第109話

「ちゃんちゃんチャン美香、チャン美香。みんなに愛され、ゆるふわガール。クレシェンドの期待の星。みんな言ってる、さすたな(流石はなんでもできるプリティーリミテッドアラサーガール田辺美香さんですよォ)って。現場の覚えもヨシ。開発チームの人望もヨシ。順風満帆キャリアーウーマンチャン美香」


 壊れておる。

 ついに美香さんが壊れた。


 部屋の隅、薄暗い部屋に体育座りして、謎の歌を口ずさむ女先輩。

 その姿に、俺と廸子は絶句した。


 もう、これ、何から手を付ければいいんだろうかって。

 その前に、この心の傷をどう癒してあげればいいんだと、俺たちは戦慄した。


 そう。


 ことの発端は今朝のこと。

 俺たち、玉椿町マミミーマートライングループに、一通のメッセージが届いたことから始まる。


 メッセージの内容はシンプル。


「死にたい」


 スタンプも何もなく、つぶやかれたその言葉を最後に音信不通になる美香さん。


 これは本当にマジでヤバイ奴だと確信した俺と廸子と姉貴。

 俺たちは、すぐに美香さん救出チームを立ち上げると、マミミーマートのシフトを急遽組み替えて彼女の実家に向かうことになった。

 とはいえ、姉貴は現場責任者。マミミーマートに残った。


 玉椿町が存在する市の中心部。

 駅前に立っている、どう考えてもコスパが悪そうなタワーマンションの最上階。

 そこに一人暮らししているという美香さんを訪ねる。


 既に管理会社には連絡済み。

 美香さんのご両親からの説明もあり、すんなりとタワマンの中に入った俺たちは、管理人さんから貰った合鍵で美香さんの部屋へ。

 そして、無事に――壊れた美香さんを発見したという訳であった。


 うむ。

 全然無事じゃねえ。

 けど、よかった。


「よかったァ、本当に死んでなくて」


「いやまぁ、本当に死ぬ気の人間は、周りにそういうこと言わずに勝手に死ぬから、大丈夫だろうとは思ったけれど、ぎりぎりいっぱの所だったな美香さん」


「……あれー、ようちゃんと廸ちゃんだぁ。なんで私の部屋に居るのぉ。おかしいなぁ、恥ずかしいから家の住所教えてないはずなのに」


 そうですね。

 その通りです。

 親御さんから聞き出すのにも苦労しました。


 ほんともう、なんでこんななるまでほったらかしにしておいたかな。

 俺たちの馬鹿野郎。


 美香さんがいろいろ追い込まれてるって、知っていたはずなのに――。


「とりあえず実家に帰りましょう美香さん。このままだと、ヤベー薬とか、ヤベー詐欺とか、ヤベー男にひっかかって、取り返しがつかなくなる未来しか見えない」


「それ、ようちゃんが言う?」


「人をヤベー奴みたいに言わないでください。むしろ今は――」


 と言いかけて口をつぐむ。


 あんたの方がやべえですよ、なんて言ったら、この繊細な先輩はいったいどうなってしまうことだろう。

 きっと、情緒不安定爆発させて、本当にどうにかなってしまう。


 今は彼女にせいっぱい優しさを与えるべき。

 そういう時だ。


「とにかく、行きましょう」


 そう言って、俺は美香さんの手を握った。

 久しぶりに握った、俺がどうあがいてもかなわないと思っていた、姉のような存在の人の手は、思った以上に華奢だった。


 きっと、この数週間、不安が極まってろくに何も喉を通らなかったのだろう。


 かつて自分も、そうだったから分かる。


「やだようちゃんてば、握り方がスケベ。廸ちゃんがいるのに、いいのかしら」


「……いいんですよ!!」


 そう言って、俺は美香さんの身体をぐいと引き寄せ、廸子と二人で受け止めた。

 なんだかびっくりしたように目をむいた美香さんは、それから、驚くくらい安心した顔をして、いきなり俺たちに身体を預けて眠りこけた。


 もはや、どうしようもないほどに、彼女は追い込まれていた。


◇ ◇ ◇ ◇


「三度目の産業医面談でついに美香の心が折れたらしい。面談の席で大暴れして厳重注意。いよいよ、クレシェンドでは美香の処分が検討され始めたらしい」


「処分って」


「このまま行けば社員規則による解雇だったが、構内で暴れたことを理由に懲戒免職扱いとするような話が出ているらしい。もちろん、産業医との面談からしてすべて仕組まれてのことらしいがな」


 くそ、と、忌々しそうに机を叩く姉貴。

 つい先日まで反目しあっていた、そして、会うのを避けてきた相手に対して抱くにはいささか重たい感情。そのあらぶりように、やっぱりこの人も口ではなんだかんだといいつつ、美香さんのことを好きなのだと俺は改めて感じた。


 そして、相変わらず人脈がえげつないなと。

 そこまで情報を入手することができるのに、この人ほんとなんでコンビニの店長なんてしょぼい仕事してるの感半端ないなと。


 いや、ふざけている場合ではない。


 豊田家家族会議、ウィズ、神原家。

 美香さんとは因縁浅からない廸子、そこに誠一郎さんを加えて、俺たちはいよいよ進退窮まった元キャリアウーマンの対策会議を開いていた。


 と言っても、できることなど限られているが。


「母さん。クレシェンドに介入することはできないか。これは明らかに、触法行為だと思われるんだが?」


「うぅん、難しいところね。というか、それでガサ入れするなら、まず、美香ちゃんの暴力行為について追及しなくちゃいけなくなっちゃうわ。それは、今の美香ちゃんにもショックなことだし、余計に彼女の立場を悪くしちゃうんじゃないかしら」


「クレシェンドには消防団から何人か行ってる。そいつらに内情を調べさせるか」


「やめとけあっちゃん。どうせ下っ端だろ。美香の嬢ちゃんは本社出向の社員で、戦ってる相手も違う。消防団の連中に探らせても立場を悪くするだけだ」


「うーん、みかちゃがたいひんなことはわかった。わかったけどむずかしいなぁ」


「ちぃちゃん、あっちでアタシとおねんねしようか。じゃましちゃダメだからね」


 そう言って、廸子がちぃちゃんを連れて奥の寝床へと移動する。

 すまんなと目線を送ると、仕方ないよという表情を彼女は俺に返してきた。


 ほんと、頼りになる幼馴染だ。

 お前もつらいだろうに、すまんな。


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