第68話

 有馬口駅で乗り換えて、有馬温泉駅へと向かう。


 まるで待ってましたとばかりに隣のホームで停車している電車。

 たった一駅を移動するためだけのそれに乗り込む頃には、有馬温泉に向かう旅行者たちはすっかり増えていた。


 人が増えては恋人ごっこはできない。

 幼馴染の距離に戻った俺と廸子は、他の旅行者と同じように電車を乗り換え、ちょっと間をあけて長椅子に座った。


 たった一駅の移動。

 窓の外、緑深い山の景色を眺めながら、俺たちは無言で電車に揺られる。

 有馬温泉口のアナウンスと共に、同乗者たちがすばやく立ち上がる中、ゆっくりと、彼らから遅れるように俺たちは電車から降りた。


 来るのはこれで五回目くらいか。

 神戸地下の駅よりも真新しい有馬温泉駅の改札をくぐる。

 出てすぐの所にお土産物屋があり、訪れるたびに観光地だなと感心する。今回もまた同じ感慨を俺は抱いた。


「へぇー、すごいな。出てすぐそこにお土産店があるとか」


「志摩とかもそんな感じじゃないっけ?」


「あっちの方も行ったことないんだよなぁ」


「お前、ほんと隠れ引きこもりよな」


「引きこもりはお前だろうが」


 げしりと膝裏を蹴られる。

 何すんだよと怒る俺から、悪戯っぽく逃げる廸子。


 彼女は有馬温泉駅を出ると、有馬温泉の街並み――渓流沿いに続く坂道を眺めて、ほえという声を上げるのだった。


 温泉街は数あれど、有馬ほど高級感のあるところはなかなかない。

 いや、あまり俺も多く温泉街を巡った訳ではない。

 行ったのは城崎と白浜くらいだが、それらと比べると、やはり有馬の方が一つ抜けてお洒落な感じがする。


 もちろん城崎の情緒ある感じや、白浜の海を臨んで開放感のある感じもそれはそれで好きだ。どれが上で下という話ではない。ようは、そこに何を求めるかだろう。


 うん、何を弁明しているのだろう。

 ただなんにしても、お高そうな温泉街というイメージは普遍的なものらしい。

 立ち止まって温泉街を見上げていた廸子が蒼い顔をしてこちらを振り返った。


「……陽介。マジでこんな所に泊まりに来てよかったの?」


「よかったんだよ、宿泊券貰ったんだから。貰ってなかったら、とてもじゃないけど来れないような場所だけど」


「……だよな。マジで千寿さんには感謝だな」


「あぁ、まぁな。けどまぁ、いらんと言っていたし、お土産にラムネでも買っていってやりゃ、それでいいだろ」


 なんだよそれラムネってと廸子が笑う。


 有馬名物と言えば炭酸泉――それを使ったサイダーだ。

 けれど、それもやっぱり知らないんだな。


 もうちょっと、旅行に来る前に下調べしとけよ。


 まぁ、案内するこっちとしては張り合いがあるか。

 とはいえ街を巡るにはまだちょっと時間があった。軽いとはいっても、リュックサックを背負って観光というのは三十路の身にはつらい。

 まずは――。


「ホテルにチェックインして荷物を預けるとしよう」


「おー!! どのホテルだ!! あのでかい奴か!! それとも、あの綺麗な奴か!! こじんまりした民宿みたいなのもあるな!!」


「えーっと、確か炭泉閣っていう老舗ホテルなんだけれど」


 廸子と違って、事前に場所はチェックしてきている。

 太閤像を過ぎて、ちょっと行った所にある駅からのアクセスのいい旅館だ。

 信号を越えてちょっと歩けばあっという間にそれは見えてきた。


 歴史ある感じ――と言えば聞えが良いが、昭和に建てられた感じというのが素直な感想。壁が茶けた古い旅館。


 エントランスは綺麗に掃除してある。

 ビロード張りのそこは、いかにもザ・ホテルという感じで、まぁ、外面の古ぼけた感じが霧散するくらいの高級感はあった。


 ここだここだと廸子を伴って旅館の入り口に立つ。

 かろうじて自動ドアになっていたそこを抜けて、靴のままビロード張りの床を歩いて受付へと向かう。


 しかし――。


「あれ、誰もいないぞ陽介?」


「ほんとだな。もしかして、早く着すぎたかしら。チェックイン時間は、あらかじめ知らせておいたはずなんだけれど」


 ロビーの受付口には人影がない。

 照明がついていて、チェックインの記入帳なども置かれているのに、なぜだか人の姿が見えない。


 確かに早いチェックイン時間だとは思ったけれど、それでも向こうさんは了承してくれた。それなら、普通誰かがスタンバイしてくれていると思うんだが。


 もしかして、外観通りに、ちょっと古い感じというか、人手が足りてないというか、経営がよくない感じなんだろうか。


「すみませーん!! 誰かいませんかー!!」


「ちょっと、廸子」


「いや、だって、いないなら呼ぶしかないだろ。はやく荷物下ろして、観光に行きたいし。温泉も入りたいし」


 大声を出して仲居を呼ぶ廸子。

 こういう積極性は、やっぱりずっと社会人やってる廸子には敵わない。

 彼女の要求は、しごくまっとうなものだし、止める道理はない。けれど、ちょっとばかりその無遠慮な呼び方に俺は引いた。


「すみませーん!! 誰かぁ!!」


「ここにおりますよ」


「……うん? 今、ちょっとどこかで声が?」


「すみませーん!! どなたか、旅館の方はいらっしゃいませんかー!! 宿泊予定の神原ですけれどー!!」


「だから、目の前におりますよ」


「……うん? 下の、方?」


 ふと、視線を声の方に向ける。

 誰も居ないと思われたカウンター。

 俺のちょうど、胸の辺りと思われるそのテーブルの向こう側、そこに、ちょこなんと小さなつむじが見えた。


 えっ、ちょっと、待って。

 俺と廸子がそれを確認して固まる。


 ぴょこりぴょこりと上下する小さなつむじ。

 あぁもう、と、なんだかじれったそうな声が続いて出ると、とてとてとかわいらしい足音が急に響いた。


 何かがカウンターの後ろにあるドアを開ける。


「まったく、失礼な方達ですね。目の前に人が居るというのに無視するなんて。いくらお客様が神様といっても、限度というものがありますよ」


「……うぉっ?」


「……えっ、なにこれ?」


 カウンターの右横。

 スタッフオンリーの扉の向こうから、ちょこなんと出てきたのは、鮮やかな紅色の和服に身を包んだ、小さな小さな女の子。


 亜麻色の髪をショートヘア、ぺたりと首元辺りで揃えた彼女は、じっとこちらを三白眼で睨みつけると、それからぺこりとお辞儀をした。


 その所作は実に堂に入っていて、あまりにも自然。

 思わずその流麗な様に息が喉を抜けるほどであった。


「いらっしゃいませ。お待ちしておりました。豊田陽介さまですね」


「……え、あ、はい」


「それと、お連れの方は神原さまでございますね」


「そうですけど、お嬢ちゃんは」


 カンと下駄を鳴らして紅色の着物を着たお嬢さんが廸子の言葉を制する。

 びくりと肩を震わせた俺たちを、下から睨みつけると、その小さな女の子は仕切り直しという感じに咳ばらいをした。


 笑顔はない。

 表情はしかめ面のまま。


「ようこそ、有馬温泉炭泉閣へおいでくださいました。私が当ホテルの支配人もとい女将をしております三津谷九十九(みつたにつづら)と申します」


「……すげえ名前」


「いや、廸子。その前にいろいろもっと突っ込むところがあるだろう」


 どう見てもこれ、小学生じゃない。

 え、小学生の女将って奴じゃない。

 若女将ならともかく、小学生が女将ってどういうことって奴じゃない。


 漫画か、アニメか、ライトノベルか。


「今日は遠い所をはるばるよくおいでくださいました。すぐにお部屋までご案内いたします。お荷物を部屋に置かれましたら、まずはどうぞ、有馬温泉の街並みををたっぷりおたのしみください」


「え、あ、はい」


「その、どうも」


「お風呂は大浴場と共に家族風呂を用意させていただいております。有馬温泉は、他の温泉街と違って外湯の文化はございませんから、他所の温泉に入る場合には入湯料が別途かかることをおわすれなきよう。あぁ、ホテルの浴衣は、自由に着ていただいて構いません」


 つらつらといかにも女将っぽくしゃべる少女に、俺たちはすっかりと旅行のうかれた気分もろとも、いろんな感情を持っていかれた。


 うぅん。

 なんだ、この娘は。

 なんでこんなことしているんだ。


 というか、なんなんだ、このホテル。


 本当に大丈夫なのか――。


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