第15話 ねえちゃん


 ※※

 

『きた!』

『なに? あんたまた来たの? お金、ちゃんともらってきた?』

『きた!』

『……まあ、それならいいけどさあ』



 加奈多さんとの出会いは、やはり三久が、断り切れない俺のことを無理矢理連れて行ったときのことだった。

 加奈多さんは、確か、小学6年生だった。



『あ、あの……』

『? お、初めて見るコだ……おーい三久、一緒に入ってきたけど、この子友だち?』

『おにちゃん!』

『いや、わからんし』

『ねえ、これあたった!』

『相変わらずマイウェイやんお前……あ、そこにベンチあるから、座ってていーよ』

『は、はい……』



 小学校に入ったばかりの俺にとって、加奈多さんはちょっと大人のお姉さんという感じがした。

 1年と6年では、体格が違いすぎる。



『はい、これ。食べる? おいしいよ』

 渡されたのは、水風船みたいなゴムの中に入ったバニラアイス。先端の突起を取って、そこから吸うやつだ。

『はい。あ、お金……』

『ん? ああ、いーいー。これは私のおやつ分だから、あげる』

『あー、おにちゃんずるい! わたしも!』

『50円』

『……』

『いや、この二つは私のおやつ。だからタダ。それ以外は売りモン。だから50円』

『む~!』

『50円』

『む~……』

 三久がたじろいでいる。このぐらいの子の扱いなんて慣れっこなのだろう。



『みく、ぼくの上げるから』

『! いいの?』

『うん。一緒に食べよう』

『うん!』



 ぱっと顔を明るくした三久が俺に抱き着く。だいたいこうしておけば、三久は大人しくなることを俺はすでに理解していた。



『はい。ぼくの分もちゃんと残してよ』

『うん!』



 ちなみに、この時の三久は割と暴君だったので、この状況ではまず残らない。

 まあ、大人しくなるならいいだろう。



『……へえ、君やさしいやん』

『いちおう『お兄ちゃん』、なので』

『そっかあ、偉いね。じゃ、おねえちゃんが褒めてあげるよ』


  

 ※※※ 



 そうして、加奈多さんは俺の頭を優しく撫でてくれた。


 それが最初で、夏休みが終わるまでの間は、加奈多さんが店番の時は、こっそりお菓子をもらったりしていた。


 幼い時から人見知りで、結局それほど話すことなくお別れとなってしまい、そこから十二年が経ち、普通に考えればもう会うことなんてない、はずが。


「おお、おおおお、マジ? 遥やん。え、三久、これドッキリやないよね?」


「そんな誰得なドッキリやるわけないでしょ、カナねえ、何言ってんの」


「ああ、そっか。まあ、そうだよね」


 ずり落ちた眼鏡を直して、加奈多さんがこちらに近付いてくる。


 成長したことで、あの時、まるで大人みたいに感じた加奈多さんの頭が、今は俺の顎の位置より小さい位置にある。


「うん、マジだ。これ遥だ。全身からあふれ出るボンボン臭がもう遥やし」


「ぼ……」


 昔はまだ見放される直前で、服装もきっちりしていたものが多かったが。


 ……そんなにするだろうか、ボンボン臭。


「いつ帰ってきたん? ってか、なんでここにおるん? あ、せっかくだから酒でも飲みながら話すか?」


「俺まだ十九なんで」


「あ、そっか。じゃあジュースね。三久、そこの冷蔵庫からラムネ出して。後、ビール」


「お客さんになにやらせてんの……ラムネ二本ね。ビールはダメ」


 むくれる三久からビー玉の入ったラムネを受け取って、加奈多さんは俺を店の奥へ連れていく。


「まだ営業前だから、適当に座って」


 奥のドアを開けると、そこにはカウンター席のみの小さな居酒屋があった。


 棚にならんだ沢山のお酒と、それから駄菓子が目を引く。


「駄菓子居酒屋ってとこかな。料理も出すけど。親父の趣味で、五年ぐらい前かな……昔倉庫だったところを改装してさ。こんな時代だけど、そこそこお客さんは来るよ」


「加奈多さんは手伝い?」


「いや、店長。親父ももう歳だからね。早めに継がせてもらったよ。ま、大したもんじゃないけどさ」


 俺とは5歳差だから、加奈多さんは今24歳。


 継いだとはいえ、雇われではなく、ちゃんとした店主だ。毎日の仕入れ、売り上げ等を帳簿に記録し、年末になればきちんと申告もしているはず。


 本人は謙遜しているが、俺にとってみれば、十分すぎるほど大人だった。


 それに比べて俺は――。


「おい、遥ぁ~!」


「ぶっ……な、なにを……!」


「アンタ、本っ当に変わってないね。嫌なことがあると、そうやっていっつもジメジメした顔すんの。遥は好きだけど、そういうところはお姉ちゃん嫌いです」


 加奈多さんが俺の両頬をつねって、上下左右に引っ張る。


 あと、顔が近いので少しお酒臭い。


「でも、加奈多さんはこうして頑張ってるのに、俺はまだ浪人生で、」


「……なるほどね。こりゃ重症だわ。まあ、いきなり東京からこんな九州の田舎くんだりまで今さら来るなんて、本当はあり得ないわけだからね。……ほら、そこ座る」


「……はい」


 俺がカウンター席で、加奈多さんが厨房の中へ。


「いい? 遥、私だって、別にこうなりたくてこうなったわけじゃない。きちんと仕事を継いだの去年だけど、私、そのときまだ二十三よ? まだ遊びたい年頃なワケ。でも、そうわがままも言えなくなった。親父が体調崩して、仕事を続けられなくちゃったから」


 見せられたスマホの画面に映っているのは、今の地味な格好からは想像もつかないほど、派手な姿をしている加奈多さんが。


 つまり、最初は継ぐ機などさらさらなかったということだ。


 もちろん、廃業という選択肢もあった。


「でも、加奈多さんはこうして今、ここにいますよね」


「まあね。ちょうど大学を卒業して一年、就職もせずふらふらしてたのは事実だったからね。そこが変わるタイミングだと思ったんだよ。この店にも、まあ、それなりに愛着はあったわけだし。……そのおかげで、遥、こうしてアンタにも会えた」


 もし、店を閉めていたら、三久がこの店に誘うこともなかったし、俺の中の加奈多さんは、俺の記憶の片隅で一生思い出されることなくひっそりとしていたに違いない。


「――あと、おにちゃんが浪人してなきゃ、カナねえも、わたしも、おにちゃんには会えなかったよね」


「三久」


「なんか話が長そうになりそうだったから。はい、飲みもの追加で」


 自分の分と合わせて三本、追加のラムネを持ってきた三久が、俺の隣にちょこんと座る。


 脇には、本当にサンタクロースの袋みたいに駄菓子類でパンパンになった透明袋が。


 ……これを持って帰るのか。


「受験生だから、そりゃ浪人したのは辛いかもしれないよ。でも、それが悪いことばっかりじゃないことも、ちゃんと覚えておくこと。いい?」


「……はい、わかりました。頑張ってみます」


「ん、よろしい」


 そうして、加奈多さんは、あの時と同じように俺の頭をなでる。


「遥、今の私、どう? 昔と変わった?」


「……いえ、」


 俺の目の前にいるのは、あの時のお姉ちゃんだ。


「……なんか、カナねえ、今日は随分とキャラじゃないことするね。いつもはお酒と野球チームの采配の話しかしないくせに」


「おっさんじゃないですか」


 嫌々継いだわりに、かなり馴染んでいるような気がするが。そういえば、この人、真昼間から酒を飲んでいたな。


「はは……まあ、やってみると意外に悪くなかったってことよ。遥も、そう落ち込まず、逆に浪人生活、楽しんでみれば?」


「気軽に言いますね……」


 だが、おかげで少し気持ちが軽くなった気がする。


 浪人したおかげで経験できることもある、か。いいことを教えてもらった気がする。


「じゃあ、話しも終わったところで、そろそろお暇するね。カナねえ、また二週間ぐらい後ね」


「加奈多さん、仕事、頑張ってください」


「あいよ~。……あ、三久、ちょい待ち」


 と、気持ちよく帰ろうとした三久を、加奈多さんが呼び止めた。


「なに?」


「アンタがもってきたラムネ、これ、地元の温泉水でつくったお高めのサイダーだから。差額ちょうだい。500円」


「え」


「500円」


「…………」


 ちゃっかりしている加奈多さんだった。

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