第185話

「へー、ほー、お前ら餓鬼こさえてたのか。夜中に二人で仲よさそうに出かけてるなとは思っていたが、そうかいそうかい。陽介ぇ、ちゃんと避妊はしろよぉ」


「……あの誠一郎さん。俺、真面目な話をしに来たんだけれど」


「爺ちゃん!! もっとこうひ孫の誕生を喜ぶとか、そういうのあるだろ!!」


「いや、俺、もう家族はいっぱいいるしなぁ。ひ孫みたいな妹までいるんだから、今更一人二人増えた所でどうとも」


 なんか、すごい覚悟をして誠一郎さんの所にやって来たというのに、軽く返されてしまってちょっとショックだ。

 俺、誠一郎さんにぶっ飛ばされるくらいの覚悟で来たんだけれど。


 大切なお孫さんを無責任に妊娠させた相手に向かって言うセリフかそれ。

 もっとこういろいろあるでしょうよ。


 てめぇ、ちゃんと男として責任取れるんだろうなとか。こんな無責任なことして、お前みたいな考えなしに孫をやれるかとか。


 俺、マジで苦悩したんだよ。

 廸子には、大丈夫まかせとけって言ったけれど、誠一郎さんにこの件話すの、割と勇気が要ったんだよ。なんてったって玉椿町のドンなんだからさ、アンタ。

 なのになんなのこのおざなり対応。


 なんて思っていると、思いがけず誠一郎さんが怖い顔をする。

 やっぱり怒っているのか。そらそうだわ、孫娘さんを傷物にしたんだし。


「陽介。おめえ、なんだよもっと厳しいこと言わねえのか、包丁でも持ってきて指でも詰めるくらいのこと想定してたぞって顔だがなぁ」


「ごめんなさい、指詰める所まではちょっと想像していなかったです。それは普通にお仕事できなくなってしまうので勘弁していただけませんか」


「俺がそんなこと言える奴だと思うか? かかあが妊娠しているのに、親父と喧嘩して実家飛び出して、挙げ句の果てに博打に走って身ぐるみ剥がされ、かかあに愛想尽かされて捨てられそうになったところを、謝り倒してなんとかつなぎとめ、それでもヤミ金が毎日やってくるからほうほうの体で玉椿に逃げ込んで、なんとか定職にありついて、今に至るこの俺に、そんな残酷なこと言えるかよ」


「俺を上回るどクズだとは思っていたけれど、あらためてその生き様を列挙されると、もはや俺も擁護するのを戸惑うレベルのクズ過ぎて草も生えない」


「だろう。だいたいかかあも籍入れる前に孕ませちまってるからなぁ。今更孫娘とその幼馴染みが同じことやらかしたって、どの口でお前説教できるんだってもんだわなぁ。怒りもクソもねえよ、むしろまぁ、そんなもんよなって同意しかねえ」


「同意はちょっと違わなくねえ?」


「なんで? 好き合った男と女なんて、一週間も一緒にいたらやっちゃうもんだろ? お前、しかもやりたい盛りのお年頃なんだから、仕方ないでしょ?」


 あ、お前らはもう、三十歳だったか。

 とぼけたことを言って茶化す誠一郎さん。


 隣に座っている廸子が、なんだそれふざけんなという感じのオーラを出していたので引き留める。ダメだ、一応この人、まだ病人なんだからと止めると、憤懣やるかたない感じで、ダメおっさんの孫娘は部屋を飛び出していった。


 はーもう。

 なんでこんなことになるかね。

 まぁ、何かにつけて規格外の誠一郎さんだから、変な切り返しも予想したけど。

 それでも、俺たちは真剣だったのよ。


 ちゃんと廸子を、筋を通して貰おうって、そういうつもりでやって来たんだ。

 なのに茶化すことないじゃん。

 俺の苦悩を少しは考えてよ。


「さて、廸子は行っちまったし、ちょっとばかり男同士の話をするか、陽介」


「いや、大事な話ですから、ちゃんと女房を交えた方がいいんじゃないですか?」


「おっと、もう女房呼びたぁお熱いねぇ。見せつけてくれるねぇ。陽介、節度ってもんを持てよ。あぁ、それがねえから子供がでたのか、そうだったか」


「誠一郎さん!!」


 からかうのは止めてくれよ。

 真面目な話をしに来たんだから。

 そう叫んだつもりだったのだけれど、ヘラヘラと笑って誠一郎さんは、立ち上がるとほれちょっと外行こうぜと俺の肩を叩いてきた。


 外ってどこにと言う俺に、小声で――。


「廸子と九十九の耳がない場所。嫁にやるから、コーヒー奢れや馬鹿たれ」


 と、彼は言った。


◇ ◇ ◇ ◇


 玉椿町から離れて、よく俺が利用する東海チェーンの喫茶店。

 そこの禁煙席に腰掛けて、俺と誠一郎さんは向かい合った。


 俺はアイスコーヒー、誠一郎さんはレモンティー。

 コーヒーを奢れと言った癖にこれである。


 どうやら廸子の奴からコーヒーも禁止されているらしい。

 いないのだから黙って飲めば良いのに。

 そうしない辺りがどうにも、この人の不器用さを感じさせてくれる。


 さて。

 こうして場所を変えたからには、何かやはり、身内を前にして言いづらいことがあるのだろう。でなければ、あの場でいくらでも話せた。


 やはり誠一郎さんとしても、今回の件について思うところがあるのだ。


 そう思いたかったが――。


「いやー、玄孫は想像してなかったわ。お前と廸子が仲いいのは知ってたけど、俺が生きてる間に籍入れかは怪しいなと思ってたんだ。いやぁ、めでてぇめでてぇ。陽介、よくやった。えれえぞ、お前、あと一年ならまだギリギリ生きれるわ」


「なんでテンション変わらないんですか!? おかしいですよね!? あれ、廸子たちに聞かせられない話をするんじゃなかったんですか!?」


「そうだよ。あいつらに聞かれちまったら、おまえ、いろいろと困るだろうがよ。えぇ、今から旦那になる奴がさ、ぶっちゃけなんの覚悟もできてねぇ、なんて、とてもじゃねえけど言えねえよなぁ」


「……ほら、やっぱり、分かってんじゃないですか。だったらなんで」


「だからお前、同じ境遇の俺がちょっくら相談に乗ってやろうってこうして遠出したんだろうがよ。お前、あっちゃんはなんだかんだ言って要領いいからなぁ。相談しても、男だったら歯を食いしばってなんとかしろくらいしか言わねえぞ」


「……それは」


「運のいい奴にはわからんよこればっかりは。俺はまぁ、自分の蒔いた種だけれどさ。けどなぁ、陽介よ、てめぇみたいに、別に自分が悪い訳でもねえのに、いきなり人生の袋小路に迷い込む奴なんてまたぞろいやがるんだぜ」


 そう言って、アイスティーをくぴりと呷る。

 くはぁとため息を吐き出した誠一郎さんの表情に、俺を咎めるモノはない。


 あるのは、同情でもなく、憐憫でもなく、未来を見ようという意思。


 今、誠一郎さんは数ヶ月後に生まれてくる俺たちの子供と、そして、俺たちの生活を見据えていた。また、同時に、その未来に至るにはいささか頼りない、虚飾のない現在の俺を見てくれているようだった。


 そう、父になる自覚なんてまるでない。

 どうしていいか右も左も分からない。

 本当の俺を見てくれている。


 嗚咽が漏れて、涙がこぼれる。

 ここまで堪えてきた感情が堰を切ってあふれ出す。

 どうして良いか分からず、声に出すことも出来ずに、唇が空気だけを求めて動く。


 そんな情けない俺を見ても嘲笑もせずに受け止めてくれる誠一郎さん。

 もう、こうなっては、取り繕うことはできない。

 取り繕うことがそもそも、彼にとって失礼だった。


「誠一郎さん、俺、俺、廸子に子供ができたことは嬉しいんだよ。本当に、俺たちの子供ができたことは嬉しいんだよ。けどさ、思っちまうんだ。どうして今なんだろうって。どうして今、このタイミングなんだろうって」


「……陽介。昔はな、コンドームもなかったんだぞ。できちまったらそれまでよ、腹く括らなくちゃいけねえ。って、違う、そうじゃねえ。安心しろよ。誰だってそうなんだ。こればっかりは、覚悟も何もないところに、いきなり降ってくるんだ」


「けど、元を考えれば覚悟がないのに、手を出した俺が悪いんじゃないですか。廸子に手を出した俺がいけないんじゃないですか」


「愛してるんだろう。だったら、仕事してようがしてなかろうが、結婚してようがしてまいが、覚悟があろうがなかろうが、そんなことはもう関係ねえよ。責任がどうこうは、別れる男と女がする話だ。愛し合ってる男女が考えるこじゃねえ」


「……誠一郎さん」


「廸子だって、そんなことは問題じゃないって言うぜ。だから陽介、そんな風に自分を追い込むな。不安に不安を重ねても、何も解決しやしねえんだから」


「けど!!」


「大丈夫だ。なんとかなる。いや、なんとかしてやるから。だから、俺を信じろ」


 くたばりかけの爺だけれどもよう、と、誠一郎さんは言って笑った。

 俺をいつも諭してくれる笑顔を、彼はこちらに向けてくれた。


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