第78話
言ってやった、言ってやった。
なんか、子供に向かって大人げないなと思ったけれど、こういうのはバシッと言ってやらないといけないから、言ってやった。
九十九ちゃん。
小学生か中学生かという少女に向かって大人を舐めるなと言ってやった。
うん。
すげえ罪悪感。
なんか格好つけて言ってみたけれど、これ、結構ひどい感じの奴じゃない。しかもなんかこう、ここにいない廸子の名前を使って、勝手に言っちゃった奴じゃない。
実際、廸子が決断を迫られたら、もしかしたらうんっていうかもしれないのに、なんかわかった風な感じで言っちゃった感じじゃない。
俺、なんか一人で盛り上がってる奴じゃない。
お痛い奴じゃない。
啖呵を切ってから数刻、しんと静寂が屋上を支配する。
誠一郎さんは腕を組み、松田ちゃんは頭を掻き、九十九ちゃんはうつむく。
なんとも気まずい無言。
そう。
なんか俺、間違ったこと言いましたっけと、そんなことを問いかけたくなる沈黙が、炭泉閣の屋上に漂った。
うぅん、誰か助けて――。
「……陽介さんの気持ちは分かりました。あくまで、あなたは自分の力で人生を歩んでいくと、そうおっしゃるのですね」
そんな気まずい沈黙を、破ってくれたのは他ならない。
炭泉閣の若女将、九十九ちゃんであった。
彼女はうつむいて、こちらにその表情を悟られぬようにして言葉を発する。
しかしながら、その声色の奥底に、マグマのような憤怒が渦巻いているのを、俺は感じ取った。
しかし、だからどうした。
それで日和って答えを変えたら男じゃない。
ただでさえ、まともに働けてない俺である。
せめて、こういう場面でくらい、きっちり筋を通したいと思うのは、ただのわがままだろうか。
とにかく、再度、俺は九十九ちゃんに向かって啖呵を切った。
「おうよ!! 男に生まれたからには、誰にも頼らず二本の足で立って生きていく!! それが男だろうが!! あ、いま、ちょと、その二本の足が複雑骨折していて、いろいろと助けてもらっているけど、そこについては目を瞑ってね!!」
「……複雑骨折承知いたしました。まぁ、いいでしょう」
「そいつは重畳。まぁ、親せきは他にもいっぱいいるんだろう。だったら、そいつらをあたってくんない。俺と廸子はとにかく協力できねえ」
「さて……それはどうでしょうか。本人の口から、直接聞いてみないことには、わからないんじゃありませんか?」
不敵な口ぶり。
その反応で俺たちは、はっと屋上の入り口――俺たちが今いる非常階段とは別の、館内から上がってくる方――に目を向けた。
すっかりと九十九ちゃんと話し込んでいた俺たちは、そこに新たな登場人物が現れていることに気が付いていなかった。
――廸子。
この一連の騒動のカギを握る、老舗旅館の跡取りとしての権利を有する女。
話を聞いていたのだろう、彼女はゆっくりと、そしてしっかりとした足取りで俺たちの方へと近づいてきた。
廸子。
まさかお前、この話、受けるなんて言わないよな。
「びっくりした。まさか、このホテルがうちの親戚だったなんて。人が悪いぜ、爺ちゃん」
「いやだってお前、俺、実家とはもう縁切ってるからさ。説明する必要とかないじゃん。今回だって、お前らが行くっていうんで心配だからしゃしゃって出てきただけで、なんもないなら観光して帰ろうとか思ってたんだから」
「……その割には、松田ちゃんとっちめてある辺りが素直じゃないよね」
「俺もさんざん修羅場は経験したけれど、今回が一番心臓に来る修羅場だったよ。いや、孫がかわいい爺さんってのは、なんだってするもんだね」
うるせえぞ外野黙ってろと、いきなり場を静かにする誠一郎さん。
そう、彼が一喝したことで、状況は確定的になった。
ホテルの社長の椅子に座る判断。
その決定権は、俺ではなく、本来その資格を持つ廸子へと廻った。
廸子が黙る。
黙るということは、少なからず思うところがあるということだ。
あれだけ強弁しておいてなんだけれども、所詮、俺は廸子じゃない。
俺は廸子との関係性を利用される形で、生きていくのが嫌なので声を荒げた。そして、廸子もまたそんな生き方なんて望まないだろうと思ったから俺は怒鳴った。
けれども、廸子には廸子の考えがある。
立場がある、思惑がある。
俺がどんなに彼女の心を思ったところで、それはわからない。
どれだけ努力してみても、そこにあるのは、相手の心を思いやって心を尽くしたという、ただの自己満足を伴う事実だけだ。
聞こう。
廸子の気持ちを。
すでに決定権は俺から彼女に移ったのだ。
そのうえで、もし、彼女がそれを望むのならば――。
なんて顔を、すぐに廸子はのぞき込んできた。なんて顔してんだよと、まるで俺を笑うような、そんないい感じの笑顔で。
「心配しなくても陽介。アタシも同じ気持ちだよ。こんな風に、自分の今のおかれている状況を利用されて結婚するなんて、そんなのはまっぴら。陽介と同じで、アタシは――アタシたちは自分の納得する形でそういう関係に至りたい」
「……廸子」
「けどさ、それと身内が困っているのは話が別。九十九ちゃん、いや、九十九大叔母さんになるのかな。貴方は、このホテルをどうしても続けたいんだよね?」
違った。
問われるのは、廸子ではない。
九十九ちゃんの方であった。
はっとした顔をして廸子を見る九十九ちゃん。
どうして、質問を質問で返されたというのに、そういう驚いた顔をする辺りに、彼女がこうするに至たるまでの苦難が見て取れた。
誰もが継ぐことを拒否した老舗ホテル。
若くしてその支配人にならざるを得なかった事情。
助けてくれない周りの大人たち――誠一郎さん含む。
こんな小さな子供に、それは残酷ではないのか。
「私、私は……お父様にかわいがって育てていただきました。お母さまは、お父様に先んじて亡くなりました。それから二人きり、お父様は私のことを大切に大切に育ててくださいました」
「……ったく、最後の最後でガキに愛着を抱いてんじゃねえよ。ほんと、性質の悪い爺だな」
「ですから。お父様との思い出がたくさん詰まったこのホテルを、どうしてもつぶしたくないのです。けれど、やっぱり、私では力不足。大人の人の力添えが必要なんです。けれど、兄様方は、皆、継ぐのは無理だとおっしゃって――」
「そうだよ。別に廸子が継がなくてもいいじゃん。誰か一人くらい、ニートしている奴いるだろう。そいつにやらせろよ」
「それがなぁ、陽介。うちの血筋は優秀らしくてな。銀行員、外交官、自衛隊員官僚、兵庫県警組織犯罪取締課、そして俺と、一部の隙もなくホテルを継げない身の上なのよ。残念なことに」
「警察が身内いるの!? というか、ヤク〇の人、あきらかに九十九ちゃんに協力してなかった!? そのあたり、大丈夫なの!?」
「ヤク〇顔負けの顔してるだろう。これ、その組織犯罪取締課の親戚なんだぜ」
スキンヘッドの男が起き上がりえへと襟足が本来ならある辺りを掻く。
なんだよもぉ、ヤク〇の方じゃないのかよ。あきらかに堅気じゃない感じの空気出しておいて、堅気の味方の警察の方だったのかよもぉ。
まぎらわしいなぁ。
って――。
「ここまで協力しておいて、ホテル継げないってなんなの!! ここまで九十九ちゃんのこと応援してあげるなら、助けてあげようよ!!」
「いやぁ、けど、やっぱり公務員の安定した収入には代えられませんからね」
「まともか!! それで誠一郎爺さんの親戚か!! もっと破天荒になれよ!! スキンヘッドくらいで満足してるんじゃないよ!!」
「いやけど、これでも私、署内では――少林寺刑事で通ってますから」
「少し昔の警察ドラマかよ!! 十分まともだよ!!」
俺だったら、ダブル・タートル・ヘッドとかつけちゃうよ!!
国家権力相手にセクハラする勇気がないから言わないけど!!
流石にお縄につくのは嫌なので言わないけど、ダブル・タートル・ヘッドとか、そういうとがったのできてくれよ!!
まったくもう!!
破天荒な親に生まれて、破天荒な兄貴がいるのに、どうしてまともかね!!
そんなだから、困っている女の子一人、救うこともできないんだ――。
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