第26話

「はぁい。ようちゃん、お元気ぃ?」


 いきなり首筋になんか冷たいモノを押し当てられるこの恐怖。


 ナイフかな?

 銃かな?

 ううぅん違います。


 答えは缶コーヒー。


 心臓に悪い。

 飲んでないのにカフェインで心臓ばっくばっくってもんですよ。


 ほぁー、これはなに、なんなの。

 セクハラ・パワハラ・それとも新しいハラ。

 カフェインハラスメントって奴なの。

 なんにしたってびっくりして俺はその場に飛びあがった。


「やだぁ、そんなに驚くことないじゃない。ほんと、昔からびびりなんだから」


「みっ、美香さん!!」


「はいはーい、玉椿町の元おしゃまガールこと美香ちゃんだよ。今はクレシェンド生産企画開発室、鬼の田辺課長補佐です。ひどくね、ちょっとひどくねぇ。こんな美人に鬼とかマジ工場系男子ないわ」


 コンビニ入って、廸子の帰宅準備が終わるの待ってたらのエンカウント。


 なんでここであっちまうかなと後悔が襲う。

 まぁ、時刻は午後六時をちょっと過ぎた頃。ブラック企業でなければ、帰宅ラッシュの時間帯だから居るのはおかしくないか。


 したって、このパーソナルスペースぶち抜いてのダイレクトコミュニケーションは、ちょっと陰キャの俺にはきついですよ。


 せめて廸子を通してどうぞ。

 って、彼女は今バックヤードなんだっけ。


「んんー、ちょっとちょっとようちゃん。まだ日も明るいうちから、そういう雑誌読んじゃうってどうなの?」


「え、あ、これは……」


 そして、完全に裏目。

 廸子を驚かせようと、たいして興味もないのにエッチなDVD雑誌を開いている姿を美香さんに見られてしまった。


 これは迂闊。

 本当に迂闊。


 こんな辺境のコンビニエンスストアに、知り合いなぞくるめえと油断していた俺のうっかりであった。

 いや、結構会うんだけれどさ、知り合い。


 んふふと楽しそうに笑う美香さん。


 あぁ、これこれ、こんな感じ。

 美香さんって、なんていうかこういうキャラだったよな。

 姉貴とは違う感じで、人を食うっていうか、からかうっていうか。


 地頭がいいんだよな二人とも。


 そりゃ、どっちも女性なのに社会的な成功を掴み取るもんだよ。

 そう、自然に納得するくらいに頭良いんだよ。

 そして、その地頭の良さを、よしゃいいのに変な方向に使う辺りとかもそっくりなんだよ。


「もしかして、溜まってるのかにゃぁ? いい歳だものね、ようちゃんも?」


「いえ、これはその、ちょっと時間潰しに見ていただけで」


「私でよければエッチのお相手してあげよっか?」


 噴く。


 コーヒー豆をすりつぶした飲み物を口に含んだみたいに噴き出す。

 からかわれていると分かっていても、噴かずにはいられない。だって、こんな美人にそんなこといわれたら、男ならそうなるでしょう。


 それか股間にエッチパワーが溜まるってもんでしょう。


 セクハラ上級者だから耐えられた。

 もし、俺が普通の男の子だったら、きっとその場で服を脱いで、よろしくお願いしますって土下座していたことだろう。


 黒髪ロング、黒スーツ美人の美香さんに迫られたら、土下座しておなしゃすしていたことだろう。


 やれやれ、日ごろのセクハラって大切だね。

 まぁ、噴きはしたんだけれど。


「やだー、だからようちゃんってばリアクションがおおげさ」


「冗談はやめてくださいよ!! 心臓に悪いなぁもう!!」


「えー、私とするのいやなのー? それ、結構傷つくかも?」


「嫌ですよ!! だって、姉貴の友達ですよ!! そんなことになっちゃったら、気まずさでいたたまれなくなるじゃないですか!!」


「いいじゃんいいじゃん、千寿はもう町にはいないんだしさ」


 そういう問題じゃと言いかけて、はっと気が付く。

 ふざけたことを言っているようで、美香さんの目は冷静だった。


 あきらかに、こちらの会話の端から何かを探っている。


 これはまさか――。


 いや、黙るのは逆に怪しまれる。


「確かにそうですけど、それでも、顔合したときに気まずいでしょ。だいたい、姉貴に会った時にどう言うつもりなんですか?」


「おいしかったよって言えばいいだけじゃない?」


「人を食べ物か何かみたいに!!」


「あはは、ようちゃんってばホント変わんないね。小さい頃から、めっちゃオタクっていううか、価値観が童貞っていうか。ぶっちゃけ今も童貞でしょ?」


「どどど、童貞ちゃうわ!!」


「はい、童貞確定のやつー!!」


 けらけらと笑う美香さん。


 くっそ、やっぱこの人と俺は相性悪いわ。

 なんていうか、姉貴と張り合ってるのか知らないけれど、彼女ってば俺を徹底的に弄って来るんだよ。

 姉貴と違って、アクティブに弄って来るんだよ。

 ほんと厄介。

 姉貴と同じレベルでやっかい。

 ババア2と心の中で呼びたくなるくらいに厄介。


 はぁもう、なんなのこの人。


 なんて思った矢先、おっとと美香さんが肩を揺らす。

 スーツの内ポケットに手を入れると、そこからスマホを取り出して、彼女はそれにノーウェイトで出たのだった。


 二コールと半。

 完璧な電話の取り方である。

 格好だけでなく、間違いなくキャリアウーマンの所作だった。


「はい、生産企画開発室田辺です。はい、はい、はい。えぇ、第二工場の方で、先日導入したラインの方でトラブルが発生。はい。生産が止まっている。わっかりました。今、ちょっと夜食の買い出しに出てていたところですので、戻り次第すぐにうかがわせていただきます。えぇ。開発室の方には私から連絡しておきます。ライン施工の担当者はまだ残っていると居りますので、急ぎそちらに向かわせます。はい、おつかれさまです。それでは失礼いたします」


 ……すっげ。


 美香さん、本当にビジネスウーマンなんだな。

 めっちゃなんかそれっぽいやり取りしてたよ。


 しかも向うの人、結構な剣幕で押してきてたよ。

 俺だったら、もう勘弁してよって半べそかいてる、そんな口ぶりだったよ。

 ひぇー、やっぱ、現場と開発じゃ温度差があるよね、怖い怖いってやり取りを、難なくこなしてたよこの人。


 いったいなんなの。


 本当に彼女、大手企業の課長補佐さんなんだなぁ。


「はぁー、やだやだ。トラブル起こるとすぐにうちに連絡回すんだから。だいたい現場の方の運用ミスなのよね。うちが導入した施設のせいじゃないってのに」


「……なんか、大変そうっすね?」


「大変よぉ。もう、なんでこんな役職ついちゃったのか今でも後悔してるレベル。忙しすぎて婚活もする時間ないし、ほんと最悪。十代の頃に思い描いた、私の完璧でパーフェクトで一分の隙もないエクセレントな人生プランだったら、とっくの昔にいい男捕まえて家庭に入ってたのに」


 いや、それは、ないでしょう。


 昔から美香さんはなんていうか、家庭に入るより外に出た方がいきいきとするタイプだったし。


 あの無茶苦茶な姉貴と、愛憎入り乱れる関係ながらも、友達を続けられるコミュの達人だったし。

 家庭に入るような人材じゃない。

 一度社会に出たら君は居て貰わないと困ると言われるタイプの人間。


 まぁ、一流企業の課長まで上り詰めるとは、思ってもみなかったけれど。


「はぁ、ほんと、マジで出会いだけが問題だわよ」


「いい人いないんすか、会社の方に」


「んー? いい男がいないから、私が今の役職にいるんじゃないのかにゃー?」


「なるほど」


 お眼鏡に叶う人はいなかったのね。

 そら輪をかけて逞しくなるわ。


 まぁ、そうなるよな。


 姉貴といいこの人といい、男なんていなくても、生きていけますって感じの人なんだもの。まっとうに男と戦って、勝っちゃうタイプの人なんだもの。

 そんな女性が男性に求めるものなんて――。


「やっぱり旦那にするなら、自分より強い男がいいわよね。それか、とびきり甘やかしたくなるような相手。年下でも、年上でもいいけど、甘えさせ甲斐のある男がいいわぁ」


「ははは」


「あと、どうしても親戚になっておきたいお家の人――とかね?」


 笑顔が怖い。

 美香さんの笑顔が怖い。


 まずいな。

 これ以上この人と一緒に居ると、ほんとなんか嫌な流れになりそう。

 それこそ、本気で、結婚しないとか言い出すんじゃないだろうか。


 いや、待て。

 そもそも美香さんって本当に独身なのか。

 これも含めてからかわれているんじゃないか。

 姉貴から、美香さんの話って何か聞いてなかったかな。


 聞いてないな。


 あれ、なんだろ。

 なんでだろう。


 ここ数年、美香さんの話を、姉貴から聞いた覚えがないぞ。

 そもそも姉貴、美香さんとこっちに帰って来てから会ってないよな。

 会うと面倒くさいことになるだろうって、そう思ってるのはなんとなく察している。けど、誤魔化して会うくらいのことはしてもいいんじゃないか。


 え? あれ?


 思わず考えこんだ俺の前で、うんと美香さんが伸びをする。

 それで我に返った俺は、相変わらず何か含みのある顔をする、美香さんを眺めた。何も言わず、しばし黙り込んで見つめ続けた。


「あぁ、ダメダメ、急いで会社戻らなくちゃだった」


「そ、そうでしたね。お仕事頑張ってください」


「ありがと、ようちゃん。私も早く、千寿みたいにいい人みつけて子供作んなきゃだね。ずっと独り身じゃダメだわ。千寿みたいに頑張んないと」


 冷や汗が頬を伝う。


 その台詞、その表情、その口ぶり。

 全部、今の姉貴のことを知っていないと出てこないものだ。


 この人――。

 もしかして、もう既に――。


 戦慄する俺をよそ眼に、じゃぁねと手を振ってコンビニを後にする美香さん。


「じゃあにー。千寿と千絵ちゃんによろしくねー」


 そんな捨て台詞を残して、姉貴の元相棒にして、永遠のライバルである玉椿町のおしゃまガールは、俺の前から姿を消したのだった。


 あぁ。


「これ、本当に、なんか厄介なことになるんじゃねぇ?」


「おまたせー。ごめんごめん、ちょっと着替えに手間取っちゃって。って、どうした陽介?」


 廸子に向かって、なんでもないよと言うだけのことに、いろいろな感情があふれかえって、俺は結局十秒くらいかかってしまった。


 いやな、よかんが、する。


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