ハンバーグ

知世

ハンバーグ


朝のテンションでうっかりメイクしちゃったよ、落とすの面倒だ。そこで気がついたんだ

。うっかり生まれちゃったから私は死ぬなんて途方もなく面倒くさいことに頭を悩ませているんだわ。生きることは面倒くさい、でも死ぬことのほうが100倍面倒くさい。だから死なない。何億分の1の奇跡?かどうか知らないけどなんで神様はポジティブに生きようとしないわたしを選んだのか。でもそんな前進思考の奴らだけがこの世を構成するならそれはきっとユートピアになるはずで、全て健やかな空間なんて反吐が出るけど、でも、そんな世界ならきっと、幸せな子と名付けられたあの子だって自殺しなかったはずだ。


自殺者の葬式というものには相応しい天気があると思う。でも、今日の空模様はお似合いのそれではない。雲ひとつない快晴。少しの湿り気も帯びない空気。あるものはかったるそうに、あるものはそれをたしなめるように、神妙に、無関心に、興味津々で、小声で、本庄幸子のクラスメイトは彼女に焼香するために紺色の列を作った。私は、はじめましての幸子ちゃんの青白い顔を見て、ああ彼女は面倒くささを超える何かを背負っていたんだ、とぼんやり思った。棺桶に入った彼女と対面した健全なクラスメイト達はしっかりと泣いていた。きっとさめざめと泣いてお腹が空いたら、3時間後にはタピオカミルクティーをすすっているのだろう。談笑と少しの愚痴、担任の悪口。なんて健康。途方もなくちょうどよく幸せ。


2分遅れてのこのことやってきたバスの中に入る。誰かの噛んだミント味のガムの甘ったるい匂いが鬱陶しい。隣に座った女子小学生は次のバス停で降りるようだった。しゅっしゅっと音を立てながらダウンに両手を通して、ジッパーを慎重に上げて、律儀にボタンまで止めると、一息ついたように両手を重ねて背筋を伸ばして座った。何気ない一コマにとても惹かれている自分がいた。まずその所作。かしましい雀が羽を膨らましているようで可愛らしい。チャキチャキとしているのに急いでいる感じは伝わらず、まるでダウンを着ることを喜んでいるように見えた。踊っているよう。優雅だった。小学生のこの時期にしか見られない優雅さだった。ダウンの、裏地が水玉で、表地が無地の地味色という点も気に入った。でも「あの頃に戻れたら」なんてわたしは思わない。小学生の頃こそ毎日が残酷なたたかいだった。思えばいつでもわたしは生きづらい。音楽を聞いてぼーっとしているうち彼女は降りてしまったようだった。そのうちわたしも降りる停留所についた。家に向かって歩くとしば犬を買っている家を通ることになる。新築の家とは対照的な寂れた犬小屋に、その犬はいる。最近では珍しく外で飼われているその犬に同情して、でも、かわいそうであればかわいそうなほどもっと虐めたくなるのは何故だろう。使い古しのフライパンに申し訳程度の水が入っているのをみて、思う。小さい頃、トランポリンで遊ぶ4つ下のいとこを可愛がりながらも死ぬ程いじめたことを思い出す。かわいくて、かわいそうで、腹が立つ。犬はわたしのことを覚えていて遠くから尻尾を振っている。近づくと、手をぺろぺろと舐められる。脈略もなくぱっと手をどけて、歩き出す。後ろは、見ない。わたしの家の駐車場の地続きはセレモニーホールになっている。中島家と書かれた表札。久しぶりに死について考えたからだろうか。気がついたときには式場に入ってしまったあとだった。そこでは故人の娘だろう人のスピーチが始まるところだった。  

「昨日、父が往きました。89歳、大往生です。それでも私は悲しくて、いろんな父が思い出されて年甲斐もなくポタポタ涙がこぼれました。でも、ふと思ったんです。父がここにいたらなんていうかなって、きっと『とびきりでっかい【めでたいハンバーグ】を焼くぞ』って言うんじゃないかって。そう思ったらなんだかおかしくなって。父は豪傑な人でした。愉快な人でした。大きな手で私を撫で、それから孫を撫でてくれた。自分を誇れ!と言うのが口癖の優しい人でした。料理も得意で、昔からうちではお祝い事というと父がハンバーグを作ってくれて、それがとても美味しかったんです。

印象に残っている出来事があります。小学校の運動会。おてんばで元気だけが取柄だった私が徒競走でまさかのビリ。大泣きする私に家族はなんて言ったら良いのかわからないという顔をしていました。そんな中父は言いました。

『箱の中の美穂、小学校を知る。だな、今日美穂は一つ大人になったぞ。めでたい。こんな日は【めでたいハンバーグ】だ』

同じようにして、とびきり嬉しかった日も、悲しかった日もめでたいことだと言っていつも父は【めでたいハンバーグ】を焼いてくれました。そして、今日、私は父を亡くすという経験をしました。果てしない痛み。悲しみという感情をこの歳になって初めて知ったような気さえするのです。でもきっと父ならこう言うでしょう。

『諸君、君たちは身近な人の喪失の味を知った。悲しいことだ。そしてまた人生に深みが出たな。めでたい。こんな日は【めでたいハンバーグ】だ』

人生において無駄なことなど何一つないと言うことを教えてくれたこと。禍福をすべて福にねじ伏せるその強さ、優しさ。尊敬しています。あなたの言葉を、生き方を胸に、生きていきます。どうかあちらでも安らかに」

生温い何かがポタポタと垂れてきてびっくりした。わたし、泣いてる?


ああ、さびしいんだわたし。バスの中でたまたま隣の席になった女の子のように、あのしば犬のように、ここで葬式をあげた中島さんのように、そして、幸子ちゃんのように、偶然性を持ってわたしの人生に登場して、関われないまま終わることが、彗星のように通り過ぎていったことが、こんなにもさびしい。


ねえ、君は17で死んだ。死んじゃった。

あまりにも呆気ない。

なにを考えていたんだろう。

わたしとなにが違ったんだろう。

好きな食べ物とかなかったのかな。

好きな人ができたことも、

放課後の学校で喋ったりすることも、

私たちの関係もなにもないまま終わっちゃった。

この中島さんって言う人のハンバーグだって食べそびれて、

それってきっと悲しいことだよ。

悲しいよ。

だってここに、こんなに近くにいたのに、

話せたら何か変わったかもしれないのに、

全然関係のない葬式に出て、偶然、自分自身を生きることをまっとうした人のエピソードを聞いて、前向きになれたかもしれないのに。

面倒くさい世の中で、でもそれでも悪くはないじゃんって思える瞬間があったかもしれないのに。

でもそれはわたしも同じで、今まで何かを放り出して生きてきた。

でも、でも

やっぱりそれってなんか違うんじゃないかな。

溢れる思考はぐちゃぐちゃで、ついでに顔もぐちゃぐちゃで、

不審に思われないうちに式場を後にした。


「ただいま」

「あらおかえり、今日の夕飯はハンバーグよ」

キッチンから顔を出した母に、不審に思われないように笑う。

「そっか」

なんたる偶然。そして空腹を訴えるこの体。なんて健康。そして途方もなくちょうどよく幸せ。今、幸せなんだわたし。ハンバーグを美味しく食べられるということで幸福を、健康を証明できるんだ。今この瞬間だけでも幸せなんだ。そう感じたのを忘れないようにして、面倒くさい明日を生きていこう。幸子ちゃんにはもう届かないかもしれないけど、自分勝手に冥福を祈って窓から空を見上げて、わたしは今日の出来事を忘れないことを確信した。


雲ひとつない快晴。少しの湿り気も帯びない空気。それは、これからの明日を生きるものにとって最高の天気だった。










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ハンバーグ 知世 @nanako1123

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