第78話 とうさん
久しぶりに再会した兄は、ずいぶんやせこけて見えた。
ちょうど怪我をしてから一か月ほど。体型は以前とそう変わっていないのにそう感じたのは、おそらく異常にやつれた顔のせいだろう。
精気が漲り、自分のこれからも成功し続けることを信じて疑わなかった以前の兄のことをここまで変えたのは、両足に今もなお巻かれたギプス。確かに、これでは一人で立って歩くことはできない。
「よう、遥。ド田舎の婆さんのところに追い出されたわりには、随分とマシな顔つきになってんじゃないか。ちょっと太ったんじゃないか? え?」
悠希兄さんの言う通り体重は増えたが、今までがやせ過ぎだったので、太った、というよりは普通の体型に戻った感じだ。
それもこれもご飯が美味しいと感じるようになったおかげだ。
「兄さん、あの……」
「ったく、お盆休みとはいえ、父さんもどうしてコイツなんかを呼び戻すかね?
コイツがいたら、こっちまで辛気臭くなっちまうってのに」
「……じゃなくて、兄さん、その、怪我のほうは……」
「――うるっせえな! 貴様が俺に同情の目を向けるんじゃねえよっ!」
車庫の脇におかれた小さなドライバーを掴むと、それを俺目掛けて投げつける。しかし、怪我の影響で踏ん張りが全くきかないようで、俺の足元に、力なくころん、と転がった。
「はっ、笑えよ遥! どうせ事故った俺を馬鹿にするために帰ってきたんだろう? いい気味だよな、因果応報だよな、今までお前のことをずっとバカにしてたやつが、今やこんな可哀そうな姿してるんだからよ」
「兄さん、俺はそんなつもりじゃ……怪我のことは、俺だって心配で」
「だから、そんな憐れみの目でこの俺を見るんじゃねっていってんだよ! クソっ、あんな無保険ヤローのせいで、俺のこれからのキャリアは全部白紙になっちまった……」
今の俺にはもう、兄さんにどういう言葉をかけていいかわからない。
慰めたところで、今の兄さんには何も響かないだろうし、だからと言って今までのことをお返しするつもりもない。
俯き、きつくまかれたギプスをぎゅっと握りしめる兄の姿は、ただただ可哀そうに見えた。
「――またか。近所迷惑だからやめろと言っているのに……仕方のないやつめ」
そして、悠希兄さんに続けて、父さんが俺の前に姿を現した。
家の中でもきっちりとしたワイシャツにスラックス――もう年齢も50歳を超えているはずだが、三十代でも通用するようなすらりとした体型は、俺の幼少期のままずっと変わらない。
「エドワード、多少手荒でも構わん、悠希を黙らせろ」
「わかりました。……さあ、お兄さん、もう家に戻りましょう。安静にしておかないと」
「っ……」
エドワードが滝本家の中に入って行って、玄関前には、俺と父さんだけが残された。
この家から追い出されて、約二か月半。
久しぶりに、俺は父さんの顔をしっかり見た気がしていた。
「……ただいま、母さんは」
「家にいるが、今は寝ている。疲れているからな」
そうだろう、と思う。母さんも仕事は続けているし、それに加えて家のことと、それから兄の大怪我だ。様子を見る感じだとエドワードがたまに世話をしているのだろうが。
母さんのほうには、また後で声をかけるとして。
「――父さんは、変わらないね」
「当たり前だ。私も歳だが、さすがに二か月半で変わるものか」
「……そういうことじゃないよ」
家族がそうなっていて、どうして自分だけ平気な顔をしているのだろう。
隠しているのかもしれないが、ではなぜ家族にまでそうしなければならないのか。
疲れたときに助けあうのが、家族というものではないのだろうか。
「とにかく、家へ入りなさい。最近はアレのせいで苦情も多くてな……ところで、春風はどうした?」
「途中まで一緒だったけど、こっちの友達と遊びに行ったみたいだよ」
「相変わらずだな……まあ、春風のほうは今は自由にやらせておけ。大好きな兄さえいれば、御することなど容易い」
春風がずっと嘘を言っていたことで、春風が俺を庇っていることや慕っていることなどはバレてしまっている。
この前乃野木さんが言っていた通り、相変わらず、家族のことを戦略ゲームの駒程度にしか思っていないいつもの平常運転の父――ひどい父だが、心のどこかで、俺は安心していた。
これで心おきなく、俺は父さんと縁を切ることできる。
「……ありがとう」
「ん? なにか言ったか?」
「いや、別に……もう行こう。あっちと較べて、東京は無駄に暑くて困るよ」
父さんへの情がまったく湧き起らなかったことに安堵し、俺は、最後の決戦ともいえる場所へ、一人足を踏み入れていった。
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