第27話 たたかい

 ―――――――――――


 五月三十一日。


 初夏のじとっとした晴れの日に、遥くんは帰ってきた。いや、遥くんの実家は東京にあるので正しくは遊びに来たという表現が正しいのかな。


 まあ、とにかく私にとっては前者ということで。


 遥くんはおばあちゃんの孫にあたる男の子。


 私が四歳のときの夏休み、一か月とちょっとだけ遊びに来ていて、私は毎日――うん、本当に毎日おばあちゃんの家に上がり込んで、遥くんと遊んでいた。


 幼稚園に友だちはいたけれど、ちょうど家が離れたところにあるので、気軽に遊びにはいけない。なので、お隣にわたしと歳の近い子がいると言うのが新鮮だったのだ。


 遥くんは初めて会った時からずっと私に優しかった。


 昔の私は、両親からも『暴君』だなんて呼ばれるほど強引でわがままだったから、今思えばものすごく邪魔だったと思う。

 

 でも、遥くんはそんな私を一切拒むことはしなかった。


 ――しょうがないなあ。

 ――もう、今日だけだよ。


 そんなふうに言って、元気に近所を駆けまわる私のそばを、ずっとついていてくれた。


 時には年上のお兄ちゃんらしく振る舞ってくれることも。


 最初はただ都会から来た子が物珍しかっただけ、という感じだったが、いつの間にか遥くんと一緒にいるのが楽しくて、遥くんに会いたいからという理由だけで、遊びに誘っていた。


 内緒の話だけど、次の夏も、その次の夏もずっと来なくて、お母さんの前でぎゃんぎゃん泣いて困らせたこともある。


 次はいつ来るの。

 おにちゃんに会いたい。


 ……ああ、今思い出しても顔から火が出るくらいに恥ずかしい。


 でも、それだけ、遥くんとのあのたった一か月と少しの夏が楽しかったのだ。


 一日たりとも忘れていない、幼いころの宝石みたいな思い出。


 そんな遥くんが、十二年ぶりに私の前に姿を現した。


 遥くんが19歳で、私が16歳。


 久しぶり過ぎる再会だったが、すぐに遥くんであることはわかった。土砂降りの雨のなか、透けた制服の上から下着を見られてしまうという恥ずかしい再会だったが、それでも、内心、私の胸はずっと弾んでいた。


 顔色が優れないのだけが心配だったが、しばらくここにいれば、きっと元気になってくれるだろうと思った。


 私だって、もう女子高生。ただ遥くんを振り回すだけの子供ではない――ちゃんと体調を気遣える女なのだ。


 そう思っていたけど、結局嬉しい気持ちのほうが上回って、色々連れまわしてしまった。


 自転車選びから、服選び、親友のゆっぺやまりとの買い物、水着選び。あとは、カナねえのところに連れて行ったのも――。


 いや、結局振り回しちゃってるよ、私!


 ……これからはちゃんと頑張ろうと思った。


 ―――――――――――――


 六月二十四日。


 遥くんが目に見えて体調を崩した。


 慌ただしい(私のせい?)イベントをあらかたこなし、ここでの生活に慣れ、ちょっとずつ昔のような元気を取り戻していた矢先のことだった。


 きっかけは、夏休みに遊びに行く用の水着の買い物に遥くんと行った日の翌日。


 早朝、いつも窓越しに会話していた遥くんが顔を出さないことを心配した私が様子を見に行くと、遥くんは、すごい汗をかいてうなされていて、頬にも涙を流したあとが残っていた。


 怖い夢でも見てるのかなと思い、ハンカチで汗をぬぐって、すぐに起こしてあげようとした瞬間、


 ――見捨てないで。

 ――一人にしないで。


 遥くんの口から、そんな言葉が漏れたのだ。


 なんで十二年ぶりに帰ってきたのか、どうして顔色が良くないままなのか。


 色々疑問はあったけど、おばあちゃんにも、それに、両親にも詳しい事情は聞かないことにしていた。


 16歳にもなれば、他人がそうおいそれと触れてはいけない事情があることは理解していたし、それに、そんなの関係なく、私が元に戻してあげようと思っていた。あの時、遥くんが私のことを優しくしてくれたように、今度は私が遥くんを助けてあげようと。


 実際、ちょっとずつ良くなっていたと思う。


 でも、その日以来、まるで時が巻き戻ったように、私が補充していたはずの元気が、遥くんからみるみるうちに抜けていった。


 それでも優しい遥くんは『なんでもない』と、私になるべく心配をかけさせまいと振る舞っていたけど、それが逆に痛々しくて、私はどうしても居ても経っても居られなくなってしまって。


『おばあちゃん……お願い、おにちゃんのことで、おばあちゃんが知ってること、全部教えて欲しいの』


 そうして、迷うおばあちゃんに必死に頼み込んで、私は遥くんの家庭の事情を全て知ってしまった。当然、あの夏、なぜ遥くんが遊びに来たのかも。


 本当なら、そこで止まっておけばよかったのかもしれない。過ぎたことはどうしようもないことで、大事なのはこれから。おばあちゃんも、それから相談したカナねえも、そう言っていた。みんな大人だった。


 でも、私はそこで踏みとどまることができなかった。


 おばあちゃんの家の電話帳にメモされた、東京のほうの滝本家の連絡先。


 それをこっそりと覚えて、その場の感情に任せて、電話してしまった。


 私は怒っていた。


 遥くんを、私の大事な幼馴染の男の子を、こんなになるまで追い詰めた、遥くんの家族のことが許せなかった。


 私は、どうしようもないぐらい子供だった。

 

 ――はい、滝本ですが。


『私、早谷っていいます――』


 勢いのままに、勝ち目のない私の戦いが始まった。

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