第86話
九十九ちゃんが玉椿町にやって来た。
廸子が提案した通り、神原家で成人するまで彼女を預かるということで兄弟間で話が落ち着いたそうな。
「……これからお世話になります」
とは、久しぶりに顔を合わしてのあいさつ。
ぶっきらぼうというより、照れてる感じの表情が実にかわいらしい。
なんか昔の女学生みたいな格好なのがひっかかるけれど。
ともかく。
「ようこそ廸子ん家へ。そして、我が玉椿町へ」
「つっても、ここは隣の市だけどな」
市内にある私鉄の駅。
そのバスターミナル前。
俺と廸子は車で九十九ちゃんを迎えに来ていた。
さぁさどうぞどうぞと後部座席に座らせる。
すでに荷物は宅急便で送ってしまったのだろう。
小さいボストンバックを抱えて彼女は、ちょこなんと俺の後ろに座った。
まるで借りてきた猫のようにおとなしい九十九ちゃん。
すっかりと有馬温泉での出来事は過去のものである。
とはいえ、生まれ育った故郷を捨てての今回の引っ越し。
いろいろと思うところはあるだろう。
表情にもありありとこれからの生活に対する憂いが見て取れた。
「そんな心配しなくても大丈夫だって。九十九ちゃんの面倒は、ちゃんとアタシと爺ちゃんが見てあげるから。安心しな」
「いやいや廸子、そっちの心配はしてないだろ。馬鹿だな、ほんと廸子。廸子ってばわかってないんだから」
「なんだよ。まるで自分は分かっているみたいな言い方だな」
そりゃ分かっておりますよ。
これでもね、暇に任せて日常系萌えアニメを漁っているニートの鑑のような俺でございますから。そりゃもう彼女の憂鬱は分かっちゃうってもんですよ。
肉親がいるとは言っても見知らぬ村。
生まれ育った場所とうって変わってそこは田舎。
文明から遠く離れた何もないがある場所。
はたしてそこで自分はうまくやっていけるのだろうか。
友達をちゃんと作ることはできるのだろうか。
そんな不安を胸に、少女はいつだって俯き気味に電車に乗ってやって来る。
それが萌えアニメのテンプレ。
けど安心してくれ九十九ちゃん。
「玉椿町はいい所だよ。そりゃもう、人は優しいし、緑はたっぷりあるし、夏は暑くて干ばつが起こり、冬は寒くて雪も積もる、試される大地さ」
「あんしんできるようそがなにもねえ」
「しかし、このワイルド&タフなお兄さん、ヨースケ・トヨタ・グレートがいれば万事解決オールライト!! 何かあったらいつでも呼んでくれ!! 俺は君がお呼びとあらば、何を置いても駆け付けよう!!」
「呼ぶと一緒にお巡りさんもくるからね、そっちに相談しようね」
失礼な、人を犯罪者みたいに。
まるでそんな犯罪者みたいに。
廸子ちゃんてばほんとひどいわ。
実際、何しでかすかわかんない奴として、交番の警戒対象リストに数えられているらしいけど、それを抜きにしてひどいわ。
俺はまともです。
好きなのは廸子ちゃんくらいの年の女の子です。
三十歳を過ぎても身持ちが固くって、ちょとお腹周りに油断が出てきた、そんな身体をしている廸子が好きです。
あともうちょっとだけ胸のボリュームがあったら、いうことな――。
「……陽介」
「馬鹿な。お前も姉貴たちと同じで、俺の考えを読めるのか!?」
「あぁ、本当にちょっとだけだがな? で、誰の胸が、なんだって?」
ごくり。
異能力バトルのような戦慄が車内に走る。
どうする、九十九ちゃんが見守る中で、いつものセクハラトークを開始してしまっていいのか。そもそも、九十九ちゃんてそういうの大丈夫なのか。
なんかしれっと浴室に入ってきた気もするけれど、大丈夫な年齢の子なのか。
どうすれば、いったい、どうすればいい。
逡巡していると、ぷっぷと後ろから音が鳴る。
ロータリーの周りは非常に混雑。
そんなに長居できるような場所じゃない。
こらいかんわと、視線の件はごまかして、俺は車を発進させたのだった。
◇ ◇ ◇ ◇
駅から南西へ。
太平洋を背にして、なだらかな平野を進んでいく。
神が休まる土地として選ばれただけはある。
北海道でもないのに広大な田園を突っ切って、俺たちは玉椿町へと続く松阪環状線をひた走った。
時刻は正午を過ぎ、空から降り注ぐ日の光は強い。
ちょっとエアコンを入れようかと、俺はしばらく使っていなかった、エアコンのスイッチを入れた。ほんのりとかびた匂いが車に充満してくる。
これならば窓を開けた方がよかったかなと思ったが、後ろの席の九十九ちゃんは特に気にしていないようだった。
いや、それよりも、何か気になることがあるみたいだ。
廸子と俺は顔を見合わせる。
「ありゃいったい何を心配しているんだかね」
「やっぱホテルのことなんじゃないの。いい人は見つかったみたいだけど」
「ホテルのことじゃありません」
と、ここで九十九ちゃんがヒントをくれる。
優しいかな。
けど、それなら答えを言ってくれればいいのに、そこはだんまり。
いかにも悩んでますって感じを続ける。
ぶっちゃけ、ちょっと面倒くさい女の子だなとか、思ってしまった。
気になることがあるのなら言ってくれればいいのに。
ほんと、ホテルに関しては、俺たちだって、それなりに気を使ったのよ。
それこそ、姉貴に紹介してもらった経営者が本当に信頼できる奴なのか、松田ちゃんに調査してもらうくらい。
すでに君がこちらで暮らすにあたって、いろいろなことに苦心しているっていうのに。そんな拗ねた表情を見せつけるのはどうなのよ。
まぁ、かわいらしいとも思うけれど。
それじゃいったい何が不安なのと、俺と廸子は顔を見合わせる。
「やっぱ部屋じゃない。廸子の家、広いけれどもぼろだからなぁ。エアコンないと、今年の夏はちょっと厳しいんじゃないの」
「それはまぁ、頑張ってなんとか金貯めて、調達するつもりだけれど」
「家の話ではありません。それと、家具については、私もそれなりに蓄えがありますので、自分の気に入ったものをそろえようと思っています」
あら、生意気。
けどそういうことじゃないのか。
じゃぁ、なんだ、食べるモノとかか。
田舎の郷土料理が口に合わないとかか。
おいおい、お上品な口をしやがってよう。
そんなことで心配するとか、へそで茶が沸くぜ。
神戸と三重で、食べるものが違うって訳でもあるめえよう。
まったく、いったい何を心配しているのか――。
「玉椿町は随分と、山の方にある町だそうですね」
ようやく、九十九ちゃんの方から語り始めた。
おう、そうだ。
三重の秘境と呼ばれるような山間の地だ。
そう、答えてやると、むぅと顔をしかめる。
それがいったいどうしたんだ。
やっぱり郷土料理か。
それとも虫とかがダメなのか。
蛙とかアカンのか。
少し恥ずかしそうに俯いて九十九ちゃん。
彼女は自分の着ている服の、スカートの裾を引っ張って、しかめ面を造った。
まるでどうしていいのか分からないというそんな不安を湛えた表情だった。
ふと、そんな顔をしていた誰かのことを、俺は唐突に思い出す。
あれはそう――。
「……大丈夫だよ。学校は、そこそこ人がいるから。まぁ、一クラスだけだけれど、そこそこにぎやかさ」
「……陽介さん」
「そっか。九十九ちゃん、転校することになるんだもの。そりゃ心配するよね。いいお友達、できるといいね」
「……はい!!」
いつぞや、俺の幼馴染も、中学でちょっと人が増えるとなったとき、そんな顔をしていたのを思い出した。
そんときは――。
「まぁ、大丈夫だよ。ダメならダメで、俺が一緒にいてやるからさ」
と、そんなことを言ったような気がする。
そら不安だろう。
新しい環境、新しい世界、新しい友達。
けれどもそんなに心配しなくていい。
世の中、割とどうにかなるようにできているのだから。
安心しなと後ろを振り返って微笑むと、前見て運転してくださいとすげない返事。とほほと思って前を向けば、くすりと小さな笑いが聞こえた。
「ありがとうございます陽介さん。廸子さんがあなたを頼る気持ち、ちょっとだけ分かった気がしました」
「おーう、ありがとうよ」
「けどさ、今の学校のクラスの人数とか知ってるんだぜ。やばいよな。まさか陽介、ロリコン」
「親がほれ、そういうボランティアやってるの!! それで、たまたまそういう話をするだけなの!! 変な誤解与えないで!!」
なんか最近逆セクハラ多くないですかね。
まったく。
女二人そろうと厄介ってもんだぜ。
さて。
目指すは玉椿町。
九十九ちゃんの新しい人生の始まる土地――。
「そういや九十九ちゃんって何歳なの? いや、中学とか高校でもいいけど?」
「中学一年生ですね」
「おしいなぁ、もうちょっと若かったら、小学生女将だったのに」
「小学生の頃も女将してましたから。してましたから」
むぅとバックミラー越しに見ると、九十九ちゃんがふくれっ面をしている。
あら、そんな可愛らしい仕草もできるんだね、君。
早く、このかわいらしい新しい玉椿の住人を、皆に紹介してあげたいよ。
きっとちぃちゃん辺りは喜ぶだろう。
俺はうきうきとした気分でハンドルを回した。
家族が増えるってのは、やっぱ、いいものだね。
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