第39話

「ぎっ、ぎにゃぁああああっ!! ななな、なんじゃこの可愛い生命体は!!」


「はぁかぁちえ、ごさいです!! ごさい、です!!」


 さて。


 晴れて美香さんと和解したババアこと姉貴。

 これまで彼女を無視してきたことを謝罪し、これからは同じ町内で生きる――と言っても、美香さんは既に家を出て、市内にマンション住み――者として協力していこうということになった。


 その証に、十年ぶりに美香さんが我が豊川家にやってきた。


 そして、やってくるなり、このコミカルな叫び声である。

 そして、フライングからの、キャッチアンドほおずり。それはもう流れるような所作であり、ちぃちゃんがいやいやする余地も与えぬ一瞬のできごとであった。


「はぁん!! かわいいかわいいかわいいかわいい、百パーセント間違いなく絶対に完璧に一分の隙も無くミラクルかわいいよ!! これが千寿の娘なの!! なんなのどういうことなの、説明してよ!! ちっさい頃の千寿そっくり!! 思い出の中のそのままで、百点満点かわいいんだけれど!!」


「……だから相変わらず姉貴への愛が重い」


「そうか? そんなに私とちぃは似てるか? 父親似だと思ったのだがな?」


「まんま五歳の頃の千寿じゃない!! 幼馴染、ずっと一緒にいるアタシの記憶と目を信じろ!! ほれ、この曇りなき眼!! 私が嘘を言う人に見える!?」


 あんた先日俺と廸子に嘘をついて工場に呼び出したばっかりじゃん。

 どの口で、目を見て信じろとかいうたわけたことを申すことができる。

 女子とはまっこと恐ろしいのう。


「ようちゃん、ちょっとその目やめろ? 今はアタシ、千寿と話してるんだぞ?」


「アイアイサー、マイ・ビッグ・シスター!!」


「陽介。ほんとお前、美香さんにも絶対服従なのな。千寿さんといい、美香さんいい、いったいどんな目に合えば、そこまで人間捨てられるのさ?」


 それを俺の口に言わせるか廸子。


 姉にとって、弟なんておもちゃみたいなもんだぞ。

 そらもう、不意に頭をデコピンで弾かれる赤とんぼくん、あるいは、尻の穴に爆竹を突っ込まれて投げ合うかえる爆弾の如くってもんよ。


 ほんと、おしりがきれいなままで、よかった。

 およめさんにいけなくなるかとおもったんだ。


 なんにしても、姉貴への重くて歪んだ愛に溺れている美香さんが、我が家を訪れればこうなるのはちょっと予想できた。ちぃちゃんという、かつての姉貴の面影がある少女に、彼女が熱狂するのはなんとなく想像できた。


 予感的中。

 これでもかと猫かわいがりする美香さん。

 そんな彼女に、迷惑そうな顔をするとやっと叫ぶちぃちゃん。

 美香さんを振りほどくと、少女はババアの背中に隠れた。


 あぁん、と残念そうに美香さんが唸る。

 けどこれは十割あんたが悪い。

 物損事故と同じで、あんたが十割悪い奴である。


 ちなみに、姉貴のスーパーカブの赤ちゃんシートは出して貰えませんでした。

 そらそうだわな。


「んふふー、ちぃちゃん怖くないよぉ。お姉ちゃんは、貴方のおかーさんの幼馴染でマブのダチ、ツーでカーの仲なのよ。だから、安心してこっちにおいでなさい」


「……やっ!!」


「あぁん、やっの言い方まで小さい頃そっくり!! どうしよう、ようちゃんこれどうしよう!! 廸ちゃんこの子どうしよう!! 私の娘にしていいかな!!」


「いやダメでしょ」


「普通にダメですって」


「絶対にダメだからな。ちぃは私の大切な娘だ。たとえ親友のお前でも渡さん」


 ほう、そんなことを言っていいのかなと美香さん。

 やはり彼女もまた、姉貴の娘と会うにあたってそれなりの準備をしてきたということなのだろう。彼女はおもむろに、手に持っていたカバンを広げると、その中からピンク色した玩具を取り出した。


 それこそはそう。

 なんか日曜日の朝にやってる、女児向けアニメのヒロインが持ってるステッキ的な何か。元ヤンキー少女が持っているのがおかしいアイテム。

 三十歳後半、アラフォー差し掛かり女が持っているのも怪しいアイテム。


 けれども、幼女に効果は抜群なんだな。


「あー、まじょっこそらみちゃんのへんしんすてっきい!!」


「ふっふっふ!! イオンで買ってきておいたわ!! さぁ、ちぃちゃん、魔法少女になりたいなら、アタシの娘におなりよ!!」


「なるぅー!!」


「ちぃ!!」


 美香さんの所に行こうとするちぃちゃんを必死に止めるババア。

 これは近年まれにみる焦り顔。

 ちょっと見ているこっちがほくそ笑みたくなる感じの奴であった。


 ババアにも、敵わぬ者が二つある。

 娘の笑顔と、金持ちの親友。


 まんまと美香さんにかどわかされた幼子ちぃちゃん。

 憐れ、母を振り切って、その親友の下に向かうのを、ババア止められない。

 なぜなら子供の運動能力は割と馬鹿にならないから。


「ほーっほっほ!! 見たか、これがクレシェンドの課長補佐の力!! この世はすべて金でなんとかなる、銭が物言う世界なんじゃーい!!」


「おばちゃん、これ、あけていいのぉ?」


「うーん、ちぃちゃん、お姉ちゃんって呼ぼうね。おばちゃん、本当のおばちゃんに差し掛かっている年齢だから、割と呼び方にはデリケートなんだ」


「わかったー、おねえちゃん!!」


「よし、よいこ認定完了!! 千寿の娘とはおもえないよいこちゃんぶり!! ここから始まる、私の理想の幼馴染計画――紫式部物語が!!」


「ときどき美香さんて、壮絶に頭悪い時があるよな」


「おまえのみてないところではじょうじこんなものですよ」


「マジか」


「くそっ、だから美香とは会いたくなかったんだ。絶対にちぃを金で買収されると分かっていたから、餌付けされると分かっているから、避けてきたと言うのに」


「おい、さらっと衝撃の事実をカミングアウトしてんじゃねーぞババア!!」


 なんやかんやとありましたがぼくはきょうもひんしです。


 姉二人の、コンビネーション必殺技に、身体がもちません。

 こいつら、ほんと仲良過ぎでしょ。


◇ ◇ ◇ ◇


 さて。


 そんなやり取りも終わって、ちょろちょろぱっぱ。

 居間でまじょっこそらみちゃんごっこを始めたちぃちゃんと、その敵役をやってるババアたちをしり目に、俺たちは家の縁側に移動した。


 段々畑の広がる庭先。

 垣根もなんもない、限りなく畑と山が広がる大地をながめて、俺と廸子は縁側に座る。その間を、ほんのちょっぴりとだけ、本当に心地程度に狭めて。


 手は触れ合わない。

 ぬくもりも伝わってこない。

 息遣いも伝わって来なければ、お互いの表情も分からない。


 俺たちはただ、昔みたいに――まだ結婚とか恋とか家族とか、そんなの知らなかった幼馴染に戻って、故郷の青い空を眺めていた。


 こんな時間が、ずっと続けばいいのに。

 なんて思っているのは俺だけだろう。

 きっと廸子は、それ以上のものを俺に求めているに違いない。


 けれども――。


「ごめんな、廸子」


「……うん?」


「情けない幼馴染でさ。今の俺にはさ、言えないんだよ、やっぱり」


 これ以上のことは。


 お前のことが本当に大切で。

 世界のだれより幸せになってほしくて。

 いつまでも笑っていて貰いたくて。


 そして、未練がましくこうしてしばりつけておいて、それでも、俺には彼女に言えない。


 幸せにするよの一言が、どうしても言えないのだ。


 俺は社会人として失敗した。

 人間として失敗した。

 とっくに死に果てるべき宿命にある人間が、なんの幸せか家族の手により生き永らえている。


 だから。


 この虚ろで、頼り気がないと自分でも思うような男が、隣にいる幼馴染を幸せにできるとは、俺はどうしても思えないのだ。


 俺からは何も言えない。


 彼女に対して、彼女の望むモノに対して、何も応えることができない。


 なのであの夜――。

 彼女が言ってくれたことにしか俺は応えられない――。


「お前がさ、欲しいって言ってくれたの、俺、すごくうれしかったよ」


「……やめろよ、恥ずかしいな」


「こんな俺をさ、欲しいって言ってくれるって、すげー勇気出た。ほんと、言葉じゃ伝わらないと思うけれどさ、俺、生きてていいんだって救われた気がした」


「嘘吐け。口から出まかせいってら」


「ほんとだって」


 けど。やっぱり、言えない。

 幸せにするよは言えない。

 彼女の未来を約束できない。


 けれども、幼馴染のあの健気な姿に応えたい。

 彼女に何かしてあげられることがあるならしてあげたい。


 あの夜から、俺はそればっかり考えていた。

 だから、せめて、精一杯の思いを籠めて。


「待っててくれ」


「うん?」


「いつになるかはわからない。けど、待っててくれ。俺、絶対に病気治すから」


 待っててって、言うことにした。


 情けなくって。

 惨めで。

 最低で。

 男らしくなくって。

 すげー恥ずかしくってしかたない。


 けれど、せめて彼女に応えてあげたくて。

 それだけ口にした。


 今俺が言える、精一杯の約束を彼女に告げた。


 隣に座る廸子がちょっとだけ身体を動かす。

 どこか居座りの悪そうな感じに身体を揺らして、彼女は一度顔をうつむけると、それからゆっくりと俺の方を向いた。


 子供の頃から変わらない、真っすぐな笑顔。

 俺が大好きな彼女の顔。


「待つよ。いまさら、十年も二十年も変わらないってーの」


「……ありがとう、廸子」


「信じられねーとかなしだぞ。十年、こっちはちゃんと待ったんだからな。ほんと、今更なんだからな。やっぱり無理ですなんて、ぜってー言わせねえからな」


 笑って、廸子は俺の頬を引っ張る。

 ほら笑えよと、頬の端を引っ張られて、俺は――。


 久しぶりに自然に笑っていた。


◇ ◇ ◇ ◇


「廸子。絶対に迎えに来るからな。十年、関西で修行して、一人前の社会人になったら、絶対にお前を連れにこの町に戻って来るから」


「……うそくせ」


「なんだよぉ、マジで言ってんじゃんよォ。そんな風に言うことないじゃん。信じて廸ちゃん。これ、マジな告白の奴だから。俺の一世一代の覚悟的な奴だから」


「ようすけがやくそくをまもったことはそんなにおおくない」


「これまでの悪行が告白を台無しにする斬新なパティーン」


「……ふふっ」


 金色の髪を病院で働くために茶色に染めなおした廸子は、俺に向かって笑う。


 俺が大好きな彼女の顔。

 どこか気恥ずかしそうな、奥ゆかしい乙女の素顔。


 それから――。


「分かった待ってる。陽介が迎えに来てくれるの、アタシこの町で待ってる」


「……廸子」


「だから、絶対に迎えに来てね。約束だよ」


 彼女は小指を俺に差し出した。


 あの日交わした約束を、俺はまだ守れていない。

 きっと、約束を果たせる日が来ることはない。


 けれど。


「約束する」


「じゃぁ、頑張れよ。男だろ、やってやれだ」


 あの日の彼女との約束が、今の壊れかけた俺を支えてくれている。

 故郷と、幼馴染との思い出が、この哀れな俺を救ってくれている。


 だから俺は、今日もなんとか生きていくんだ。


【第一部 了】


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