なりゆき☆陰陽師
千凪
第1話 日照雨
今でも鮮明に思い出せる幼い頃の思い出は、ばあちゃんに手を引かれて近所を散歩していたときのこと。
小さな祠(ほこら)の前を通り過ぎるたび、俺は綺麗な女の人が微笑みながらこちらを見ているのを、じっと見返していた。
すると、ばあちゃんが言うのだ、
「お前も、じいちゃんと同じ“モノ”をみるのだね」
と。
幼い俺には、何のことだかさっぱり解らなかった。
少しだけ解るようになったのは、ばあちゃんが亡くなった中学生のとき。
共働きで家を空けることが多い両親の代わりに、俺の面倒をみてくれていたばあちゃんが、長年患っていた病によって帰らぬ人となった。
悲しくて悲しくて、けれど人前で泣けなかった俺は、ふらふらと近所を歩き回っていた。
ふと、あの祠に立ち寄ると、女の人が哀しそうな顔で俺を見つめていた。
『……』
(え?)
かすかに、音が聞こえた気がして、女の人の口元に注目すると、今度ははっきりと聞こえた。
『なくなられた、のですか』
それは、もう、何と言うのか。
水の中で、小さな泡が弾けるような声だった。
凛として強く、けれど優しい。
頷きながら、ぼろぼろと流れる涙を止めることができずにいた。
女の人は、黙ったまま、俺を見つめていた。
ひとしきり泣いたあと、まじまじと彼女を見てみた。
——不思議だ。
今更ながら、彼女を見て思った。
陽の光を浴びて貝のように煌めく、白い絹のような着物を着て、ウェーブがかった髪は長く腰の辺りまであったが、やはり白い。
肌も目も、色素が薄い。
何だ……これ、どこかで……
一瞬、鳥肌が立った。
まるで、幽霊だと思ったのだ。
すると、彼女はくすり、と笑って
『ゆうれい、ではありませんよ』
と言った。
ぎくり、として後ずさると、彼女は哀しそうに笑った。
『おどろかせてしまって、ごめんなさい。わたくし、いつも あなたをみていました』
……いや……
「見て……いたのは、俺もだよ」
彼女は、驚いた様な表情を浮かべた後、小首を傾げるようにして微笑んだ。
途端、心臓が大きく跳ねた。
俺は、こんなに美しい女性を、見たことが無かった。
その日は、日が暮れるまで彼女の側に居て、色々なことを話した。
彼女は、幽霊ではなく、気付いたらこの祠に居たらしい。もともと、ここは水神様の祠で、昔はちゃんと神様が祀(まつ)られていたそうだ。
彼女はしばらくの間、水神様と過ごしていたが、人々の信仰が薄れていくにつれ、水神様は次第に神の力を失っていき、どこかへ行ってしまったらしい。
残された彼女は、祠から動けず、ただそこで通り過ぎる人間たちをじっと見守っていたらしい。
時折、俺のように彼女に気付く人間も居たようだ。
『あなたの、おじいさまも……』
それだけ言うと、彼女は俯いてしまった。
俺の、じいちゃん。
父さんや母さん、ばあちゃんさえも、じいちゃんの話はあまりしてくれなかった。
俺が生まれる前に亡くなってしまっていて、俺はじいちゃんのことをほとんど知らない。
ただ、彼女は一言、俺に言った。
『とても、よく にていらっしゃいます』
ばあちゃんの葬式が終わってからも、俺は彼女に会いに行った。
友人も少なく、あまり他人と話をするのが好きではなかったが、彼女には何でも話せる気がした。
学校帰り、真っ直ぐに彼女の祠に行き、その日あったことや、詩や本を読んで聞かせていたりした。彼女は、いつも楽しそうに目を閉じて、それを聞いていた。
『わたくしが、こわくはないのですか』
ある日、彼女が俺に尋ねてきた。
「怖い? ……何が?」
怖い、なんてとんでもなかった。
雑誌でもテレビでも、クラスメイトも町ですれ違う人も、彼女ほどの美しさは持ち合わせてはいない。
彼女を見つめていると、その頬に赤みが差した。
「……君は、心が読めるのか」
恥ずかしそうにしながら、彼女は、こくり、と頷いた。
可愛い。
不意に、名前を呼びたくなったが、名前を聞いていなかったことに気付く。
「そういえば、名前は……」
すると、彼女は首を横に振った。
『わすれてしまって……わたくしに、なまえがあったことさえ、わからないのです』
彼女の声は、不思議な響きを持っていた。
乾いた地面を潤すような、恵みの雨。
じん、と沁み渡るような声音。
晴れているのに、彼女が話すと、そこだけに雨が降るのだ。
俺は、持っていた分厚い辞書をパラパラとめくり、
「日照雨(そばえ)」
という言葉を見つけた。
(日照雨(そばえ)……彼女にぴったりだ、彼女の声はまるで温かい雨のようだから)
口に出していないのに、彼女は嬉しそうに笑った。
「今日から、君は日照雨(そばえ)だ」
『そばえ……うれしい、ありがとうございます。……えっと……』
ああ、来た、この流れ。
流石にかわせないよな。
「俺は……安部……安部 清明(あべ きよあき)。冗談みたいな名前だろ?」
何のことか解らない日照雨は、困ったように小首を傾げて笑った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます