第103話

 熊倒館には三人の傑物がいる。


 一人、館長。

 齢百歳にして不動の鎮守。枯れた大木の味わいある四家館長。

 かつて町に降りてきた熊を相手に、柔の術で組み伏せたという伝説から、館を開いた柔術家。元々は関東の方でいろいろやっていたという、いわくつきの男だ。

 しかし今は、すっかりと耄碌して、ふがふがお爺ちゃん。


 一人、その高弟にして若先生。

 変幻自在の柔の術に人は彼を畳の上の魔術師と呼ぶ。

 こんなに柔道やっているのにさわやかイケメンな倉本勇気くん。

 四家館長に見込まれて、孫娘を娶って婿に入った彼は、ちょっと傾きつつあった熊倒館の立て直しに尽力した立役者だ。柔術も経営も、腕がいいともっぱら評判。


 ただし、女ゴリラのような四家館長の孫娘と結婚したのかは最大の謎。なんだろう、夜になるとすげー美人になるとかいう、ファンタジーな嫁さんなのかね。


 そして、最後の一人。

 傍若無人にして暴力の権化。

 柔道をやるために道場に来ているのではない。

 憂さを晴らすために道場に来ているのだ。

 一度暴れ出したら止まらない暴走機。


 そう、我らが――チャン美香先輩。

 免許皆伝、熊倒館でもっともえげつないと言われるこの女は、時たま思い出したように館に現れては稽古をつけていく。まさに歩く天然災害のような女だ。


 そう、歩く、天然災害のような女だ。


「どうらぁっしゃぁっ!!」


「あぶべ!!」


「はい、と言う訳でね、これが上手投げ。皆さん、分かったかなー」


 わかんないという沈黙が熊倒館に響く。

 一人、ちぃちゃんだけが、わぁったーと元気な声を上げていた。


 はい。

 何がどうなっているのか。

 順を追って説明しましょう。


 本日は、熊倒館が毎月やっている、わくわく子供柔術体験デー。

 それでもって、そろそろちぃちゃんも習い事させた方がいいかしらねということで、彼女を伴って俺がこの体験デーにやって来たのだ。


 うん。


「入門するなら廸子んとこでいいじゃないかよ!! なんでわざわざ熊倒館!! そんで、なんで俺いきなり技かけられてるの!!」


「いやー、ようちゃん相手だとすぱっと技が決まるんだよね。投げ心地が良いっていうのかな。やっぱり小さいころ、さんざんおもちゃにしてきたからかな」


「お前なんぞと相性なんてよくなりたくなかった」


「おっと? それ以上言うと、古武術に類する技を使うことになるぞ?」


「……待てぇぃ、美香。子供たちの前ぞ」


 四家の爺さんが止めてくれたので、首がコキャっとか、腕がボキっとか、心臓に悪い表現が出る事態は避けられた。


 よかった、本当によかった。

 ありがとう四家館長。


 いつもはフランクな感じで、あっちの方でゴースが出ると聞いたんじゃが本当かのうと、はしゃいでるポケモンGOおじさんの四家館長ほんとマジサンキュー。

 今度穴場を教えてやろう。


 とにかくそんな訳で、熊倒館の催しモノに参加した俺とちぃちゃん。


 それに目ざとく気が付いて。どう調べたか予定を合わせた美香さん。

 普段は絶対催しを手伝わないのに、彼女は、ここぞとばかりに俺をおもちゃにして、叔父としての尊厳をぶち壊してくるのだった。


 はいまた、プライベートで嫌なことがあった奴ー。

 ながいつきあいだからわかるー。

 彼氏振られたとかそんなんー。


 思っただけで物理ダメージ三割増しー。

 ほんとやめてー。


「やめてやめてギブギブギブ!! ちょっと加減してよ美香さん!!」


「はっはっは、男の子が情けない!! 痛みに耐えてこそ、男の子だろう!!」


「痛みに耐えられる男の子は結構限られると思うの!! 俺、そういう趣味はないから!! って、やめてやめて、逆関節は流石に無理!!」


 だーもう、ほんと、勘弁して。


◇ ◇ ◇ ◇


「はい。それじゃ、皆さん胴着に着替えたことだし、簡単な型から練習していくとしましょう。お兄さんの動きに合わせて真似してくださいね」


「「「はーい」」」


 無邪気な子供たちの声が道場にこだまする。

 それを畳の上で寝そべって聞きながら、俺は青色のため息を吐き出した。


 ほんともう、やめてよこういうの。

 せめてやるならちゃんと許可取ってからにして。飛び込みで、じゃぁ、ちょうどいい肉人形がいるからと、人を技の見世物にしないで。


 そんなことを思ってひっそりと畳を濡らしているところに。


「おーい、陽介、大丈夫か?」


 春物のニットセーターにスリムパンツ。

 ちょっとこじゃれた格好をした廸子が声をかけてきた。金髪を今日はお団子にして頭にまとめた彼女は、俺をのぞき込んで心配そうに顔をゆがめている。


 うむ。


 この表情、この格好、そしてローアングルからそれを見れただけで、今日はもうなんていうか満足です。


 たまには、こういうのもわるくないかも。


「廸ちゃん気を付けて、そいつ、死んでるふりして廸ちゃん視姦してるよー」


「!!」


「ばらすなよ美香さん!! いいでしょ、幼馴染がかわいい服装してやってきて、ローアングルから見るくらい!! 青春の一ページじゃないですかこんなの!!」


 俺から離れる廸子。

 おほんと咳ばらいをするその頬が桃色なのは仕方ない。

 いきなり蹴られなかっただけマシだろう。

 

 しかしまぁ、よく来たもんだな。


「神原道場が熊倒館の門をくぐるとは歴史的な快挙だねぇ。道場に他流派の者が勝手に入ってくるなんて、なにされても文句言われないよ廸ちゃん」


「いや、私は別に神原道場の者ではないので。爺ちゃんからいろいろと習ってはいますけど、道場のメンバーって訳ではないので」


「ということなので。セーフにしといてくれませんか美香さん」


 ババアがちぃちゃん絡みのイベントに、でしゃばってこない理由はこれだ。

 神原道場の門下生である彼女は、熊倒館には出入りができない。

 すれば美香さんとまた勝負だ。


 一応、いまのところこっちの方でも無敗だが、疲れた体で相手をするのはしんどいそうな。それで、今日は俺が変わって付き添いになった訳ですよ。


 まぁ、それはそれとして。


「廸子、なんで来てくれたんだよ。柔道教室行くとは言ったが、別に来てくれなくてもよかったんだぞ。っていうか、ほんと、なんで」


「いやまぁ、私も来るつもりはなかったんだけれどさ。やっぱほら、美香さんが絡んでくるとなると、いろいろと想像しちゃうじゃん」


「やだ想像しちゃうだなんて。廸ちゃんったら、人を泥棒猫みたいに」


 わりとさいきんやったけれどもうわすれたのかなこのよそじおんなは。


 形式上の旦那にされそうになったあのレースを、俺は忘れたわけではないぞ。

 そして、廸子も忘れた感じではないぞ。


 鋭い視線を浴びせられて、うっとどもる美香さん。

 どうやらお邪魔虫みたいねと、彼女はすっと姿を消した。


 脅威が去ったことで起き上がった俺に歩み寄る廸子。

 痛い所とかないと体を気遣ってくれるあたりが、ほんとあの女柔術馬鹿一代とはえらい違いですよ。ほんとマジ天使。


「湿布とかいるか。なんだったら、家に帰ってもってくるけど」


「んー、大丈夫じゃねえ。最悪、ニートだから一日中寝ればなんとかなる」


「人が心配してんのに、なんだよその言い草」


「いや、心配かけないようにと思って言ってんだよ。ありがとな、心配してくれて」


 そうやって最初から素直になっとけばいいのよ、と、廸子が俺の背中をたたく。


 美香さんと違って、適切な強さ。

 ぼろぼろに痛めつけられた俺の体にも心地よい。

 美香さんはもちろん、ババアや誠一郎さんにもできない、気遣いの一手だ。


 看護婦やってだけはあるよな。


「なら柔軟体操してやるよ。運動の後はボディケアが大切なんだぞ」


「え、いや、それはいいよ」


「なんだよー、えんりょするなよー」


 子供たちの見ている前で、いい大人が密着するもんじゃないと思うんですよ。

 ちぃちゃんも見てますしね。


 いくら柔軟体操が大切とはいってもね。

 やっぱりその、男と女くんずほぐれつというのは。


 じりじりとにじり寄ってくる廸子に後退する俺。

 おらーと、とびかかってくる彼女を躱せなかったのは、体がなまっていたからか、つかれていたからか、それとも期待しちゃったからか。


「こらー、おまえらー!! 夜の柔道ならもっと他のところでやれー!! 私の見えないところでー!! プリンス玉椿(ラブホテル)とか!!」


 喪女生活ノンストップ継続中。

 止まらない止められない美香さんが注意しに戻ってくる。


 夜の柔道ってなんだ。

 もう、勘弁してくれほんとマジで。


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