桜色メッセージ

万之葉 文郁

桜色メッセージ

 コトコトコト


 鍋のシチューが煮える音が心地よい週末の夜。


 今日は大学の午後の講義がなく、バイトが休みだった。


 もう11月半ば、温かいものがおいしい季節だと言うことで、本日はビーフシチューを作っている。


 しがない学生の身では高いかたまり肉は手が出しにくい。そこで安い外国産の牛肉だが、薄切り肉でなく焼き肉用の肉を使う。これをフライパンで焼いてから煮込む。この一手間で、ちょっとリッチな味になるのだ。

 私ってほんと料理上手とひとり悦に入る。


 すると、そこにスマホの通知音が鳴る。

 相手は恋人のナオトだった。

 これはもしや……


「はいはい。どうしたの~?」


 私はいつもの調子で応答する。

 すると、いつもより低いナオトの声。


“ごめん。今日バイトになった。

 そっちに行けない”


「え~。またぁ?」


 私は不満の声をあげる。


 ナオトは夜のコンビニでバイトしているが、その店はいつも人が足りていない。

 度々、急に今夜入れないかと店長から連絡が入るのだ。


「それ、たまには断れないの?今夜は外せない予定がありますとか言って」


“今日は他に誰も空いてなくて、入れるの僕しかいないんだって”


「それ本当なの?」


 店長は始めからナオトにしか連絡していないような気がする。

 ナオトが人の頼み事を断れないのを見越して毎回電話してくるのだ。


“ごめん”


 ナオトがもう一度謝ってくる。


「もう。しょうがないなぁ。

 今夜はビーフシチューだったのに」


“えっ。ビーフシチュー!?”


 ナオトの声音が変わる。

 ナオトはシチューやカレーといった煮込み料理に目がないのだ。


 私はわざとに悲しそうな声を出す。


「せっかく今日はコトコト時間をかけて煮たのに。食べてもらえないなんて」


“……”


 スマホ越しでもショックを受けている様子が息づかいでわかった。


「ふふっ。冗談だよ。明日私は夕方かバイトで昼過ぎまで大丈夫だから、バイト終わったらおいで。シチューは置いておくから」


“いいの?”


 ナオトは遠慮がちに聞いてくる。


「ナオトに食べてもらいたくて作ったのだもの。上手にできたのよ?」


 私はスマホ越しに胸を張って答える。


“じゃあ、バイト終わったら行く”


「はいはい。待ってるね」


“ほんとごめんね。ありがとう”


「どういたしまして。じゃあね」


“うん。またね”



 通信を切り、ふーっとため息をつく。

 付き合って1年ほどになるが、急なバイトで会う予定がドタキャンになるのは珍しくない。


 友だちに言うと、よくそんなの許してあげられるねとか言われるのだが、私は別に自分のワガママでドタキャンしてるんじゃないんだしと思う。


 ナオトは大人しくて人が良い。

 人の言うことを疑わないし、頼まれると嫌とは言えない。きっとこの性格でだいぶ損をしてるんじゃないかなぁと心配に思う。


 私はそんな不器用な彼を好きになった。守ってあげなきゃって思う。

 これが母性本能ってやつかもしれない。


 ナオトと出会うまではリスクは事前に排除する派だったのになぁ。

 人を変えちゃうから恋愛って不思議。

 友だちにこんなこと言ったら絶対惚気だと叩かれるので言わないけど。


 ――――――――――――――――――――



 翌朝



 私は早めに起きて、身なりを整えてナオトを待っていた。


 シチューはもう何回も冷めては温め直されている。



 遅いなぁ。


 ビーフシチューのようなブラウン系のソースの煮込み料理が特に彼の好物だった。

 だから、バイトが終わったら飛んでくるかと思ったのに。



 付き合ってしばらくたった頃。

 私が料理が得意だから何でも作ってあげるというと、

「ビーフストロガノフを作って」

 っと言ってきた。


 何だその聞き慣れない料理は。普通そこはカレーとか定番がでくるだろうと内心つっこんだ私の心情を感じたのだろう。焦ったように、料理得意だっていうから……とワタワタして言った。


 その焦りぶりがなんか、かわいいと感じた。

 それに、普段あまり自分の要望を口にしない彼の珍しいおねだりに私の心は大いに刺激され、私は料理上手の本領を見せようとスマホで検索し、フォンドボーやサワークリームを使った、本格的なビーフストロガノフを作り上げた。


 出来上がったそれを一口食べたナオトは目を真ん丸にして、すごくおいしいととても喜んでくれた。


 ちなみに、ナオトはこれまでビーフストロガノフを食べたことはなく、いつか食べようと思っていたのだと言っていた。


 今度、12月始めのナオトの誕生日にはボルシチを作って欲しいと言われている。

 また無茶振りなと思ってはいるが、またスマホを駆使して、本場顔負けのボルシチを作ってやろうと気合い十分だ。

 彼の笑顔が目に浮かぶ。



 そんなこんな考えているうちに10時が過ぎた。


 遅くなるならメールくらいしなさいよとスマホを手に取ると、そのタイミングでスマホが鳴った。


 着信はナオトだ。


「はいはい。もう、遅いよ」


 即座に出て文句をいうと、向こうで息を飲む音がする。

 しばらくして



“あの……坂井 美春さんですか?”


 知らない年嵩の女の人の声がする。


 自分の心臓の音が早くなるのを感じた。


「そうですが。あの……」


 私はできるだけ冷静な声を出そうとした。


“直人の母です”


 電話の相手はそう答え、続けて、


“直人は今朝、死にました”


「えっ」


 あまりに衝撃的な言葉に、始め何を言われているのか理解できなかった。

 何度か反芻して、そしてサァっと血の気が引いたのを感じた。


 ――――――――――――――――――――



 あの日の電話の後のことはよく思い出せない。


 ナオトはバイト先からこちらに来る途中に事故に遭い、そのまま帰らぬ人になったのだ。


 搬送された病院に行き、頭に包帯を巻いて眠ったように動かない彼を見た時も、お葬式に出た時も、目の前の現実が現実でないような、自分がこの世界から切り離されたような感覚でその場にいた。


 ただただ涙が溢れ、もう彼のあの声が聞けず、あの笑顔が永遠に見れないと思うと、胸が潰れるかと思うくらい苦しかった。



 年が明けて数ヶ月経っても、私の中の時が止まってしまったかのように何もすることができなかった。大学にもバイトにもいかずに部屋に籠る日々。


 人伝で事情を知った母が様子を見に来て、一人暮らしの私を実家に連れ戻した。


 母は部屋から出て来ず、何も喋らない私に食事を持ってきた時など必要最低限しか声を掛けてこない。何か言いたそうな時もあるけど、私が何も聞きたくないという態度で拒否している。


 友だちからも気遣わしげなメールも送られてくるが返信できていない。


 ずっと閉じ籠ったままで、これじゃあ天国のナオトも心配しているはず。友だちにもメールで言われたし、自身でもそう思いながらも私は前に進めない。


 だって、あまりにも唐突すぎた。


 あの電話が最後になるなんて思ってもみなかった。


 ビーフシチューもボルシチも食べさせてあげたかった。

 お正月には初詣。春になったら花見に行きたいねって話してたのに。

 もっと静かに優しく響くあの声を聴きたかった。

 もっともっと笑顔を見たかった。


 とめどない思いに、また頬が濡れる。

 涙はいつまでも枯れなかった。



 コンコン


 部屋のドアがノックされる。

 続いて母の遠慮がちな声が


「美春。美春のマンションに行ったらね、メールボックスに小包が入ってたの」


 小包。誰からだろう。

 通販で物を買ったときくらいしか小包なんて届かないのに。


「それが……長谷川くんから……」

「!?」


 私は反射的に跳ね起き、扉を開けた。

 母の持っていた小包の差出人を見ると確かに長谷川 直人と本人の字で書いてある。


 母から小包を受け取って、昔から使っている学生机に置く。

 小包は日にち指定で3月14日。

 私の誕生日だ。


 これは、ナオトから私への誕生日プレゼントだ。


 私はすぐに小包を開ける。

 箱を開けるとピンク色のシュレッダーされた紙が大量に溢れてきた。


「!!」


 その中をガサゴソ探ると、長細いピンク色の包装紙でこれまたピンク色のリボンでラッピングされた箱が出てくる。


 それを丁寧に開けると、小振りなネックレスが入っていた。

 金色の鎖でトップにはピンクに色付けられた小さな桜を模したチャームが付けられていた。


「かわいい…」


 ナオトが私を思ってくれて選んでくれたプレゼント。

 私が花の中でも桜が一番好きと言ったのを覚えてくれていたんだ。


 また、鼻がツンとする。


 ナオトに逢いたい。

 逢ってお礼がいいたい。


 また、止めどなく涙が出てきた。



 しばらくして、ようやく落ち着いたところで、箱の中で溢れかえっているピンク色の紙をもう一度見る。緩衝材としていれたんだろうけど、さすがに多すぎないだろうか。


 もう一度、箱の中をゴソゴソしてみる。

 底の方に何か敷いてある。取り出してみると、白い封筒に入った手紙だった。


 私は震える指でそっと封を開けて便箋を取り出す。

 ナオトの癖のある角張った字が並んでいる。



“美春へ


 お誕生日おめでとう。


 一足先に桜を送ります。


 また、お花見に行きましょう。”


 読みながらまた涙が溢れてきて字が読めなくなる。


「もう、お花見、行けないじゃない……」



 涙を拭いつつなんとか続きを読む。




 ”これからもいつも笑っていてください。


 直人 ”


「~~~~~~っ!」



 もう、涙が止まらなかった。


 これは、ナオトの最後の手紙だ。


 泣いてばかりいる私への、最後のメッセージだ。




 どれくらい経っただろう。

 机に突っ伏したまま叫ぶ。


「笑えなんて……またなんて、なんて無茶振りなの!」


 私はゆっくり顔を上げた。


「でも……ナオトがそういうなら、笑ってあげる。」


 私は、涙でグシャグシャな顔で、空に向かって精一杯笑った。




 もう泣かない。

 私は、笑って生きる。

 ナオト。

 空の上から見守っていて。




(了)

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