ドーンヴィル、それぞれの初冬11

 絵を描く気にはなれないが、かといって家にいるのも息が詰まるためクローディは毎日適当に散歩に出ていた。放牧されている牛や馬を眺めていると手がむずむずしてくるので、絵を描くこと自体がきらいになったわけでもなくて内心ほっとしている。ただ、状況についていけない、というか突如訪れた人生の分岐点に戸惑っているだけなのだ。


 十一月も半ばになり、年末はもうすぐそこだった。

 町の娘たちは皆、町長の家で行われる舞踏会という名の集まりに心を浮足立たせている。カイゼル家の舞踏会に呼ばれているのはこの町ではウォーラム家を含めて三家だけ。あとは近隣の有力者が集まってくる。


 それでもダガスランドからやってきた本物のお金持ちであるカイゼル家主催の舞踏会は町の年頃の娘にしてみれば憧れの的で、少女たちはみなお屋敷の中で繰り広げられるであろう舞踏会を想像してきゃっきゃと高い声を出して騒いでいる。


 クローディだけが一人取り残されている。年頃ってなんだろう、と。頭の中では分かっているのに、素直に示された道を進むのが悔しい。

 ぼんやりと外で過ごしていても寒いだけなので少し早めに帰えるとエミリが手紙を持ってきた。


「ドレスが出来上がったそうよ。あなた、一人で取りに行ってきなさい。本も返さないとでしょう。それから―」


 エミリはグランストンへ行くついでとばかりにこまごまとした用事を言いつけた。その中にはエミリの旧知の婦人との昼食も含まれていて、銀行に勤める男性も同席するらしい。わかりやすいお膳立てにクローディが反発をする。


「今度ね、銀行の支店がこちらにできるそうなの。その立ち上げメンバーにその人も入っているそうなの」

「そういうのはわたしには関係が無いわ」

「クローディ。せっかく夜会に招待されているのに、壁の花になるつもりなの?」


 母なりに娘を心配してのことらしいが、あいにくと余計なお世話というものである。とはいえ、あてがあるのかと問われれば首を横に振るしかない。町の年頃の男たちを思い浮かべるが、幼馴染でもある男たちの誰にも胸がときめかない。むしろ互いに着飾った装いに吹き出しそうである。


「でも」

「エスコートしてもらうだけよ。向こうにだって選ぶ権利というものがありますからね」

「……」


 母親がそういうことを言う? とクローディはエミリに向かって眉を顰めた。何なのだ、この扱いは。言うと何倍にもなって返ってきそうだったからクローディは口を閉ざして刺繍の練習をすることにした。エミリは弟のズボンの丈を直している。成長期の弟のズボンはすぐに丈が合わなくなるのだ。


 コチコチ、という時計の音と合わせるように針を進めて行って、部屋にランプの明かりを灯す時間になるとエミリが立ち上がる。夕食の支度をしていると父が帰宅をした。出迎えたクローディが外套を預かり、マカルの雑談に付き合っていると玄関扉を叩く音が聞こえた。


 はい、と扉を開けたエミリは「まあ。カイゼル様」と素っ頓狂な声を出した。

 その声にクローディも同じくびっくりした。


 まさか、アレットが訪れたのだろうだ。先日彼女に招待をされて、色々とあって飛び出してしまったのである。アレットはただの親切心でクローディに絵の具を買ってきたというのにクローディは勝手に苛立って彼女の好意を拒絶した。結構な剣幕でまくし立てたのだ。あの出来事はクローディの中でしこりとして残っている。


「カイゼル氏ではありませんか。我が家に、何か用でも」


 マカルがエミリから言葉を引き継いだ。玄関広間もなにもない普通の家である。クローディはこっそりと物陰から軒先を伺う。外套に帽子をかぶった男が立っている。彼がカイゼル氏、アレットの夫ということか。天使のようなアレットの夫。なんだか妙な気分だ。既婚だとは知っていても夫と一緒にいるところをクローディは目撃したことが無くて、心の中でアレットの夫というのはどこか想像上の産物だった。


「夕食時にすまない。クローディ嬢は在宅だろうか」

「クローディ……ですか?」

 マカルが訝し気な声を出す。

「クローディ嬢には私の妻が世話になってね。夫として一度礼を言いたかったんだ」


 ヴァレルが帽子を取った。男前な顔が現れて、そして思いのほか若くてクローディはまじまじと彼の顔を見つめてしまう。この町にこれほどまでに垢ぬけた男はいない。


「はあ」


 夫婦は互いに顔を見合わせた。クローディは両親に、アレットと知り合ったと事も彼女の屋敷に招かれたことも言っていなかった。言ったら大事になりそうだからである。それに、もういい年なのだから自分の交友関係に口を出されたくない、というのもある。


「クローディ、本当なの?」

 エミリの固い声に呼ばれる。クローディはゆっくりと両親の前に姿を現した。

「まあ……ね」

「あなた! そんなこと一言も言わなかったじゃない! どういうことなのよ、カイゼル氏の奥様と知り合いになっただなんて」

 こういう反応になるから黙っていたのだ。察して、と心の中で呟いた。


「妻はクローディ嬢の描いた絵を気に入っているんですよ、夫人」

「え、ええ。たしかに娘は絵を描くことくらいしか取り柄の無いつまらない娘ですが」

「素晴らしい才能です」

 ヴァレルはクローディに向かって笑顔を作った。素晴らしいと褒められると悪い気はしない。


「少し、クローディ嬢と話しても?」

「え、ええ。もちろんです」

 エミリの声も若干上擦っている。


 マカルがヴァレルを招き入れ、二人は奥の台所のほうへ消えたが、そもそもが狭い家である。食卓の横にちょんと設えられた居間の話し声など筒抜けである。かといって未婚の女性の部屋に男性を招き入れることなど言語道断。外の方がまだよかったとクローディは内心嘆息した。


「今日来たのは、妻の代わりにこれを渡そうと思って」


 ヴァレルが手を上げると傍らに控えていた若い男が荷物を取り出した。ヴァレルの従僕か秘書か、どちらかだ。仕事を持つ男は常に複数の部下と一緒に歩いているものなのだな、と妙なところに感心をした。


「これは……」


 クローディの顔色がかわる。ヴァレルが差し出したのはあの日アレットに贈られて、けれどもそのまま放置をした絵具だった。筆も紙も一緒に目の前のローテーブルに置かれた。


「わたしは、いらないと」


 だって、こんなものを貰ってもクローディの手に余る。クローディの子供時代は終わったのだ。この冬、ウォーラム家の舞踏会に出席をすることになったから。これからクローディは一人の大人として扱われることが多くなる。それは、そのまま花嫁候補として品定めをされるということでもある。


「アレットはきみの才能を認めた。だからこれを贈ろうと考えたんだ。せっかくだから貰ってやってほしい」

「わたしには必要ありません。だいたい、見返りが欲しくてアレット様と親しくなったわけではありません」


 きっぱり言うと、奥で人が動く気配がした。両親のどちらかである。クローディは内心言い過ぎたかな、と思ったが意志は固いのである。

 ヴァレルはクローディの言い分を聞いて苦笑した。


「きみみたいな子ばかりがアレットと仲良くしてくれると夫としては嬉しいけれどね」


 ということは見返りを求めて近づく人間もいるということか。お金持ちの家に嫁ぐと大変なこともあるらしい。アレットは無邪気だから近づいてくる人間はみんないい人だと思い込みそうだ。


「だって……わたしは……」


 べつにお金に困っているわけでもない。高価な絵の具には手が出せないけれども、欲を出さなければ暮らしていけるのである。それに、これ以上絵に未練を残したくはなかった。


「アレットはフラデニアの貴族階級出身なんだ。貴族の家は芸術家を支援することに意義を見出す」

「はあ……」

 突然に何を言い出すのだ。

「アレットはきみの絵に芸術性を見出したんだ。その才能を伸ばしてほしいってね。だから、絵の具を贈ることにした。また素敵な作品を描いてほしいと」


 ヴァレルは朗らかに話した。妻の意見を全面的に支援しているのだ。

 クローディはごくりと喉を鳴らす。芸術性。それってなんだ。そんな言葉誰からもかけてもらったこともない。


「わたしは……画家になりたいわけじゃないんです。そんな夢、見るだけ無駄だから。わたしはきっと、両親の紹介した誰かと結婚をして子供を産んで育てて。この町かもしくはちょっと離れてもグランストンとか。そういうくらいの距離のところで所帯を構えて普通に暮らしていくだけの普通の人生を送るんです」


 だからこんなものを貰っても何の役にも立たない、そう訴えた。第一宝の持ち腐れだ。


 それなのに、一方では胸の中がざわついている。アレットが自分の絵を認めてくれていることに。彼女はいつだってクローディに純粋な賞賛の声と眼差しを向けてくれていた。素直にクローディを褒めてくれていた。謙遜をしながらも、そうやって褒められることが嬉しくて。そう、クローディはあのとき嬉しかったのだ。誰かに自分の描いたものが認められて。だからこそ余計に苦しくなった。アレット以外、クローディの趣味を認めてくれないから。


「どんな生活だろうと、好きなものを続けることはできるよ。それに、きみだってアルメート人だろう?」

 目の前のヴァレルはいたずらっ子のように瞳を輝かせた。言いたいことが分からなくてクローディは目を瞬いた。

「アルメート人は自分の欲しいものは自分の力で手に入れてきた。俺はそうやって生きてきた。きみだって、絵を続けたいと思うのなら結婚しようと子供を育てようと続けることはできるはずだよ」

 画家でなくても絵を描き続けることはできるだろう、という言葉で締めくくられた。


「俺には、きみが絵を描くことを続けたがっているように見えるよ」

「どうして、そう思うんですか」

 クローディはヴァレルに反発した。

「きみの絵を見たから」


 ヴァレルの答えは簡潔だった。だから、これを手元に置いておいてほしい。要らないのなら処分してしまうなり寄付するなりご自由に。そう言い残してヴァレルはゲール家から去っていった。

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