第6話『闇夜の港町を襲う暗殺者』

 活気と喧騒に包まれた港町での一日が終わり、夜の帳が下りた宿屋の一室。


 アリスは、昼間の観光と、ほんの少し口にした地酒の酔いも手伝ってか、頬をほんのりと桜色に染め、子供のように穏やかな寝息を立てていた。


 その無防備な寝顔は、俺の心を締め付けると同時に、何としてもこの寝顔を守り抜かねばという決意を新たにさせる。俺は、アリスが深い眠りについていることを確認すると、音を一切立てずに部屋をそっと抜け出した。



「日中からチラチラと物陰から覗いている気配を感じた。教会から派遣された暗殺者か。いや、まだ結論を出すのは早計だな。俺たちを付けてきた奴らの真意を確認しなければいけない」



 最初は、ただの観光客を狙った盗賊かとも思った。しかし、その視線はあまりにも執拗で、特定の獲物を狙う狩人のそれだった。魚市場の喧騒、潮の香り、酒場の賑わい、その全てに紛れて、俺たちの動きを探る複数の気配。


 観光客狙いの窃盗団が、これほどまでに俺たちだけを狙い続けるなど、あり得ない。もし狙いが俺の命だけならまだしも、アリスも対象に入っているのなら話は別だ。


 その可能性を考えただけで、俺の腹の底から冷たい怒りが湧き上がってくる。俺は、静かに、しかし確かな怒りを胸に、夜の闇に包まれた港町を歩き出した。


 夜の港町は、一部の飲食店は依然として賑わっているものの、日中の喧騒とは打って変わって、ひっそりとした静けさに包まれていた。


 石畳を濡らす夜露、遠くで響く船の軋む音、そして、鼻腔をくすぐる潮と魚の生臭い匂い。そんな中で、昼間に感じていた気配を、今はより一層、明確に感じ取ることができた。


 その動きは、慎重かつ執拗。獲物の油断を誘うかのように、一定の距離を保ちながらも、確実に俺の背後を追ってくる。明らかに、プロのそれだった。


「人目の付くところでは、目立った行動は取らないということか」


 相手から出てくるのを待っていたが、気配のみを感じるだけで、一向に姿を現す様子はない。


 奴らは俺が宿に戻るのを待っているのか、それとも、より確実に仕留められる場所を探しているのか。どちらにせよ、このままでは埒が明かない。


 だから、俺は方針を変えた。俺について知られている情報は、木こりという程度だろう。ならば、木こりが取りそうな行動を取れば、相手を油断させられる。彼らが期待する通りの行動を取ればいいのだ。


 相手に、「殺すのなら今しかない」と思わせるように仕向ける。


 俺は、王都を出たばかりで、新しい港町を楽しんでいる観光客を演じながら、夜の道を歩く。


 目的地は、歓楽街にある、娼館だ。力仕事の男が、港町に夜一人で繰り出すとしたら、これほど自然な場所はない。


 この選択に、俺自身、僅かな嫌悪感を覚えたが、アリスを守るためだ。違和感を悟られることもないだろう。


 娼館に向かう途中には、狭い裏路地があった。月明かりも届かず、両側の建物の壁が迫り、まるで獣の喉笛のような薄暗い道。きっとそこならば、俺を狩る千載一遇のチャンスだと思ってくれるだろう。


 奴らの目的が何なのか、今は分からない。だからこそ、その意図を探らなければならない。その後の対応は、彼らの「回答」次第だ。俺が宿を離れるタイミングを狙っている相手に、あえて、不在になる隙を見せつける。


 俺は、港町の娼館に向かう際の通り道の中で、最も狭く、薄暗い裏路地へと足を踏み入れた。


 道幅は狭く、人一人がすれ違うのがやっとの、まさに絶好の待ち伏せ場所だ。湿った壁からはカビ臭い匂いが漂い、足元には得体の知れないゴミが散乱している。


 俺が娼館に向かう裏路地に入ると、前後から人影が姿を現した。前方には3人、後方にも3人。


 息を殺し、闇に溶け込んでいた影たちが、ついに姿を現したのだ。


 その動きには一切の無駄がなく、俺を完全に包囲する陣形を瞬時に完成させていた。



「キヒッ……マヌケな木こりめ。神託の騎士、勇者の顔に泥を塗ったお前が大陸へ逃げおおせると思ったか。お前は、明日にはこの海の魚たちの餌になる運命だ」



 前方の一人が、嘲るように口を開く。その声には、確かな殺意と、獲物を追い詰めた捕食者のような愉悦が込められていた。



「……お前たちは一体何者だ?」



 俺は、あえて問いかける。6対1。圧倒的に向こうに有利な今の状態なら、相手も油断し、口も滑らせやすくなるのではないかと考えたからだ。


 俺の冷静な声に、奴らは一瞬戸惑ったような表情を見せたが、すぐに下卑た笑みを浮かべた。



「キヒッ……俺たちは、教会からの勅命を受けている。てめぇら、ブルーノとアリスをブチ殺しにきた暗殺者だ。教会からは女の方は俺たちが思う存分楽しんでから殺しても良いって約束になっている。だから、ここでマヌケなてめぇをブチ殺したら、思う存分、俺たちであの女を堪能させてもらうぜ。ッヒヒヒ」

 


 その言葉を聞いた瞬間、俺の頭の中に、再び何かがプツリと切れる音がした。


 アリスを…だと? 腕の一本を斬り落とすだけで見逃してやる、という選択肢も、一瞬は頭をよぎったが、この男の自白を聞いて、その選択肢は完全に消滅した。


 人を殺すことを生業とし、ましてやアリスを蹂躙しようと企む者たちにかける情けなど、微塵もない。俺の全身の血が沸騰するような、激しい怒りが込み上げてくる。


「俺を殺す理由は理解するが、アリスの命を狙う理由は何だ?」


 俺の声は、氷のように冷たかった。その声の冷たさに、暗殺者たちの顔から笑みが消え、わずかな緊張が走った。



「理由? んなもん知らねぇよ。俺たちはてめぇをここで殺した後に女を犯して殺して報酬をもらうだけだ。木こりと女一人を殺すだけの仕事で信じられねぇくらいに報酬をくれるってぇんだから、教会ってなぁ、随分と儲かっているんだなぁ。キーヒッヒッ」



 男は、下卑た笑い声を上げる。その声が、俺の怒りをさらに煽り立てる。教会の腐敗は、俺の想像を遥かに超えているようだ。



「主よ。十戒の第五戒殺人の罪をゆるたまえ」



 俺は、静かに、だがはっきりと、そう呟いた。それは、かつてオフクロに教わった、敬虔な信徒の祈りの言葉。


 だが、今の俺の口から発せられるその言葉は、神への祈りではなく、目の前の外道どもへの死の宣告だった。


「はあ? んだそれは、てめぇ、恐怖で頭でもおかしくなっちまったのか」


「いやね。俺の家は食前に主に祈りを捧げるほどの敬虔けいけんな信徒だったんだよ」


「はあ? 何いってんだオメー?」

「来いよ」


 俺は、そう言って、暗殺者たちを迎え撃つ構えを取った。その瞬間、俺の全身から放たれる殺気に、暗殺者たちが一瞬怯んだのが分かった。



「斧もない無手でプロの暗殺者6人相手に勝てると思ったか。勇者とかいうションベンくせークソガキに決闘で勝ったくらいで自惚うぬぼれたな、それがお前の敗因だ」



 刀身を黒塗りされたダガーを構え、暗殺者の一人が襲い掛かる。その動きは速く、正確無比。


 だが、俺はその軌道を見切り、紙一重でかわす。そして、襲いかかってきた男を、丸太のように太い腕で拘束した。


 ゆっくりと、服の下に隠した革の鞘からマチェットを抜き、6人の暗殺者のリーダーの首を、迷うことなく切り裂く。


 肉を断つ鈍い音と、骨が砕ける感触が手に伝わる。


「木こりは無手ではない。ヤブを薙ぐためのマチェットを携帯している。貴様らは余りにも


 切り落とされた首から、噴水のように鮮血が溢れ出る。誰の目にも明らかな、確実な死だ。


 俺は、黒塗りのダガーを奪い取った後、首のない男の肉体を、後方の3人の暗殺者に向かって、無造作に放り投げる。


 70キロを超える肉の塊が、3人の男に衝突する。鈍い衝突音と、男たちの苦悶の声が路地に響く。


 致命傷は与えられないが、彼らを怯ませるには成功した。


 俺の前方から、2人の暗殺者がナイフを構え、襲いかかる。ここは路地裏の一方通行。


 故に、奴らも本来の暗殺者としての、曲芸じみた立体的な動きが封じられている。前に直進することしかできない。


 俺は、先ほどの男が携帯していた黒塗りのダガーを、目の前から襲いかかる男の一人に投げつける。


 空中で何回か回転した後、ダガーは頭蓋を砕き、脳天に突き刺さった。男は声もなく崩れ落ちる。即死である。


 俺の首元にナイフを突き立てようとした男の手首を掴み、捻りを加え、槌を振るうように顔面から地面に叩き付ける。


 ゴシャッという鈍い音と共に、男の顔面が石畳にめり込む。俺は彼らと違って、人を殺すことに関しては初心者だ。


 だから、確実に死んでいるかは分からない。だが、明らかにありえない方向に首が曲がっているので、おそらく死んでいるのだろう。


 俺は、首があらぬ方向を向いた肉塊を抱えながら、俺の後方にいる男たちに向かって駆け出す。


 何本か投擲用ダガーが飛来してきたが、すべて肉の盾に阻まれて、俺に傷を与えることはできない。


 俺は肉の盾を抱えたまま、立ちふさがる3人の男に、迷うことなくブチかましをかます。3人なら力負けしないと受けたようだが、甘い。


 多少鍛えた程度の人間が3人束になったところで、野生の熊の突進を妨げられるはずがない。


 俺の歩みを止めるということは、そういうことだ。3人の男は、首のよじれた肉塊と地面に挟まれる形で、呻き声を上げながら倒れた。


 俺は、倒れた三人のうちの二人の顔を、躊躇なく、靴底で踏み砕いていく。地面が土だったらまだ助かったかもしれないが、港町は石畳である。


 まるでくるみ割り人形に砕かれるクルミのように、靴底と石畳に挟まれる形で頭部が砕かれ、赤い花が咲いた。その光景は、俺の心に一切の動揺も与えなかった。


 俺は、残った最後の一人に向かって、熱を込めずに淡々と告げる。



「そういうわけだ。お前が知っている事を洗いざらい話せ。俺は確実にお前を殺す。だが、お前が知っていることを包み隠さずに全て話すなら、極力苦しめずに殺すことを約束しよう。主に誓っても良い」



 俺は、残った一人の男に対して、を行った。彼は、恐怖に顔を引き攣らせながら、知っている情報を洗いざらい話した。


 その内容は、教会の腐敗と、俺たちへの執拗な追跡の理由を裏付けるものだった。


 そして、約束どおり、極力苦痛のない死をもたらした。


 港町の路地裏に、夜の静寂が戻ってきたのは、すべての『処理』を終えてからだった。血の匂いと死臭が、カビ臭い路地に充満していた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る