第194話

 ババアに正式に話が出来たことにより、いろいろと都合がつけやすくなった。

 というか、ババアが率先して俺たちのことを気遣ってくれるようになった。

 いや、廸子――義妹のことをというべきか。


 家族意識は強いんだよな、このババア。

 俺に対しての扱いは酷いけど。


「結婚したのはまぁいいとして、問題は子供についてだ。妊娠検査薬がどれほど信頼できるものか分からない。廸ちゃんだって初めてのことだ、もしかすると想像妊娠ということもあるかもしれない。早くはっきりさせた方がいい」


 それはごもっともだろう。

 ここまで想像で突っ走ってきた――というよりも、勢いに任せて突っ走ってきたが、ここいらではっきりさせておいた方が良い。


 はたして、お腹の中に本当に俺たちの子供はいるのか。


 いてもいなくても、もう話は変わらない。

 なにより廸子がつわりに苦しんでいる状況から、たぶんそれは間違いない。

 何かしらのトリックを使って妊娠検査薬を反応させた――などと、くだらないことを考えてどうする。


 俺はもう、廸子を妻として守ると誓ったんだ。

 お腹の子供の親として、やれることをやると誓ったんだ。


 かくして、急遽廸子は有給をババアに貰った。

 俺の休みに合うように有給を貰った。


 フォローの人材はなんとかするらしいが、まぁ、ババアがなんとかするというのなら、なんとかするのだろう。

 彼女の実務能力については折り紙付き。

 それを信じて、俺たちは、二人で産婦人科に向かった。


 市内にある、昔、俺と廸子を取り上げて貰った産婦人科。

 院長は替わっているようだが、お局の看護婦長さんはどうやら俺たちのことを覚えていたらしく、まさか二人がねえとなんだか謎の涙で迎えられた。

 そのまま、流されるように、尿検査、エコーと続く。


 エコーの際、別室で待たされていた俺は、看護婦さんが突然部屋から顔を出し、ちょいちょいとこちらに手招きをした。


 中に入ると、カーテンで下腹部を隠されながら、モニターを見ている廸子。

 その赤らんだ頬、そして潤んだ瞳の先を追う。


 灰色のディスプレイの中に生命のうごめく影があった。

 はっきりと、人の形をした影が。


「三ヶ月ですね。おめでとうございます。このまま、詳しい検査もしてしまいますので、今日はちょっと忙しくなりますよ」


「……ありがとう、ございます!!」


「いやいや、お仕事ですから。それと、お子さんの性別ですが――」


◇ ◇ ◇ ◇


「おんなのこぉ!! ゆーちゃんのおなかのなかに、おんなのこぉいるのぉ!!」


「そうだよー、ちぃちゃん。ちぃちゃんの従妹になるね」


「ちぃのいとこぉ!! すごぉい!! おんなのこなら、ちぃといっしょにあそべるねぇ!! やったぁ!!」


 やったぁ、やったぁと喜ぶちぃちゃん。

 そんな彼女を前に愛しげに腹を撫でる廸子。


 俺と廸子を前にして、どこか安心した表情を見せる親父とお袋。

 おう、結果が出たかと、部屋に入ってきた誠一郎さんに、俺は頭を下げると、すぐに産婦人科での検査結果を報告した。


 母体、胎児とも、経過は良好。

 三十代での出産かつ初産。

 不安要素は多かったが、これなら大丈夫と太鼓判を押して貰った。


 廸子の身体のコンディションがとにかくよかったらしい。


「理想的な母体ですね。適度に運動されていて、かといって痩せすぎでもない。妊婦として理想的な体を維持されています。これなら双子だって産めちゃいますよ」


 そう言われて、照れくさそうに顔を赤らめる廸子を見たとき、俺はなんだか無性に申し訳なくなった。彼女は、俺とバカなことをやりつつ、しっかりとこんなことになった時のことを考えていてくれたのだ。

 ちゃんと俺との子供が作れるように、身体を維持してきてくれたのだ。


 もちろん、自分の意思だけではどうにもならない部分はあっただろう。

 だが、それでも、彼女の献身に俺は言葉にしがたい感謝の念を覚えた。


「全部廸子のおかげです。俺には何もすることができなかった」


「いや、そんなことはあるめえよ。おめえがやることやらなきゃ子供はできねえんだから。胸を張れよ陽介」


「張れる要素どこにもありませんよねその励まし」


 なんにしても、出産について健康面ではなにも不安材料はない。

 定期的な検診を続けていけば、無事に生まれてくるだろうとのことだ。


 もっとも、だからといって油断してはいけない。

 無理・無茶の類いは控えるようにと念は押された。


 まぁ、具体的に無理・無茶とは――。


「まぁ、仕事については加減しなくちゃな。千寿とはどういう話になってんだ。流石に俺も、こんな状態になってまで働けとは言えねえよ?」


「一応、姉貴からは状況を見て適宜休職扱いにしてくれると聞いています」


 こんなこともあろうかと社員扱いにしておいてよかった、とも、彼女は言った。


 出産により会社に出られない間、健康保健組合から手当金が支給されるそうなのだ。また、期間中は保健料については免除されるし、会社の組合からも祝い金が出されるらしい。まぁ、祝い金は雀の涙程度とのことだが。


 ここについても、廸子は俺よりもよっぽど、俺たちの未来のことを考えてくれていた。ほんと、自分の考えのなさが、申し訳なくなってくるくらいだ。


 なんにしても廸子は大手を振ってマミミーマートを休むことができる。

 産休している間、多少減りはするけど収入はちゃんとあるのだ。

 心配事は何もなかった。


 そうか、そりゃよかったと、腕を組む誠一郎さん。

 こちらを振り返って廸子が微笑むと、いつもは渋面に満ちている彼の顔が緩む。孫娘の幸せを、素直に喜んでいるような、穏やかな表情だった。


 ここに至るまで、すべての段取りは整っていた。

 廸子の奴が、ちゃんと考えてくれていた。

 それが歯がゆくもあり、有り難くもある。


 本当に、俺には過ぎた嫁さんだ。


「誠一郎さん、ありがとうございます。ほんと、俺にはもったいない嫁さんですよ、廸子は。俺だけだったら、たぶん、こんなにも上手くいかなかった」


「そんなことはあるめえ。お前くらいのボンクラに丁度良い娘だよ。世の中、亭主がバカだと嫁が賢いっていうように、釣り合いがとれるようにできてんだ」


「……え、なんでそこで俺を見るのせーちゃん?」


 親父とお袋を見据えて意地の悪い笑顔を見せる誠一郎さん。

 まぁ、彼らを例に出されては、その息子である俺には黙ることしかできない。

 親父の不出来を、お袋が補っているのは事実だからなぁ。


 それでも、二人でなんとかやって来たんだ。

 きっと俺たちもなんとかやっていけるのかもしれない。

 親父のように、開き直ってお袋に依存するのはどうかと思うけれど。


「まぁ、後はあれだけビシッと決めれば、なんも問題はないな」


「せーちゃんの言うとおりだ。陽介、あれだけはビシッと決めなくちゃならない」


「そうよ、ようちゃん。職業訓練中だからって、ぼやぼやしてちゃダメよ。廸子ちゃんを支えてあげるためにも、あれだけはきちんと決めてあげないと」


 分かっている。

 職業訓練中に就職活動をしてはいけないという決まりはない。

 むしろ積極的に就職活動をしていけと、教員はもとよりハローワークの職員さんからも言われている。


 廸子一人の稼ぎで、家庭が成り立っていくとは思っていない。

 そして、俺もそこまで彼女によりかかろうとは思っていない。


 廸子と、お腹の子供と、一緒にこの玉椿で生きていくために。

 家族の未来のために。


「一刻も早く、就職先を決めるよ、親父、お袋、誠一郎さん」


 俺はその覚悟を口にした。

 男として、果たすべき責務を口にした。

 いや違うな。


 今、家族のためにやるべきこと。

 俺ができることを言葉にした。


 親父、お袋、誠一郎さん、そして、廸子の顔がこちらを向く。

 彼らに応えるためにも俺は――。


「はぁ!! なにバカなこと言ってんだ!! そんなんいいから職業訓練しっかり受けて失業手当ちゃんと貰うこと考えろ!!」


「今、やらなくちゃいけないのは、廸子ちゃんとの愛の巣だろう!!」


「うちで暮らすの!? 誠一郎さんの所で暮らすの!? どっち!?」


「部屋はどっちも余ってるんだからよ、遠慮することはねえぜ。というか、お前、そんなすぐに仕事見つかる訳ないんだから、しばらく主夫でもやってろ。そんなことより、家だよ家、住む家を決めろ馬鹿野郎」


「そーだ!! そーだ!! どっちでくらすーだ!! ちぃは、ゆーちゃんといっしょがたのしいのでこっちでくらしてほしいです!!」


 違ったわ。


 あれって愛の巣のことだったわ。

 俺の仕事とかどうでもよかったわ。


 そして、割と皆、俺がすぐ就職決まらないだろうなって、察してくれていたわ。

 優しさが嬉しいわ。

 嬉しいけれど、ちょっと男として情けないわ。


 そして、そんな簡単に愛の巣決められないわ――。


「……もうちょっと、待っていただいても、いいですかね?」


「ちぃちゃんには悪いけれど、やっぱ住み慣れた家の方が助かるんだよね」


「……だとさ、陽介」


「……だって陽ちゃん」


「ゆーちゃんがいうならしかたないな」


「えー、陽介がうちに来るのー? やだー。お風呂覗かれちゃうー」


「いやこれ、どうすりゃいいのよ!!」


 住んで良いのか、悪いのか。

 誠一郎さん、ちょっとそういう意地悪やめてくれます。


 もう、勘弁してよほんとにもう。


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