36.現代日本教育史のおさらい

「2032年の教育大改革の目的が、何だったか、高村君、知ってる?」


 島村は既に「先生」という呼称をつけていない。すっかり学生扱いだった。

 高村は現代教育史にはあえて目をつぶってきた方なので、首を横に振った。


「子供一人一人に、適切な教育を与えることによって、やがて彼らによって構成される社会全体のレベルを上げる…… まあ、もう少し色々あるけど、そんなところかな」


 つまり、と島村は続ける。


「学校という場所は、あくまで勉強を教える場所であって、それ以上でもそれ以下でもない。だけどそこはプロであるべきで、学問を教える、才能を伸ばす、ということに関しては、決して妥協してはいけない」


 ふむふむ、と大学生二人はうなづいた。


「ただ、そのプロも万能ではない。ある種の才能がもともと全く無い子に、その教育を施してもそれは時間の無駄、同じ時間でもっと秀でた点を伸ばした方が良い、ということになる訳だ。そこで、子供の能力の見極め、というものが、それまでよりずっとずっとずっと大切なものになった」


 で、と島村は続けた。


「それ自体は、いいんだよ、確かに」


 引っかかる、言い方だった。


「そこで行われる様になったのが、義務教育期間の変更、学制の変更…… その他もろもろ。ま、それで、能力・適性の早期発見と振り分けが、小学校一・二年でこれでもかとばかりに行われる様になった訳だ。高村君はぎりぎり、それを受けていない組だったよね」

「え? ええ」

「山東君は、その試行期。君はよくできるから、あまり回されなかったんじゃないかい?」

「いや、俺も結構回されましたよ。クラス四回、学校二回」


 それは結構凄いのではないか、と高村は思う。しかしできすぎるからこそ、かもしれない。


「うん。そして、それも悪いもんじゃない。教員の数もそれにともなって、思いっ切りパートとかで増やした訳だ。あるクラスのある科目のみ、というくらいにね。賃金は低いけど、それでも免許はあるけどできない、と言う予備軍を思い切って雇い込んだ。おかげで少しだけ、雇用率もアップした。……まあこれも悪くはない」

「じゃあ、一体、何が悪いんですか?」


 高村は怪訝そうな顔で、問いかけた。


「さて、そこからだ」


 星形フレームの下の目が、すっ、と細められ、森岡の方を見た。どうやら折り紙が完成したらしい。うわ、と高村は目を見張った。

 確か、最初の紙は、よく店で売っている「折り紙」のサイズだったのに、できあがったのは、手の中心にちょこん、と乗っている程度の大きさになっていた。


「そ、それ何ですか?」


 思わず高村は完成作を指して問いかけた。


「ん、カブトムシですよ」


 言われてみれは、そうだ。六本の足、分厚い、固い体を思わせる厚み。よくこんな細かいものを、その指で折れるものだ、と高村は本気で感心する。


「息子が、こういうのが、好きだったんですよ」

「森岡先生が、教えたんですか?」

「いいえ。私が始めたのは、―――息子が、死んでからです」


 はっ、と高村は身体を固くした。


「私の息子は、小さい頃から、こう言った細かいことが好きでした。本当に、好きでした。私が見ても感心するくらいでした。その彼が得意だったのが、このカブトムシでした。彼がこれをはじめて本を見て作ったのが、確か、六つの頃です」


 げ、と山東の視線が自身の太い指と、カブトムシの間を往復する。


「ただ、あいにくその趣味が、周囲の流行と必ずしもシンクロするとは限らないですよね。彼は周囲の子供達のする遊びになじめず、また、私達夫婦の間が次第にこじれていったことから、だんだん内向的になって行きました」


 淡々と、森岡は語る。


「そして彼が八つの時、私と妻は、離婚したのです。息子が希望したので、彼女が引き取りました。引っ越し先が遠かったので、忙しい私は、息子とは手紙を交わす程度しかできませんでした。ところが、彼が小学校を卒業したあたりから、その手紙が来なくなったのです」


 え、と高村は声を上げた。


「難しい時期なのか、何か事情があるのか、と寂しく思っていたのですが、……数年経ったある日、私の元に差出人の無い手紙が届いたのです」

「差出人の無い――― 手紙?」


 山東はその言葉を繰り返す。ええ、と森岡はうなづいた。


「手紙は短いものでした。時候の挨拶とか…… まあビジネスレターの様なものでしたね。ただそれが妻からのものだ、ということはすぐに判りました」

「筆跡ですね」


 島村がつぶやく。ああ、と高村もうなづいた。夫婦だったら、お互いの筆跡に見覚えはあるだろう。


「当初は、居場所を教えたくない事情でもできたのか、と思ったのです。ところが、そこにこれと同じ、カブトムシが同封されていたのです」


 これが、と大学生二人の目が集中する。


「手紙の中に包またそれを見た時、私は息子に何かあったのだ、と直感しました。しばらく考えたのち、私は、そのカブトムシを壊さないように、壊さないように、解いていきました。これよりもっと小さい紙です。それもおそらくは、こんな、市販の色紙ではなく、もっとあり合わせの……」

「それで、その中に何か」

「ええ」


 森岡はうなづく。


「彼の身に起きたことが、細かい字で、びっしりと」


 ぞく、と高村は思わず寒気を覚えた。


「息子は『B』にされていたのです」


 「B」!


 高村の中に、垣内の姿が浮かぶ。

 彼は自分を「B」だと言っていた。しかしその一方、あの薬のことも「B」と呼んでいた気がする。それは一体。


「さてそこで、ようやく君等が知りたいことが出てきたのではないですか?」


 図星を突かれ、う、と山東の顔が赤らんだ。

 しかし高村はそれどころではなかった。真剣に、早く知りたかったのだ。


「先程、振り分けのことを彼が言いましたね」


 高村と山東はうなづいた。


「繰り返される振り分けは、度重なる転校を当然のものにします。つまり、隣に座っていた友達が、ある日いきなり消えても、それはおかしくない、という風潮を作りだします」

「確かに」


 山東はうなづいた。


「小学校の頃は、それが当たり前だと思ってた…… でも、そこで振り分けきってしまうから、中等では滅多に…… それこそ、一年に一人転校するくらい、しかない訳でしょう?」

「その通り」


 森岡はうなづいた。

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