


そして人々は山や森、海などの自然と共に暮らしていた。

その多くには王や主がいて、その場を守っている。

王や主と言っても、それの多くは獣……人々の言う、代々その地を守る土地守とちもりである。

──それはこの森でも変わらなかった。

村人たちはこの森を、『銀の森』と呼ぶ。

銀の狼が守りし森、と。


その村は、銀の森のすぐ側にある。

名も無き小さな村だが、畑や農地は村人に一年を過ごすのに充分な糧と、少しの備蓄をもたらす、良くも悪くも普通の村であった。


そんな村にあるとき、若い流れの薬師くすしがやって来た。

17歳ほどだろう彼女は、銀の森の薬草に興味があるらしい。

彼女は森に家を建てて住み着き、時々村に降りて来てはその知識と魔力を使って村人を癒やし、代わりに森では手に入らないものを貰っていった。


***


そんな関係が三年ほど過ぎた頃、彼女はふらりと姿を消した。

再び姿を現したのは、一年と少しが過ぎた頃。

彼女は自分と同じ、金髪の赤ん坊を抱えていた。


そして同じ頃──村に疫病と飢饉がやって来た。


村人は言う。

──あの薬師は魔女だったのだ!

──魔女が疫病と不作を運んできたのだ!!

と。


食べ物は少なくなり、病に伏せる者も少なくなかった。

そんなときに生まれたその赤ん坊は、銀髪に蒼い瞳が美しい──狼の獣返りだった。

大人たちは考えた。

「獣返りは成長も早く、力も強い。彼は大きくなれば良い働き手になる」

「だが、沢山食べるではないか。今、そんな余裕は無いぞ」

「幸いにも彼は狼の獣返りだ。いにしえよりの言い伝えに乗っ取り、銀の森へ返すのはいかがか」

「おお、その手があったか!」


こうして哀れな獣返りの男の子は、名前すら貰えないまま銀の森の奥深くに置き去られてしまった。

ただ一つ幸福だったのは、彼を見つけたのがただの獣でなかった事だろう。


その獣は、銀の毛並みをもった狼──この森の主であったのだ。


狼は赤ん坊を人間……魔女と呼ばれた薬師、ラヴィムのもとへと連れて行った。

「ラヴィムよ、この哀れな同士を育ててはくれまいか?」

彼女には既に娘のリャイスがいたのだが、快く引き受けた。

そして、獣返りの男の子はアルジャンと名付けられ、リャイスとは姉弟きょうだいのように育った。


ラヴィムは姉弟に薬師の知識を、銀の森の主や獣たちは魔法の扱いを教えた。

そのおかげか、姉弟は普通の人の知る事のない知識と魔法を覚えた。

──つまり、珍しい薬草の扱いや、姿を獣のそれに変える、変化へんげの魔法である。

二人は森を遊び場に朝から晩まで駆け回り、賢く、強くなっていった。


***


やがて月日は流れ、アルジャンは少年に、リャイスは少女となった。

特にアルジャンの成長は著しく、身長は既に家族の誰よりも高く、そして逞しくなっていた。

そしてラヴィムは──伏せってしまっていた。

それは病気ではなく、老いであった。

彼女の歳を鑑みれば、このセカイでは長く生きた方だったと言えるだろう。

ある冬、彼女は言った。


「リャイス、アルジャン。ここまで大きな病気もせずによく育ってくれたね。これからも二人仲良く、助けあって生きて行くんだよ──」


それから間もなくしてラヴィムは、自分の子供たちや森の主に見守られて──亡くなった。

彼女は、最後まで自分を魔女と言った村人たちを恨みはしなかった。

それは姉弟に受け継がれた事だろう。


***


そして春が過ぎて──夏がやって来た。

その夏はいつもと何か違っていた。

雨が連日のように降り続き、太陽を隠してしまい……時には遠くから雷鳴が響いた。


やっと太陽が顔を見せたその日、炎の壁はやって来た。


恐らくあの雷鳴の置き土産だろう。

程なくして炎の壁は村のすぐ側まで迫って来た。

村人たちは必死に炎を消そうとしたが、その勢いは止まらなかった。


諦めかけたその時──銀の閃光が駆け抜けた。


それは、銀の狼だった。の、だが。

二体いた。

森の主は一体だけであるはずのに……?

狼たちは炎の壁に向かって行き──吠えた。


『『止まれ!!』』


すると、どうした事か炎が一瞬、たじろいたように揺らめき、動きを止める。

そのとき、森の方から声が響いた。


「皆さん、今のうちに森へ!!」


村人たちは振り返り……驚愕した。

声の主は、あの十数年前に赤ん坊を連れていた魔女だったからだ。

「おまえは!」

「事情は後で説明します!ギン様とアルジャンの言霊ことだまが効いている、今のうちに森の奥へ!」

村人たちは不審な顔をしつつも、森へと進んで行った。


***


狼たちは村人が森の奥に向かったのを確認して──動き出した。

魔法で風をおこして炎を牽制し、その魔力を乗せた遠吠えで雨を呼ぶ。


その様子は森の高台からもよく見えていた。

もちろん、村人たちにも。

雨粒は次第に大きくなり、村に、森に降り注いだ。

それは、誰かが声なく流す涙のようではなかったか……?


程なくして、畑や農地の半分を焼き尽くした炎の壁は姿を消した。

村は冬を越えられるだろうか……?

森から出て来た村人たちの思いは、そう変わらなかっただろう。


「皆さん、聴いてください!」


魔女のよく通る声が響いた。

「まず、私たちについて説明させてください。私は薬師ラヴィムの娘、リャイスです。」

あの魔女の娘だったのか……と、ざわめく村人たちを静めたのは、獣の息遣いだった。


『リャイス、あとは俺が説明しよう』


二体の狼のうち、大柄な方がそう言って前に歩み出た。

そしてもう片方を示して言った。

『彼はこの銀の森の主、ギン様だ。そして俺はアルジャンと言う。……覚えているか?十数年前に生まれた、獣返りの事を』

大柄な狼の周りに銀色の風が渦巻き、村人たちはあまりの強風に目をそらした。


風が止み、再び見たその姿は──銀色の狼の耳と尻尾を持った少年だった。


「ま、まさか、おまえは……!!」

「そうだ。この村に疫病と飢饉がやって来たとき、おまえたちに森に置き去りにされた赤ん坊……俺はギン殿に見つけられ、薬師ラヴィムに育ててもらった」

村人たちの顔は蒼白だった。

まさか……と。

「安心してくれ。俺は誰も恨んだりはしていない。……俺の親は、薬師ラヴィムとギン様。それに──銀の森とそこに住む獣たちだ」


***


その後村人たちは俺たちに謝罪をして来た。

ラヴィムを魔女と言った事と、俺を森の奥に置き去りにした事についてだった。

そして俺の本当の親を名乗る夫婦にも会った。

彼らは俺と共に村で暮らさないか、と誘って来たのだが……丁重に断った。


俺は森で暮らしたいから、と。

あとから聴いた所によれば、リャイスにも村で暮らさないかと誘いがあったそうだ。

彼女も森でアルジャンと……俺と暮らして行きたいから、と。


***


そんな事もあって。

今でも俺はアルジャンと共に森で暮らしている。


俺は昔の事を思い出しつつ、彼女のぽっこり膨れたお腹を優しく撫でながら微笑んだ。

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