10 放課後、三人で。
「犯人? 何言ってんの」
夢佳先輩の目がきゅっと細くなってすみちゃんをにらむ。
「とぼけるつもりですか?——じゃあまず、梨々花さんに存在しない書類を取りに行かせた理由を教えてくれませんか?」
夢佳先輩はひるまず淡々と告げる。
「存在しないって、誰が決めたの? 梨々花ちゃん、先生に聞きに行ってないでしょ」
すみちゃんは「え」とその大きな目を見開かせる。
どういうこと?
すみちゃんの話じゃもう書類は取りに行ったってことじゃ——
「だって、その書類はもうもらってましたよね? 確かあの辺にあった気がします!」
すみちゃんは急いで書類を探し始める。
「無駄よ。もう捨てたのだから」
「捨てた……?」
「ええ。このはちゃんがその書類に墨をこぼしちゃってね。何も読めなくなっちゃったから先生にもう一度印刷してもらったの。だから別に梨々花ちゃんに嘘をついたわけじゃない」
「で、でも……」
すみちゃんは下を向いて何かを必死に考えているようだ。
「すみちゃん……」
もう、いいよ。
私はもう大丈夫だから。そんなに頑張らなくていいよ。
別に書道部を退部したっていい。
わざわざここで頑張らなくてもいい。
だから、大丈夫だよって、言おうとした。
その時すみちゃんははっと顔を上げる。
軽く微笑んでいるようにも見えた。
「じゃあ、もう一つ。梨々花さんが筆を持っていないことがわかったとき、なんで慌てていたんですか?」
夢佳先輩は唇を軽くかむ。
「なんでって、それは——」
その言葉をすみちゃんが引き継ぐ。
「それは、梨々花さんが筆を持っていれば、その場で陸先輩の筆を盗んだ犯人にできたのに、それができないと思ったから。——違いますか?」
夢佳先輩はあごに当てていた手を乱暴におろす。
一瞬目に怒りが浮かんだけど、その光は消えた。
残ったのはあきらめの光。
「そうよ。まぁ結局陸が勘違いしてくれたから助かったのだけれど」
「なんで、夢佳先輩は梨々花さんにあんなことしてきたんですか!」
「梨々花ちゃんの書を見てから? あんな気持ちになっただけ」
「……それで、すまされると思ってるんですか! 梨々花さんがどんなに苦しんだか! 夢佳先輩はその気持ち、わかりますか? わからないですよね!」
「まあ、わからないよ、私は梨々花ちゃんじゃないし」
「梨々花さんは……!」
「すみちゃん」
私はすみちゃんの腕を引く。
「少し、落ち着いて」
「落ち着いてなんていられませんよ! 梨々花さんはなんで落ち着いていられるんですか? 怒っていいんですよ!」
「……まぁ勘違いするだけ、陸の、まーちゃんへの思いが強いってことだろうけど。でも陸、このはちゃんのことを好きになっちゃったのかな……」
ふと発せられた夢佳先輩の小さなつぶやき。
それは本当に小さな声で。
……私、わかっちゃった。
夢佳先輩は陸先輩のことが好きなんだ。
今思うと、夢佳先輩、必死だった気がする。
たぶん、誰にも陸先輩をとられたくなかったんじゃないかな……?
でも、だったらなんで、私にあんなことをしたの……?
私だけに。
別に私は陸先輩に好かれているとも思えないし。
わけがわからないよ。
「夢佳先輩、すみは現実の人に恋したことがないからわかりませんけど……陸先輩のことが好きなんですね」
夢佳先輩は笑う。
「そうよ。陸のことがずっと好きなの」
そして私に近寄る。
手を取ってまっすぐに私を見つめた。
「ごめんね、私自分のことしか考えられなくて、梨々花ちゃんにひどいことしちゃった。ダメだってわかってたけど、止められなかった。本当にごめん。私が嫌いなのは、梨々花ちゃんじゃないのに」
夢佳先輩の声は風に乗って消える。
「信じられないかもしれないけど、これが私の本音なんだ。こんなこと、したくなかったんだよ……。部長になって、楽しく部活できたらいいなって思ってた……。だけど」
夢佳先輩は声を荒げる。
「まーちゃんのせい。全部、まーちゃんのせい」
一瞬言葉を止めて。
「梨々花ちゃんも知っているでしょ?
そうして、夢佳先輩はすべてを話し始めた。
小学六年生の時。初めて私とまーちゃんが同じクラスじゃなかったの。私と陸は同じクラスでね。……私たちは幼馴染だったの。
陸のまーちゃんへの好意にうすうす気づいてた私は今年がチャンスだって、思った。やっと陸に近づける、私は本当に付き合えるって信じてたのよ……。
あの夏の日。私はついに告白したの。「好きです」ってありったけの気持ちを伝えたの。陸はね、微笑んでいたよ。悲しそうにね。
「ごめん。俺は真希が好きなんだ」
ハッキリと、そういわれた。でも、
「これからも仲良くしてくれると嬉しいな」
って。ああ、よかった、また普通に話せるんだって、喜んだよ。だけどね、その次の日、まーちゃんが、いなくなったの。
いなくなったっていっても、失踪とかじゃなくて。転校したんだ。詳しいことはわからないの。……なにも、言わなかったから。
突然、いなくなったの。陸に聞いても何もわからなくてね。ただ、ポストにまーちゃんの筆と赤林神社競書大会の募集要項が入っていただけで。陸は金賞を取るって言って。人が変わったように無口になっていた。書道の練習をし始めた。
その前まではフレンドリーだったんだよ。冗談も言ったり。明るい人だった。でも、あの日から、ずっと今みたいな感じになったの。
私は許せなかった。陸を変えたまーちゃんを。何も言わずにいなくなったまーちゃんを。私は……初めから嫌いだった。なんでもできるまーちゃんを。唯一得意な書道でも、ずっと上のレベルまで言っちゃってさ。陸の心も簡単に奪って……私はまーちゃんが嫌いだ、今も、ずっと。
部活動見学でさ、梨々花ちゃんがまーちゃんと同じ筆を使っているのに気が付いた。それで思い出したんだ、まーちゃんがよく話していた後輩のことを。
書道の癖もまーちゃんにそっくりでね、ああ、この子だって、わかった。
それと同時に不安を覚えた。
陸が梨々花ちゃんのことを好きになっちゃうんじゃないか、って。
顔だって、どことなくまーちゃんに似てるし、雰囲気だって、声だって。
考えれば考えるほど、まーちゃんに見えてきて、私は、陸に梨々花ちゃんのこと、嫌いになってもらおうって思った。
……いや、違うな。私は陸にまーちゃんのことを嫌いになってもらおうって思ってたんだと思う。
それで、梨々花ちゃんに、私がまーちゃんに言いたいことを言いまくって。
転ばせたとき、書道ができなくなるなんて思ってなかったけど、それはそれで、嬉しかった。
私はまーちゃんに勝てた気がした。
でも、陸に嫌ってもらうにはこれじゃだめだ。
じゃあ、陸の宝物の、まーちゃんの筆を盗んだら? 梨々花ちゃんに盗ませたと思わせれば?
でも、結局盗む勇気なんてなくて、このはちゃんに渡しちゃったけどね……。
ふふ、自分でも、結構いいやり方だったと思うよ。
このはちゃんに、こういったの。
陸の筆を手にして。
「このはちゃんさあ」
「この筆、使ってみたくない?」
「それは……っ」
「そう、梨々花ちゃんの」
「このはちゃん、もう十分うまいけど、この筆使ったら、もっとうまくなるんじゃない?」
「でも……っ」
「このはちゃんさ、私より、梨々花ちゃんの書のほうが好きでしょ」
「……」
「そろそろきつくなってきたんじゃない? 私に従うこと」
「ね、この筆使いたいでしょ?」
「梨々花ちゃんの筆を勝手に使うわけない……です」
「あ、そう?」
「じゃあ、私が使っちゃおうかなあ、この筆。私が使ったらこの筆、どうなるだろうね?」
「……ッ」
「選択肢は一つしかない、でしょ? はい、これ。今日からこのはちゃんのものだから。じゃあ、ここから消えて」
驚いたでしょ?
梨々花ちゃん、このはちゃんは梨々花ちゃんのこと、嫌ってないから。
むしろ、このはちゃん、梨々花ちゃんのこと、大好きだから。
あの子、書道部に入ったのは梨々花ちゃんの書にあこがれたからなんだって。
ごめん、梨々花ちゃん、本当に、ごめんなさい。
すみちゃんも。ごめん。
このはちゃんにも、陸にも、自分から全部、言う。
……迷惑って言葉じゃすまされないし、私のしたことは犯罪に近いかもしれない。
だけど、もしよかったら、これからも一緒に部活を続けてくれると、嬉しい、です。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます