第37話 ささやき

 同居生活四日目。


 昨日の三久の看病のおかげ……かどうかはわからないが、体のほうはだいぶ楽になったので予備校に行こうと思ったのだが、


『――だめ!』


 という三久の一喝で、結局欠席することになった。この時期に一日休むと、元の状態に戻すのに数日はかかるが、今日はひとまず三久の言う通りにしておこう。ちなみに自習もダメだ。


 傍らには、いつものようにお粥と、それから病院で処方された薬が、朝の分、昼の分と小分けにされて置いてある。


『――いってきます。朝ごはん置いておくね。薬もちゃんと飲んで、しっかり寝ておいてね』


 置き手紙にそう書かれている。全部、三久がやってくれたようだ。


 部活がないのだからもう少し寝ていたいはずだが……とてもありがたい。


 あまりいらぬ心配をかけさせぬよう、今日のうちに治してしまおう。


 といっても、寝るしか方法はないのだが。


 時折起きて水分を取りつつ、ようやく昼を迎える。予備校だと午前中はあっという間に時間が過ぎていくが、こうして机にすら向かわず、何もせずに寝ていると、ひどく時間の経過が遅く感じてしまう。


 祖母が帰ってきたところで一緒に昼食をとり、薬を飲んで再び布団の中へ。途中熱を測ったが、今は微熱程度まで下がってきている。体も元気を取り戻しつつあるし、ちょっとぐらい机に座って参考書を広げても――


「おい遥~、風邪ひいてんだから安静にしてろって言われたろ? 子供かね、君は」


「! 加奈多さん」


 そう思って立ち上がったところで、加奈多さんが俺の部屋に入ってきた。


「三久からお願いされてね。ま、私も基本、仕事は夕方からで今は暇だからね。ほい、差し入れ」


「こんなにいっぱい……ありがとう」


 経口補水液やミネラルウォーター、あとは塩レモン味のタブレットに、あとは店にあったとも思しき駄菓子類がいくつか。


「ほれ、わかったらさっさと寝た寝た。寂しいんだったら、お姉ちゃんが話し相手になってやるから」


「俺、野球はそんなに詳しくないけど」


「それ以外の話ぐらいできるわ! ってか、二十代のお姉さんのネタの守備範囲舐めんなよ、ほら、早く布団に入る」


 加奈多さんにされるがまま、俺はふたたび布団へと突っ込まれた。再会した時から思っていたが、強引な人である。


 というか、今考えてみると、ここに来てから知り合ったり、または再会した人たちはわりと強引な人が多い気が――。


「遥、ぼーっとして何考えてんの? 風邪ひいてのはわかるけど、それはちゃんと治ってからにしときな?」


「た……ち、違いますよ。俺の周りにいる人たちって、パワーのある人が多いなって」


 目の前の加奈多さんもそうだが、三久、乃野木さん、あとは三久の友達である由野さんと御門さんも、かなり俺に対して遠慮なく距離を詰めてくる。


「ん~、いや、それはただ単純に遥のことがなんとなく放っておけないからじゃない? 全然カッコよくはないけど、母性本能をくすぐるっていうか。ついつい構いたくなっちゃうんだよね。少なくとも、私はアンタと初めて会ったときからそうだよ」


 自分がそういう雰囲気を醸し出しているのかは不明だが、乃野木さんや由野さんたちはそういう印象を持っていそうだ。


 現状周りにいる知り合いが女性ばかりなのも、そういう面が一因にあるかもしれない。


 自分が抱いているイメージと寸分違わぬ人、だから、安心する。


「……ま、だからって無理にキャラ変する必要もないと思うけどね。私の経験上、優しい人ってのは、時として格好の標的カモにされることもあるけど、その分守ってくれる人だっている。伝わる人には、ちゃんと伝わってんだよ。そうじゃなきゃ、私も、それに三久も、こんなにアンタのためにお節介焼いたりなんかしないんだから」


 そう言って、加奈多さんは俺の頭をぽんと叩く。


「とにかく、今は風邪をちゃんと治しな。勉強とかそういうのは、またその時に考えればいい」


「そうですね……ありがとうございます。加奈多さん」


「三久と同じカナ姉でいいよ。今まではなんとなくスルーしてたけど、いい加減他人行儀にされるのも気持ち悪いから」


「えっと……じゃあ、カナ姉」


「そそ、それそれ」


 満足そうに笑って、加奈多さん、いや、カナ姉は寝ている俺の頬を優しく撫でた。火照った顔に、ひんやりとした手の感触が気持ちいい。


「ほら、今はゆっくり寝てな。三久が帰ってきたら、また起こしてやるから」


「うん……」


 カナ姉に看病されるうちに安心したのか、また瞼が重くなってくる。朝は年下の三久に世話を焼かれ、昼はこうして年上のカナ姉に看病される。


 ……果たしてこんなことでいいのだろうか。


 お願いしたわけではないが、結局すんなり受け入れているあたり、俺、かなり甘え過ぎなのでは……と思ったその時、



 ――ふふ、ダメだね、兄さんは。助けて欲しいだなんて、まったく、どうしようもない甘えん坊さん。



「!? はるっ……!」


 そんな嫌な声に耳元で囁かれた気がして、俺は布団から跳ね起きた。


 ……寝落ちしていたからよく覚えていないが、あまりいい幻聴ではなかったのは確かだ。


 もう、あの子に会うことなどありえないはずなのに。


「ん? どした遥?」


「あ、いや……ちょっと寝ぼけてたみたい」


「そっか? まあ、何もないならいいけど」


 その後は何事もなく寝ることはできたものの、ふと囁かれた甘ったるい声は、風邪が完治するまでの間、俺の耳にこびりついて離れてくれなかった。


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