第10話『遺跡都市の遺跡に潜ろう!』
遺跡都市での穏やかな生活にも、俺とアリスはすっかり馴染んでいた。
日中は俺が木こりの仕事で汗を流し、アリスは家を守りながら時折、聖剣の手入れをしたり、市場で仕入れた食材で新たな料理を試したりしている。
そんな陽だまりのような日々が続いていたある日の午後、俺たちが住む家の質素ながらも居心地の良い居間で、アリスが淹れてくれた薬草茶の香りがふわりと漂う中、あの聖剣チャレンジのおじさんが、どこか改まった様子で俺たちを訪ねてきた。
「ブルーノくん、アリスちゃん。実はな、ちょっと耳寄りな話があってのう」
おじさんは声を潜め、テーブルに身を乗り出す。その日に焼けた顔には、悪戯っぽい笑みと、しかし隠しきれない興奮が浮かんでいた。窓から差し込む柔らかな光が、彼の瞳の奥の期待をキラリと照らし出す。
「この都市の地下にはな、まだ誰にも知られていない、広大な未踏の遺跡が眠っているという言い伝えがあるんじゃ。観光客に公開しておるのは、ほんの、ほんの一部だけでな。その全貌は、我々都市の者ですら把握しきれておらん」
おじさんの話によると、その未踏の遺跡への入り口が、ごく最近になって偶然発見されたのだという。
しかし、内部は危険な罠や、古代の強力な守護者が潜んでいる可能性が高く、これまで誰も奥へと足を踏み入れることができずにいるらしい。その言葉に、俺はアリスの顔を盗み見た。
彼女のサファイアのような瞳が、微かに揺らめいている。
「もし、君たちなら……特に、その聖剣を持つアリスちゃんなら、その奥に進めるかもしれん。そしてな、もしかすると……何か、アリスちゃんの出自に関わるものが見つかるかもしれんぞ」
その言葉は、静かな水面に投じられた小石のように、アリスの心に波紋を広げた。彼女の目が、期待と不安の入り混じった複雑な色に揺れる。指先が微かに震え、ぎゅっと聖剣の柄を握りしめているのが、俺には分かった。
彼女の出自――それは、俺たちがこの旅を続ける上で、決して避けては通れない、彼女自身の根幹に関わる謎だ。その手がかりが眠っているかもしれないと聞いて、心が動かないはずがない。しかし、同時に、未知なる危険への恐れも感じているのだろう。
「行ってみるか、アリス?」俺は、できるだけ優しい声で尋ねた。「無理強いはしない。危険だと思ったら、すぐに引き返せばいい。お前の気持ちが一番大切だ」
アリスは一度、ぎゅっと唇を結び、それから俺の目を真っ直ぐに見つめ返した。その瞳の奥には、不安を振り払うかのような、強い意志の光が灯り始めていた。
「……うん。行ってみたい」彼女の声は、まだ少し震えていたが、そこには確かな決意が込められていた。「何か、分かるかもしれないから。私の……本当のことが」
アリスは、腰に下げた聖剣の柄を改めて握りしめ、決意を込めた目で頷いた。その小さな手に込められた力強さが、彼女の覚悟を物語っているようだった。俺は、そんなアリスの姿を頼もしく思いながらも、改めて彼女を守り抜くことを心に誓った。
翌日、俺とアリスは、おじさんの案内で、遺跡の地下深くへと続く秘密の入り口へと向かった。都市の喧騒から離れた、薄暗く湿った地下通路をしばらく進むと、その場所は現れた。
苔むした巨大な石の扉が、行く手を阻むようにそびえ立っている。扉の表面は、長い年月を経て風化した石肌を露わにし、びっしりと生えた苔は湿った土の匂いを放っていた。
周囲には、人の手が加えられた形跡は一切なく、分厚い埃と、蜘蛛の巣が、ここが長年誰にも触れられていない封印された場所であることを物語っていた。空気は重く淀み、まるで忘れ去られた時間の澱が凝縮したかのようだ。
「この扉、俺の力でも開けられるかどうか……」
俺は扉に手をかけ、ぐっと力を込めてみようとした。森で鍛え上げたこの腕力ならば、大抵の障害物は排除できる自信があった。だが、その瞬間、
「ブルーノ、待って!」
アリスの鋭い声が響いた。彼女が腰に提げていた聖剣が、まるで生きているかのように、再び淡く、しかし力強い光を放ち始めていたのだ。その光は、周囲の薄闇を払い、アリスの驚きの表情を照らし出す。
「この聖剣が……何か、この扉に反応しているみたい」
アリスは、導かれるように聖剣を抜き放ち、その切っ先を石の扉へと向けた。聖剣の放つ清浄な光が扉に触れた瞬間、扉の表面に刻まれていた複雑怪奇な古代文字が、まるで聖剣の光に呼応するかのように、一つ、また一つと輝き始めた。
文字は青白い光を帯び、扉全体が一つの巨大な魔法陣のように脈動する。そして、ゴゴゴゴ……という地鳴りのような重々しい音と共に、悠久の時を経て固く閉ざされていた石の扉が、ゆっくりと、しかし確実に内側へと開き始めたのだ。
石と石が擦れ合う重い音、舞い上がる埃、そして奥から流れ出す、さらに冷たく濃密な古代の空気。
「すごいわ……この聖剣は、やっぱりただの剣じゃないのね」
アリスは、目の前の光景に息を呑みながら呟いた。その瞳には、畏敬と、そして自らが持つ聖剣への新たな認識が浮かんでいた。
開かれた扉の奥には、松明の灯りも届かぬほどの、暗く長い通路がどこまでも続いていた。俺たちは、おじさんから受け取った松明を頼りに、一歩一歩、慎重に足を進める。
壁には、見たこともない奇妙な鳥獣や、幾何学的な紋様が描かれた壁画が延々と続き、まるで異世界の迷宮に迷い込んだかのようだ。空気はひんやりと湿り気を帯び、カビと埃の混じったような、忘れられた時間の匂いが鼻腔をくすぐる。
「ブルーノ、気をつけて。何か、嫌な感じがするわ……」
アリスが、不安そうに俺の腕を掴みながら呟いた。彼女の白い顔は緊張で強張り、その瞳は周囲の闇を警戒するように揺れている。彼女が持つ翡翠のブローチが、微かに冷たくなっているような気がした。彼女のこの種の勘は、不思議とよく当たる。
その言葉通り、通路の先には様々な罠が巧妙に仕掛けられていた。突然、足元の床が音を立てて抜け落ちる落とし穴。
壁の僅かな隙間から、風切り音と共に毒矢が連続して飛び出してくる仕掛け。そして、通路の奥からは、ゴゴゴという地響きと共に、巨大な岩が猛烈な勢いで転がってくる。
「アリス、伏せろ!」
俺は、木こりの経験で培った反射神経と、森で鍛え上げた力でそれらの罠に瞬時に対応する。
落とし穴はアリスを抱えて飛び越え、毒矢は斧の柄で叩き落とし、転がってくる巨大な岩に対しては、アリスを壁際の窪みに押し込み、自らは斧を岩に叩きつけ、その軌道を僅かに逸らして危機を脱した。
斧を打ち込んだ腕には痺れるような衝撃が走ったが、アリスを守れた安堵感の方が大きかった。
幾多の危険を乗り越え、やがて俺たちは広大な空間に出た。ドーム状の高い天井を持つその空間は、松明の灯りだけでは全貌を把握できないほどに広い。
中央には祭壇のような石造りの台座があり、その上には風化し、所々が欠けた古びた石版が厳かに置かれていた。
石版の表面には、アリスの聖剣に刻まれていたものと酷似した、複雑な古代文字がびっしりと刻み込まれている。その文字の一つ一つが、何か深遠な意味を秘めているかのように、静かに佇んでいた。
「この文字……」
アリスが、吸い寄せられるように石版へと近づく。「もしかしたら……読めるかもしれないわ」
彼女の声には、自分でも信じられないといった響きと、しかし抑えきれない期待が混じっていた。アリスが石版の前に立ち、その表面に刻まれた文字に意識を集中させ、指先でそっと触れながら追っていく。
すると、彼女が胸元に下げていた翡翠のブローチが、聖剣が扉を開いた時と同じように、淡い緑色の光を放ち始めたのだ。その光は石版の文字と共鳴し、文字がまるで生きているかのように微かに輝き出す。
「これは……私の……記憶……?」
アリスの瞳から、一筋の涙が静かにこぼれ落ちた。彼女の脳裏に、断片的ではあるが、鮮明な映像や感情が流れ込んできているのかもしれない。
石版に刻まれた内容は、アリスの失われた過去と、そして彼女が背負うべき運命の重さを、静かに、しかし雄弁に示唆しているようだった。
その時だった。祭壇の奥、濃密な闇が支配する空間から、地を這うような低い唸り声と共に、巨大な影がゆっくりと姿を現した。
それは、この遺跡の最深部を守護する、古代の守護者に違いなかった。その異形の姿は、俺がこれまでに森や道中で対峙したどんなモンスターとも異なり、石と金属が融合したかのような、無機質でありながらも禍々しい生命力を感じさせるものだった。
その全身から放たれる、肌を刺すような冷たい気配は、これまでに俺が対峙したどんな存在よりも強力であることを、疑いようもなく示していた。
「アリス!俺の後ろに!」
俺は咄嗟に斧を構え、アリスを背中に庇いながら守護者の前に立ちはだかる。
アリスの過去の謎が、今まさに解き明かされようとしているこの瞬間に、ここで倒れるわけにはいかない。俺の木こりとしての力と、そしてアリスの聖剣に秘められた未知の力が、今、試される時が来たのだ。
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