第118話

 私の名前は田辺美香。

 玉椿町のツインオーガとかつて呼ばれ今はクレシェンドの課長補佐。


 とはいえ、その肩書もそろそろ取れそう。

 社会で生きることに疲れてしまったロンリーガール。

 お一人ガール。

 あくまでガール。

 ウーマンにはなりたくない系女子なのだ。


 あぁ、今日もどうして空はこんなに青いのだろう。

 まるで私の絶望を塗りたくったような青さ。


 いや、そういうのって普通灰色とかセピアとかそういうのじゃねえの。

 よくわかんないけれどさ。


 なんにしたって。


「鬱だ……」


 こんなに天気がいいのに心はしくしく雨模様。

 もうどうしていいのかわからんちん。


 このまま仕事をクビになったらマンションの支払いどうすればいいのやら。

 新卒からずっと今の会社だから、転職とか無理みしかねぇ。


 結婚してたらなぁ。

 旦那の扶養に入ってパートしたり、在宅ワークしたり。

 人生の選択肢は広がったんだろうな。


 ほんと、なんでちゃんとお互いを支えられるパートナーを見つけなかったのか。

 選り好みしてしまったのか。


 ちくしょう、過去の自分に言ってやりたい。

 白馬の王子様なんてやってこないぞって。

 いや、白馬の王子様じゃない――。


「シロクマをステゴロで倒すようなツエー奴なんてそうそういないよ馬鹿ァ!!」


 我が田辺家の血筋に、弱い血は必要ない。

 迎え入れるならば、徒手空拳にして最強の男の遺伝子を求める。


 地上最強の生物と目されるシロクマ。

 それを相手に、戦い、勝利できる益荒男を夢見ていたら――こんなことに。


「ヒグマで妥協するべきだった。もぉやだぁ、どこかに強くて格好よくって、お金持ちで財政界にコネ持ってて、ウチの上層部も黙らせられる、益荒男いないのぉ」


 いない。

 はい、はっきりと言い切れます。

 そんなもんいる訳がねえ。


 いい加減、馬鹿な夢を見るのはやめようと、私は大の字にその場に寝転んだ。


 あぁ。

 仰向けになって天を仰げばいっそう空の青さが目に沁みる。

 どうしてこんなに不必要なくらいに、空って奴は青いのだろうかね。

 ブルーライトカット眼鏡でも買ってくればよかった。

 あるいはサングラス。


 皆が私のことを心配して、今回の遊びを企画してくれたのはうれしい。

 けどさ、それと私の気持ちは別じゃん。

 会社を追い出されたのはそれなりに効いている訳よ。


 できることなら、このままミジンコのような、みじめな生命体になり果てて、この世のどこかでひっそりと死んじゃいたい。


 それが今の私の偽らざる本当の気持ちなんだよ。


 夢破れた女の気持ちなんて、わからないだろうけれど。


「みーかーちゃー!!」


「……ちぃちゃん?」


 なんて自己憐憫に浸っていると、河原を天使がかけてきた。


 水着の上から白いシャツを被ったマイエンジェルは、手に紙の皿を持っている。

 サンダルを鳴らして砂利の川辺を走ってくると、とうという掛け声とともに、私が寝そべっている岩の上に飛び乗った。


 同時に、紙の皿の上に乗っかっていたものが跳ね上がる。


 青空に舞う高級ウィンナー。

 ぽとり、岩の上に落ちると、それは肉汁をしたたらせて、動かなくなった。


 うん。


「これが、はまにうちあげられた、うぃんなぁさん」


「ウィンナーさん浜に打ち上げられないと思うな」


「……ごめんなさいみかちゃん。このつぐないはちぃがかならずいたします。おかあさんに、うぃんなーもうひとふくろかってきてって、いまかられんらくします」


「しなくていいよ。もう、そんなの子供が気にすることじゃないから」


 それに、私の方にも食欲がないから。


 なると過食になったり逆に拒食になったり。

 いろいろと変わるとは聞いていたけれど、まさか、私が後者のタイプだったとは。


 鍛えた体は、栄養不足によりみるみると衰え、筋肉が脂肪に置換されていく。

 耐えがたい屈辱感。けど、どうする気力も湧いてこないから仕方ない。


 しょぼくれるちぃちゃんの頭を撫でる。

 まぁ、他にも肉は用意してあるだろうし、それを食べるよ。食べられたら。

 気にしないで。


 そう言ってちぃちゃんの方を見ると――彼女は悲しい顔をしていた。


「……みかちゃー、なんかげんきないってきいてたけお、どうしたお?」


「ありゃー、皆から聞いちゃってたか。仕方ないよね。豊田家とは因縁浅からぬ仲だからさ。そりゃ伝わるわね。というか、コンビニで暴れた瞬間から、そこは避けて通れない道といいますか。はい、まぁ、覚悟してましたよ」


「みかちゃん、つらいのー?」


 核心を疲れた。


 こんな小さな女の子に痛い所をずぶりと突かれた。

 あぁそうだ、その通りだ。

 私は辛いのだ。


 本当に、今まで生きてきて、はじめてと言っていいほどに、つらい気持ちにおしつぶされそうになっていたのだ。


 たかが会社を追い出されただけなのに。

 けれどもそれは私の人生において最も価値のあるものだった。


 千寿にステータスで勝つという、そのために始めたことなのに。

 それは自分を構成する大切な要素になっていたのだ。


 そして、それを無くしてはこれから自分はどうやってこの世界で立ち振る舞っていけばいいのか、分からなくなるようなものだった。


 そんな大切なものを、社内政治に敗れてはく奪される。

 まったくもって理不尽な逆恨みで持って。


 くやしい。

 許せない。


 けれどもなにより、みじめだ。

 辛いのだ。


 どうしてこんなに今まで頑張ってきたことが、簡単に覆ってしまうのだろう。

 まで最初から私の頑張りなんてなかったようだ。

 会社に尽くした忠誠とはなんだったのか。

 抱いた会社愛は偽物だったのか。


 考えれば考えるほど辛い。


 そっと私の隣にしゃがみこんで、こちらを見上げてくるちぃちゃん。

 大丈夫だよと言っても、彼女はそこからどかない。


 小さなサンダルを踏み鳴らして彼女、えっとね、あのね、と、なにやら言葉を選んだ彼女は、頼りなさげな顔で私に言った。


「ちぃね、なんでみかちゃんがかなしいのか、なにがつらいのか、よぉわからないんだけれどね」


「うん」


「ちぃもね、おかーさんもね、よーちゃんも、ゆーちゃんも、みんなみかちゃーのとーだちだから。つらかったらね、ちょっとでも、そのつらいのわけてね」


 うれしいこと、いってくれるじゃない。


 ちぃちゃん、まだ小さいのに、人の喜ばせ方が分かっているわね。


 こりゃ将来有望。

 末は総理大臣か、はたまた、大統領か。

 なんにしても、田舎の女の子で終わる器じゃないわ。


 そして、その言葉で、ちょっと、抱えていた胸のつかえが取れた。


 そうよね。

 みんないるんだもの。

 もっと周りを信じてもいいわよね。

 それに、仕事だけが私のすべてじゃないんだもの。

 そんな深刻に考えることなんて、何もないじゃない。


 なによりようちゃんがいる。

 私よりひどいニートのようちゃんがいる。

 だから、最悪私が社会的にドロップアウトしたとしても、ニート歴で一日の長があるようちゃんのことをスケープゴートにして、私はなんとか助かる。

 玉椿町の恥にはならずに済む。


 よし、なんか希望が見えてきた。


「ありがとうちぃちゃん、ようちゃんのそんざいを思い出させてくれて」


「……? どういたしましてー?」


「ならば未練もへったくれもない。セクハラ上司に与する会社に、三下り半を突き付けてやらぁ。舐めるな、このチャン美香さまが工場内に巡らせたシステムを。私を失うことで、定期的に機能マヒする工場で、戦々恐々と操業を続けるがいいわ」


 はっはっはっはと、声高らかに私は笑う。


 うん。

 こういうのがたぶん躁って奴なのね。

 ほんと、交互に鬱と躁が来るから、怖いわこの病気。


 会社辞めるにしても、お医者さんと相談してからにしよう。


 そう思ったその横で――。


「……あれ?」


 ちぃちゃんが、何かを見つけて固まっていた。

 ちょっと今まで、見たことのない表情だった。


 今にも泣きだしそうな。

 そして、叫び出しそうな。

 そんな悲しい顔。


 しばらくしてちぃちゃんは一言。


「お父さん?」


 そう言って、また、彼女はサンダルを踏みしめて、川岸をかけ始めた。


 気づいているのは私だけ。

 追いかけないわけにはいかない。

 すぐに私も、スニーカーを鳴らして幼馴染の娘の背中を追いかけた。


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